「象牙の塔」を抜け出し、広い世界へ
亡きスイスの写真家ワーナー(ヴェルナー)・ビショフが生きていたならば、今月26日に100歳を迎えることになる。生誕100周年を機に出版された写真集およびチューリヒとローザンヌで開催されている写真展で、ビショフの一生涯の作品の魅力と卓越した才能が再び蘇る。
ビショフ外部リンクが残した遺品は写真作品に限らず、日記、スケッチ、講演原稿など多様。中には両親、妻のロゼリーナさん、友人、マグナム・フォト外部リンク(世界最高といわれる写真家集団)の旧メンバーと交わした膨大な数の手紙も含まれている。1945年、取材で出掛けたペルーで早くに命を落とすことになったその最後の瞬間まで、ビショフは写真家、芸術家、一人の人間として全力で世界と向き合ってきた。そんな彼の姿勢を、これらの遺品は包み隠さず伝えている。
また、新たに出版された写真集の中では、ビショフが残した手紙、日記、メモを基に、彼が生み出してきた数々の写真とスケッチを交えながら、彼の人生と創作活動について語られている。
ビショフが写真家としての道を歩み始めたのは第2次世界大戦中。当初は、彼が後に「象牙の塔」と名付けたスタジオで働いていた。ビショフがそこから外の広い世界に飛び出していくきっかけを作ったのは、仕事上の指導者でジャーナリストのアーノルド・キュブラーだった。「生きる人々に目を向けてはどうか」というキュブラーの勧めに背中を押され、ビショフは戦争で破壊されたヨーロッパに足を運んだ。
当時29歳だった写真家ビショフは、目の前に広がる光景に圧倒される。今回の写真集はビショフが最初に向かった地、南ドイツから始まる。
その後、ビショフはカメラを抱えて世界各地を回るが、対象に入り込みつつも一定の距離を保ちながら、紛争地の「別の側面」を写し出すという姿勢を維持し続けることに努めた。そうすることで、独自の観点を作品に反映させることに成功してきた。
全ての写真の著作権は、Werner Bischof/Magnum PhotosあるいはWerner Bischof Estateに帰属。
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