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世界的建築家レンゾ・ピアノ氏にインタビュー

完成に3年を要したパウル・クレー・センターの3つの丘 swissinfo.ch

クレーの作品の中で代表的な3つの要素は、光、軽快さ、自然、だった。レンゾ・ピアノがパウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)を設計する際にも、これらの要素を積極的に取り入れた。

スイスインフォはこのたび、この世界的建築家をインタビューするために彼のパリの事務所を訪れた。今回、スイスでのパウル・クレー・センター開館を控え、このイタリア人の建築家がこのプロジェクトをどんな気持ちで進めていったか聞いた。

swissinfo: スイスは小さな国ですが、建築については豊かな伝統があります。しかし今回、パウル・クレー・センターを建設するにあたり、一般公開の競争入札は行われず設計はあなたに決まりました。この決定に対して何かコメントはありますか。

ピアノ氏 : 正直に言って、一般入札に参加することを頼まれたことは今までに1度もないのです。かといって、私が競争を好まないと思わないでください。それどころか私の職業人生は競争の連続でした。 

人生のある時点を境に、私は競争入札に参加することをやめました。傲慢からではありません。競争に参加するということは、そのプロジェクトに対して恋に落ちることを意味するからです。 

そして、人生もある年齢に達すると、恋に落ちている時間がなくなってくるのです。そして「花嫁」が、誰かよその男の腕にさらわれるのを指をくわえて見守る羽目になるというわけですよ。

swissinfo: この美術館を設計する時に、パウル・クレーからどんなインスピレーションを得られましたか。

ピアノ氏 : パウル・クレーは、20世紀の芸術家の中でも、最も多作で複雑な画家の1人でしょう。彼の天才的な才能は、多種多様な面を持つため、誤解も多いのです。彼の芸術は、見る者の理解によって、いかようにも受け取れるのです。 

「パウル・クレーはバウハウスで最も優れた教授であったわけですが、この学校が目指したものは、芸術をみんないっしょくたにして1つのシチューのような物ができあがるという単純なものではありません。それよりももっと深いものです。これは、ジャンルにとらわれることなく、お互いの生命の表現を通して影響しあいながら到達できる、といった類のものなのです。

クレーの作品は、自然から社会に対する風刺まで、全てのことが題材となっています。非常に深く、同時に高度な複雑さを含んでいます。この中に「土」もありました。そこで、アイデアが浮かんだわけですが、単なる建物を設計するのではなく、大地の表面をそっと持ち上げて「場」を作る、土地そのものの芸術を作り上げなければいけないと思いました。「ランドアート」、つまり自然の地形学に造詣の深い、農民の仕事に近いといえます。

swissinfo: パウル・クレー・センターは非常に大きく、広いですね。彼の作品は精神の深い内面を表現したものが多いのですが、このような性格の作品を展示するにあたって、なぜこのように堂々とした大きなものになったのでしょうか。

ピアノ氏: 私は全ての美術館、全てのこのような芸術関係の場所は、シェルターの側面を持つべきだと信じているのです。芸術作品は壊れやすいものです。実際、災害などで1度壊されたら取り返しがつきません。だから美術館の重要な役割として、作品を守れるしっかりした建物を作るということが大切です。 

これと同じく重要だと私が考えているのは、深く考える場所としての側面です。美術館は、来場者が芸術作品との深い関わりを堪能する「神聖な場」です。しかし、1人で楽しむ場所であるのと同時に、もっと「他者と交わる場」でもあるべきです。人と人とが出会う場所、単に本を買いに行く場所、待ち合わせをする場所、音楽を聴く場所、カフェテリアで何か食べる場所、そんな場所を提供する「場」としての美術館であっても良いと思うのです。 

設計が依頼された当初の計画に比べて、最終的に建物がこんなに大きくなったのは、作品をただ展示するだけの美術館ではないからです。でも、建物が巨大だとは思いません。とにかく、ここは自然な環境の中でかくれんぼができるような所なのです。

swissinfo: パウル・クレーの作品のもろさについてお聞きします。作品群は自然光に当たらないよう配慮されて展示されていますが、これは、彼の作品が傷つきやすいことが理由でしょうか。

ピアノ氏: 彼の作品は非常に傷つきやすくできています。多くの作品はキャンバスではなく、ただの紙に水彩画や油絵が描かれています。彼は朝起きて、手の届くところにキャンバスがないと、まず近くの新聞紙を読み終えてしまってから、おもむろにそこに石灰石や粘土などを水で溶いたものを塗って画板にし、その上に絵を描きだしてしまうようなところがありました。 

このため、いくつかの作品は非常にもろく、自然の強い光に長く当てるのは危険すぎます。この問題を解決するため、私たちは自然の光を「美術館通り」と呼んでいる場所のみに制限することにしました。 

彼の作品は、自然光よりずっと管理しやすい人工的な光が当てられています。通常、油絵に適した光の明るさは300から400ルクスですが、彼の作品の一部は、20から30ルクス以上の光を当てるべきではないようなものがあります。

swissinfo: 絵が展示してある「神聖な場」と「他者と交わる場」を分けたのは防犯上の問題からでしょうか?スイスでも、9月11日の米同時多発テロ以降、全てのものに対して過剰なほど防犯や管理的姿勢が強まっていますが。

ピアノ氏 : 私の設計する建築物は、どんな場合にも親しみのある陽気さを失いません。そもそも「対テロ対策建築」なんて存在しないと思っています。テロに対抗できる建築を探したら、洞窟などを使うしかなくなるでしょう。テロにあう可能性を完全に排除するには、皆が洞窟に住むしかありません。 

テロ対策に関する答えは技術的なものではなく、政治的なものです。スイスは核兵器の恐怖に備えて20年も30年も核シェルターを作った国ですが、これも実際に核戦争が起きた場合、技術的に完全に国民を守ることはできないと思います。今はこの空っぽになったシェルターを物置として使っていますけれど。 

パウル・クレー・センターの公共の場所は「美術館通り」と呼んでいますが、監視装置がくまなくチェックできるように、非常にシンプルな作りになっています。暴漢が身を隠す場所はどこにもありません。でも子供たちのために子供美術館があって、そこでは子供が静かに神様とお話できる場所を設けています。

swissinfo: 子供たちと言えば、パウル・クレーは、彼の息子や息子の友達が描いた絵に大変魅了されたことが知られています。設計には、このような子供の創造性も配慮されたのでしょうか

ピアノ氏 : 子供の創造性は驚くべき素晴らしさです。あまりに素晴らしすぎて、それらを籠に入れるように限定しようとしたり、何か教えようとしたりすることは必要ないほどです。ここでは通常の美術館とは違って、子供たちはお行儀の良さを求められるのではなく、ただ無邪気に楽しむ場が与えられています。 

パウル・クレーを分析する人の中には、クレーの幼児性という、ちょっと馬鹿げた解釈をする人々がいます。これはなかなか解けない2つの誤解の中の1つです。もう1つは、クレーはどんな形でも好きなように変化させて絵が描けるという解釈です。幼児性と無邪気さは全く別のものです。そして大人が無邪気さを表現する時、思想の強さと深さが必要となってくるのです。 


Swissinfo ラファエラ・ロッセロ、遊佐弘美(ゆさひろみ)意訳

<レンゾ・ピアノ略歴>

– 1937年、伊ジェノバで、建設業を営む裕福な家庭に生まれる。

– 1964年、伊ミラノ工科大学の建築学科を卒業。

– 1965年〜1970年、米フィラデルフィアでは、20世紀最大の建築家と言われるルイス・カーン氏と仕事をし、デザイナーのジャン・プルーヴェ氏とも出会って強い影響を受ける。後に英ロンドンに渡り、Z.S.マコースキー氏と共に仕事をする。

– 1971年、建築家リチャード・ロジャース氏とともにピアノ&ロジャース社を設立。同社が仏パリのポンピドゥー・センターの設計を手掛ける。

– 1977年、エンジニアのピーター・ライス氏と共にピアノ&ライス社を設立(ライス氏の死により1993年に閉鎖)。

– 1994年、日本の関西国際空港を設計する。

– 1997年、スイスのバーゼルにあるバイエラー財団美術館を設計する。

– レンゾ・ピアノ氏は現在、伊ジェノバ、仏パリ、独ベルリンにスタジオを持ち、これらを一緒にして「レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ」(RPBW)として知られている。

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