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城を生き返らすのはだれ?

アールガウ州にある多くの城の中でもレンツブルク城は歴史上大きな意味を持つ

ヨーロッパを支配したハプスブルク家発祥の地ハプスブルク村があるアールガウ州には、ハプスブルク城はもとより、同家の家来が住んだものからベルン州の貴族たちなどが所有したものまで、80以上の城や砦があり「城の州」と言われている。

これらの城は中世から多くの城主が交代し現在に至っているが、最近は維持費の負担が理由で売却されるケースが目立っている。

公営のレンツブルク城

 ハプスブルク家創立900周年の今年は、レンツブルク城 ( Schloss Lenzburg ) で特別な催し物がいろいろと企画されている。こうした催し物は、アールガウ州の手によるもの。2007年からハルヴィル城 ( Schloss Hallwyl )と共にレンツブルク城や、アールガウ博物館 ( Museum Aargau ) というトレードマークで、観光客にアピールするようになった。
 
 カール大帝の時代、地元の伯爵の祖先が1077年に丘の上に造った砦がこの城の始まり。その後ハプスブルク家の所有になったりもするが、歴代城主は20世紀半ばまでの長い間、城を独占し、庶民にはその扉は閉ざされていた。1956年になってやっと公営となり公開されるようになった。城が公開されている4月から10月までの7カ月間に訪れる訪問者は約1万5000人。城の維持費は、その入場料と一部の建物をパーティーなど市民に貸し出して得るレンタル料金と州と市の税金で賄われる。

魅力を維持する苦労

 ハプスブルク家900周年にちなんで例年以上の賑わいのレンツブルク城だが、普段でも参加者に城の歴史を思い起こさせるようなイベントが企画されている。昨年10月には中世から現代までのファッションショーが企画された。また、薪で料理する中世のメニューの料理教室や、木製の皿やスプーンで食べる中世式晩餐会などは定期的に催され、いずれも人気を博している。

 上記のイベントのほか小、中学校の授業に利用してもらえるような工夫もある。上階には、中世の洋服を身に付け「お城ごっこ」で自由に遊べるスペースもある。塔にある牢獄も見学できる。アールガウ博物館のマーケティング担当者エディット・フォン・アルクス氏は
「暴力シーン満載のコンピューターゲームに慣れている現代っ子でも、ここで囚人たちが本当に拷問を受けたという説明を受けると衝撃を受けます」
 とレンツブルク城が提供する教室外教育の効果を語った。

 現在、国立博物館が所有するヴィルデック城 ( ゾロトゥルン州 ) も国の手から離れる運命にあるのではないかと最近になって噂 (うわさ) になっている。
「城の維持の経済的負担は大きいものがあります。歴史的に意味のある城は公共機関が買い取るのが理想でしょう。個人の城主が、入場料だけで城を運営することは不可能です。しかも、魅力ある催し物を計画し続けることができるのは、使命とノウハウを持つ州だからこそではないでしょうか」
 とフォン・アルクス氏は言う。

幽霊城に息を吹き込む

 一方、民間企業が2006年秋、272万フラン ( 約2億7200万円 ) で落札し、地域に及ぼす経済効果が期待されているのは、レンツブルクから約20キロ南下したシュロスリュート ( Schlossrued ) 村のリュート ( Rued ) 城だ。現在の「城主」は、村の近くに本社を置く精密機械加工で世界的なコンツェルン「エロワ ( Erowa ) 」である。

「30年か40年前にリュート城に招かれたことがありますが天井の飾りは逸品でした」
 と村の書記を務めるヴィクトル・ヴュルクラー氏が思い出す城は、18世紀に焼け崩れた砦の跡に建てられたものだ。

 現存する城はその後も、城主が次々と交代した。1989年には改築する目的で個人の投資家が買い取ったものの、資金詰まりで改築計画は頓挫。以後、内装はすっかり取り払われた状態で、幽霊屋敷のような状態にある。

村の期待膨らむ

 エロワの改築計画によると、リュート城は自社のセミナーに使われるほか、結婚式など一般向けにレンタルされることになる。1階から3階まではサロンやキッチン、カフェなどに改築され、4階には城の歴史資料館が設置される予定だ。「持続可能で、トータルな建物として改築し、人々の出会いの場となることを目指して買収した」というエロワは、村にある唯一のレストランも買い取り、ホテルを新設するほか、城への食事のケータリングも村内で賄う計画だ。
 
 「リュート城は村にその名前をつけたことから村に重要な意味があったわけですが、農地を小作させること以外、村にとっては異質な存在で、村民との関係はこれまであまりありませんでした。今回の買収、改築計画により、城に息が吹き込まれ、経済的な効果も期待できます」
 とヴュルクラー氏は村を代表して喜ぶ。

 現在、村の人口は約900人。一時減少した人口が現在は横ばいを保っている。農業のほか、全国規模で店舗の内装を専門にする1社を除きこれといった産業はない。郵便バスが1時間に1本、近くの私鉄の終着駅まで走るだけの小村に新しい「城主」がもたらす経済効果は、改築計画が認められた後、改築工事を経て徐々に現れてくることになる。

swissinfo、佐藤夕美 ( さとう ゆうみ ) レンツブルク、シュロスリュートにて

<レンツブルク城>
4月1日から10月31日まで開館。
火曜~日曜日まで10~17時。月曜日と7月11日は閉館。
レンツブルク駅 ( Lenzburg ) からシャトルバスが運行している。
入場料大人10フラン、子ども5フラン。ハルヴィル城とのコンビネーション券だと大人16フラン、子ども8フラン。 ( 1フラン約100円 )
結婚式や個人のパーティーにレンタル可能だが、早めの予約が必要。
アールガウ州には80以上の城や砦がある。
7カ所は見学可能な遺跡。7カ所は博物館があり公開されている。10カ所は個人所有。そのほかは、州など自治体の所有建築物で、官庁、学校、牢獄などとして使用されている。

カール大帝がアール・ガウと呼んだ場所としてアールガウが778年の記録に残っている。レンツブルク城の元祖は、アール・ガウはカール大帝時代にベロ伯爵が支配していたが、伯爵の子孫がレンツブルク伯爵となり、ウーリッヒ2世が1077年に丘の上に造った。
ハプスブルク家は1273年、その当時のレンツブルク城主だったキーブルク家の婿養子となり、1415年までここに住んだ。その後ベルンの貴族、チューリヒの富豪、詩人などの手に渡り、19世紀には南極探検のロアール・アムンセンのスポンサーで、自らも南極探検を行ったリンカーン・エルスウォースが住んでいたこともある。

城主1代目リュート家は、1152年の古文書にルオダという名前で登場する。アールガウ地方の名家キーブルク家とハプスブルク家の家臣で、この土地に砦を建設したのが始まりだった。
その後、土地の名家やベルンの貴族などさまざまな城主に住まれたが、1942年に所有者となったガムス家は休暇を過ごすのに使っただけだったという。
1989年にはヘルベルト・シュトリットマッター氏が改築を目的として購入するものの、資金が続かず改築は頓挫した。
2006年、精密機械加工のエロワ ( Erowa ) が買収し、改築計画が進んでいる。

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