歌川広重 人気の秘密
浮世絵師、歌川(安藤)広重(1797-1858)の晩年の美の集大成「六十余州名所図会」が現在、チューリヒのリートベルグ美術館の別館で公開中。日本でも70枚全部が揃うのは難しいという。
江戸時代の浮世絵のなかで葛飾北斎とともに風景画の完成者として知られている広重。日本では「東海道五十三次」を知らない人はいないが、西洋では印象派の画家、ゴッホが「亀戸梅屋舗」を模写したことで有名だ。西洋人から見た広重の魅力に迫る。
見所
今回の展示の見所は「浮世絵を通して日本全国を旅できること」と語るのは日本語が流暢なリートベルグ美術館学芸員、カトリーナ・エプリヒトさん。展示室にそれぞれの版画が日本列島のどの場所に当たるかが親切に地図で示してある。スイスにいながら日本の江戸時代を旅できる。
エプリヒトさんは広重の作品の魅力を「風景を通して季節、時間、天候の移り変わりなどが見られること」だと語る。満月、霧、月光、雪など湿潤で四季の変化の豊な日本の気象現象が巧みに取り入られている景色をみると「日本でいかに水が重要か」を実感するという。北斎とは対象的な豊かな抒情性を感じる。
江戸時代は庶民の旅行熱が急速に高まった時期だ。参勤交代制度で早くから海道や宿場の整備が促されたため、18世紀になるとあらゆる階層の人々がお参りなど頻繁に旅をするようになった。これが、広重などの風景、名所絵の人気を支えたのはいうまでもない。
スイス人は広重のどこが好き?
広重が没年まで描き続けた「名所江戸百景」は集大成として有名だが、「六十余州名所図会」も1853年〜1856年と晩年の作品で、それまでの広重の技術や経験を包括する作品だ。エプレヒトさんは「東海道五十三次と比べると人物像が少なく、人よりも風景に重心が置かれている」と語り、実験的な新しい染料を使った深い色合いが特徴だという。
葛飾北斎(1760−1849)と共に広重の浮世絵が19世紀の印象派画家に与えた衝撃は大きい。当時の西洋人に最も衝撃だったのは新しい構図の可能性だという。例えば、遠景と近景にある大小のモチーフの極端な対比や近景の拡大されたモチーフの画面端の切断などといった視覚上の面白さだ。
広重は情感を込めた描写に構成や演出で感受性のある風景画を創った。エプリヒトさんは「この“詩情”を踏まえた風景画のアプローチは西洋では見られない」と分析する。確かに広重の風景画は俳句の世界と共通する詩情に溢れている。
りートベルグの窓口
リートベルグ美術館はチューリヒの中心街から少し外れた丘にあるフォン・デア・ハイト男爵が収集したコレクションを集めた東洋美術館だ。この美術館の一部として街中に小さな展示室を設けたのが今回展示の行われている別館。別館の隣はチューリヒ市立美術館で現在、ちょうど「ホドラー風景画」展を開催中。「日本画家による日本の景色とスイス画家によるスイスの景色を比べてみるのも面白いのでは?」と提案しているようだ。展覧会では和紙に印刷されたA4版の広重の浮世絵が好評で良く売れているそうだ。
スイス国際放送、 屋山明乃(ややまあけの)
歌川広重の晩年の集大成「六十余州名所図会」は1853年に制作が始められ広重がこの世を去る2年前の1856年に完成した。
このシリーズはウィーンの応用芸術博物館(MAK)から貸し出されており、日本でも70枚(目録も含め)揃って見られることは非常に稀。
展示はチューリヒ中心部にあるリートベルグ美術館別館(Hischengraben 20)で6月2日まで展示されている。開館時間は火曜から日曜まで10時〜17時。水曜は20時まで。
日本航空とJALパック、クリエイティブツアーが協賛している。
<歌川広重の略歴−1797年生まれ〜1858年没>
-幕府の定火消同心安藤家に武士として生まれるが15歳のとき、浮世絵師を目指し、歌川豊広の門に入る。
-初めは美人画を描いたが、葛飾北斎に刺激されて風景画に転向。
-1831年、「東都名所」シリーズを版行、続いて名作「東海道五十三次」で大成功を収め、風景版画の第一人者に。
-「近江八景」、「江戸近郊八景」、「木曾海道六十九次」、「名所江戸百景」などのほか、花鳥画にも名作を残す。
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