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時代とともに変わりゆくクリスマス

Thomas Kern / swissinfo.ch

ごちそうにプレゼント。火がともされたろうそく。クリスマスのこの時期を、ローマの詩人カトゥルスは「最高の季節」と呼んだ。現代、この最高の季節に、にぎわいを見せるクリスマス市。バーゼルとアインジーデルンの市を訪ね、スイスのクリスマスについて考えてみた。

 バーゼルのクリスマス市は、観光客を集める一大イベントだ。クリスマスの飾りや贈り物などを売る店がずらりと並ぶ。

 こうしたクリスマス市は、ほぼスイス全国の自治体でも開催される。スイスのクリスマスの伝統の多くがドイツ由来だが、これもそうで、世界最古のクリスマス市はドレスデンにあったという。その歴史は1434年までさかのぼり、最初の頃はクリスマス用の肉を買うところだった。

 しかし、バーゼルの市を含め、スイスのクリスマス市は、わずか10年そこそこの歴史しかない。

 こうした行事も含め、スイスインフォは、まずバーゼルのクリスマス市で、70歳以上の人々に子どもの頃と比べてクリスマスは変わったかと尋ねてみた。

 スイス中央部のアルトドルフ(Altdorf)出身の男性は、「クリスマスは家族で祝うものだった。プレゼントは、うちはあまり余裕がなかったので、実用的な靴下、シャツ、手袋などと、ちょっとした甘いものだった」と言う。

  

 コンサート会場へ向かう途中だった女性は、80年前はかなり今と違っていたと話した。「編み物や刺繡をたくさんしたし、詩を学んで暗唱し、クリスマスツリーの前で家族にそれを披露たりしたわね」

 バーゼルで世界中のクリスマスの飾りを売る店のヨハン・ヴァンナーさんの定義は、なかなか気が利いている。「伝統とは、それを語る本人が子ども時代に経験したことだ」

商業主義と宗教

 アインジーデルン(Einsiedeln)というスイス中央部の町は、大修道院で有名だ。日頃も参拝客や観光客でにぎわうが、ここのクリスマス市もバーゼルと同様大きな市の一つだ。

 主催者のジョゼフ・ビルヒラーさんによると一週間で7万から8万人が訪れるそうだ。最初は、修道院に向かう大通り沿いに屋台がいくつか並んでいただけだったが、やがて修道院の隣の大きな広場に場所を移し、2001年には町全体に広がった。

 売り手も買い手も今ではスイスからだけではなく、イタリア、ドイツ、オーストリアからもやってくる。屋台は何らかの形でクリスマスと関係がなければならない。

 ますます商業主義化するクリスマス市を、ビルヒラーさんは「これはクリスマスの宗教的側面と矛盾しない。今の時代、宗教だけではやっていけないからね」と笑う。

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贈り物

 ところでアインジーデルンで12月のクリスマス市に関係するイベントに、12月6日の「聖ニコラス(St. Nicholas)の送り出し」という由緒ある宗教的伝統がある。聖ニコラスに扮した人たちが、修道院で祝福を受けてから各家庭で待つ子どもたちのもとを訪れるというものだ。

 

 聖ニコラスは、贈り物と最も結びつきの強い聖人。11世紀から、いい子にしていた子どもたちには贈り物(みかんとピーナッツの入った袋)を持ってくるが、悪い子にはムチを与えることになっている。

 聖ニコラの祝日は、アインジーデルンだけではなく、スイスのドイツ語圏を中心にしたカトリックの地域で今でも行われ、12月6日に聖ニコラスに扮した人が各家庭を訪れたりする。しかし、プロテスタントの地域では16世紀初めに、12月24日にプレゼントとクリスマスツリーの飾りを持ってくる「クリストキント(Christkind)」つまり「幼子キリスト」に取って代わられた。

 余談だが、この聖ニコラスは、その贈り物を持ってくるという部分だけが強調されてアメリカに渡り、さらに聖ニコラスの茶色の服がコカコーラ社のシンボルカラー、赤と白に変わり「セントニコラウス」、つまり「サンタクロース」になったといわれている。

 さて、11世紀から始まった聖ニコラスの祝日。長い間「ご褒美と罰」というセットだったが、19世紀ごろから徐々にご褒美のプレゼントだけが強調される消費主義・商業主義に移行していく。

 贈り物についての展覧会を開催するバーゼル民族文化博物館のドゥニーズ・リュダンさんは、「19世紀には中産階級がより豊かになり、力を持つようになった。中産階級はクリスマスを自分たちの価値観(ものを持つ豊かさ)の礼賛に利用したのだ。また、宗教的な祭りを背景に、家族の大切さも礼賛した」と話す。

クリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日で、キリスト教の暦の上で大切な祭日だ。

しかし、キリストが生まれた日はおろか、年さえはっきりとはわかっていない。

4世紀ごろに、キリスト教の西方教会では12月25日が採用されるようになっていた。

この日は北半球では、1年で最も昼が短くなる冬至に近い。古来、冬至は異教の祭りだった。

教会はしばしば、異教の祭りをキリスト教の祝祭に転用した。

東方教会はもともとクリスマスを1月6日に祝っていたが、後に西方教会の日付に合わせた。

アルメニア使徒教会だけが1月6日に祝う習慣を続けている。

西欧では16世紀から徐々に、より正確なグレゴリオ暦が採用されるようになったが、東方正教会の多くは古いユリウス暦のままだった。

数百年がたつうちに、二つの暦のずれが広がった。ユリウス暦は今では13日遅れている。

その結果、正教会の大半と西欧のキリスト教世界とは足並みがそろっていない。2012年の正教会のクリスマスは2013年の1月7日にあたる。

例外はギリシャ正教会で、西方教会と同じ12月25日に祝う。

アルメニア教会エルサレム総主教庁では1月6日という日付だけでなくユリウス暦も残しているため、2012年のクリスマスは2013年1月19日に祝われる。

商業主義の流れ

 確かに商業主義は、19世紀からあった。1111点の商品を掲載した初のクリスマスプレゼント用のカタログが登場したのは1803年。これもドイツでのことだった。

 1886年に作詞された流行歌では、木馬、人形の家、木製やブリキ製のおもちゃというように、子どもたちがクリスマスにもらう素敵なプレゼントが列挙されるが、クリスマスの宗教的意味合いには触れられていない。子どもたちには、この楽しい日のために「ずっと前から」準備をしてくれた「優しいお父さんお母さん」に感謝せよというだけだ。

 このドイツで始まった商業主義は、全般に質素なスイスではそれほど広がらなかった。バーゼルの市を訪れていた年配客たちが思い出すように、長い間、生活必需品がプレゼントだった。ところが消費の傾向は、このところ強まる一方だ。

 「クリスマスは小売店やメーカーにとって年で一番のかき入れ時。毎年、売り上げを伸ばすためだけにたくさんの新商品が登場する。また、多くの人がエレクトロニクス商品を欲しがる。これは、生活必需品やちょっとした贅沢品から、高価な物への移行を意味する」と、リュダンさんは言う。

 それに、「プレゼントがどんどん高額化する結果、クリスマスは借金生活に陥る人が最も多い時期となっている」と言う。

ピーナッツやろうそくの香り

 ところで、こうした高価なプレゼントであふれる溢れるクリスマスの日はどのように過ごされるのだろうか? 

 スイスインフォのインタビューに答えた年配者の多くは、クリスマスを家族で祝うことの大切さを強調し、この楽しみを孫たちにも伝えていきたいと話した。実際、多くのスイスの家庭では、今でもクリスマスだけは「家族が集まり家族で祝う日」という伝統が強い(日本のお正月に似ている)。

 しかし、前出のバーゼルの市で出会ったヴァンナーさん(1939年生まれ)は、この家族だけの祝いを少し窮屈に感じていたようだ。

 「私が小さい頃、クリスマスは家族だけで祝うものだった。みな、窓やドアを閉めて家の中で過ごした。今はクリスマスでもレストランは開いているし、出かけることもできる。昔は、仲たがいして口をきかない者同士でも、家族だから家にいて同じテーブルを囲まなければならないといった問題がいろいろあったが、今はそんな問題は起こらない」

 とはいえ、ヴァンナーさんにも、子どもの頃のクリスマスの楽しい思い出はある。「60年以上前のがらくたのような、クリスマスの飾り物をまだ持っている。幼稚園で初めて自分で作った飾り。だんだん愛着が湧いてきてね。50年、40年、30年、20年前に自分がどんな生活をしていたかを、この飾りを見ていると思い出す」

 「オーブンから漂ってくる焼きリンゴの香ばしいにおい、ピーナッツやろうそくの香りも覚えている。私は今でも子どもの世界に住んでいるんだと思う」

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