ヨーコ・オノ チューリヒに寄せる夢
「鑑賞する人の協力がないと、芸術は完成しない」こんなメッセージと一緒にヨーコ・オノが、チューリヒでパフォーマンスを見せてくれた。彼女の作品の全容を展示する「ヨーコ・オノ 地平線的メモリー展」(Horizontal Memories) のオープニングに伴うイベントである。
ヨーコ・オノの作品をスイスではじめて鑑賞することができるのは、チューリヒにとっても栄誉なことといえよう。展示は6月4日から8月14日までミグロ現代美術館で催されている。
展示されている作品は、60年代から現在に至るまでの彫刻、映画、写真、オブジェなど25点。展覧会を訪れた人はヨーコ・オノの芸術家としての活動全般が鑑賞できる。
戦後のメルヒェン ヨーコ・オノ
ヨーコ・オノといえばスイスでも、まずジョン・レノンの妻ということで有名だが、彼女の芸術家としての才能も現在は高く評価されている。
何十年もの間、芸術家としては亜流と見られ、ビートルズを解散させた原因の女性と非難された。実際は、彼女はビートルズの解散で非常に心を痛めたと後に、ジョン・レノンが語っている。
芸術家としては、理解されがたい夢想家、斜に構えたところから「黒い未亡人」といったとらえ方をされてきたわけだ。しかし、40年以上にもわたりアバンギャルドな芸術を生み出し続けてきた彼女は、現在、多くの人に理解されるアーチストである。今のヨーコ・オノは世界を駆け巡る、超有名な芸術家である。
芸術に参加する観客
展示場の入り口近くにあるのが、「Wish Tree」(1996/2005)。背の高い木に、展覧会を訪れる人が願いごとを書いた札を吊るすことができる。日本の七夕のようなもので、鑑賞者の頭と心で彼女の作品を組み立て完成させようというアイディアだ。
1965年と2003年に同じテーマで作られたビデオ作品「Cut Piece」、「Cut Piece – Paris」は、彼女が着ている黒い洋服をほかの人にはさみで切り取らせ、破らせ、彼女を下着姿にしていく過程が映されている。65年のビデオの中のヨーコは自分が芸術そのものになろうとしている姿で映っている。ところが、03年の作品では、ほかの人が自分の黒い洋服を切っていく動作に、彼らの芸術性を眺める余裕さえ伺わせる彼女が映し出されている。
東京からニューヨーク 長い道のり
1933年2月18日、小野洋子は東京で銀行家の長女として生まれた。小さいときからピアノと歌のレッスンを受けていたが、、そのときにはジョン・レノンのことなどまったく知らなかったに違いない。1952年に学習院大学の哲学科に入学するが、1年後には家族とともにニューヨークへ渡る。カール・マルクスやジャンポール・サルトルなどの思想に傾倒したといわれる。
ニューヨークではサラ・ローレンス大学に入学し現代音楽や詩を学びながら、アバンギャルドの世界に触れていった。
55年には、マッチを擦りながら観客に「命令」を発し、観客の反応から彼女自身の思考パターンを作っていくというパフォーマンスを行った。その当時、パフォーマンスといった言葉もあまり知られておらず、まったく新しい試みだった。芸術は不動の造形物などではなく、プロセスでありアクションでなければならないというのが彼女の持論である。
ヨーコ・オノ展の開催の夢を実現することができたので、もはやチューリヒは夢を見ることはない。また、会場を訪れる人たちは「夢は物事の本質」という彼女のメッセージを理解することであろう。そして、わたしたちは、夢は全人類の未来とビジョンに不可欠なリアリティだと感じ取るのである。
swissinfo, エルヴェイン・デトリング / 佐藤夕美(さとうゆうみ)
ミグロ現代美術館/Limmatstrasse 270, CH-8005 Zürich
電話 +41 44 277 20 50
ファクス +41 44 277 62 86
開館時間 火、水、金12時〜18時/木12時〜20時/土・日11時〜17時
ヨーコ・オノ(本名小野洋子)
33年東京生まれ
52年学習院大学哲学科入学
53年ニューヨーク移住
56年一柳慧と結婚
62年離婚
同年 トニー・コックスと結婚
63年離婚後再び同氏と結婚
69年離婚、ジョン・レノンと結婚
70年ビートルズ解散
80年ジョン・レノン凶弾に倒れ死亡する
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