熊川哲也「バレエの美は音楽に瞬時に反応することで生まれる」
日本バレエ界のスーパースター熊川哲也さん。かつて金賞を勝ち取ったローザンヌ国際バレエコンクールで、今年は審査員を務める。若いダンサー80人の動きを見つめ、伸びる可能性を5日間にわたり探り続ける任務は息つく暇も無いほどハードなもの。その合間を縫ってインタビューした。
男性ダンサーの踊りの魅力、同コンクールの意義や参加者へのアドバイス、そして熊川さんの将来の展望などに焦点を当てた。
swissinfo.ch : ローザンヌコンクールについて、お話しいただけますか?
熊川 : このローザンヌは特別なコンクールです。というのも若いダンサーにキャリアの扉を開いてくれる、世界唯一の高い水準のものだからです。
僕自身1989年に、ここで日本人初のゴールド・メダルを受賞しました。その1年前にすでに英国のロイヤルバレエ・スクールに入学していましたが、この賞のお蔭で評判があっという間に世界に広がりました。僕のキャリアにとって、このコンクールはとても大きいのです。
与えてもらったものが大きいので、お返しをしたい。そこで、今回2回目になりますが、ボランティアで審査員を引き受けました。そして、先輩として若いダンサーを助けられるなら、何でもしたいと思っています。
swissinfo.ch : 審査員としてダンサーの何を見ますか?またアドバイスはありますか?
熊川 : ダンサーがどのように踊り、変わっていくか。また、潜在的な可能性と柔軟性、適応性、そして内面的なものを見つめます。
このコンクールでは、プレッシャーに潰されないよう、とにかく自分を信頼し自信を持つことがとても大切です。それと集中力を持続させること。1年間、このために激しい練習を重ねて来ただろうからこそ、その集中力をここで落とさないことです。
でも、ここの5日間はハードです。普通のコンクールだったら衣装をつけ舞台で1回踊ったらそれで終わり。ところがここではスタジオで毎日朝から晩までコーチを受け、さらにその様子も絶えず審査されます。審査員はこうした毎日のプレッシャーに耐えられるかも見ているのですから。
swissinfo.ch : 熊川さんが「ドン・キホーテ」などで踊る姿はただ素晴らしいの一言です。ジャンプは驚くほど高く、正確で優雅です。どのような感動をクラシックで、特に男性のダンサーとして、伝えようとしていらっしゃいますか?
熊川 : 音楽が要(かなめ)です。音楽に瞬間的に反応することが大切です。音楽をすぐに自分の体の中に入れて消化し、動きに表していくのです。音楽に反応するには、自分の中にパッションがなければならない。音を心に響かせなければならない。音を愛さなければならないのです。
若いときは、どういう風にジャンプするかといったことに注意が集中します。しかし肉体的にも精神的にも成長すると、ダンスが違うように見えてくる。僕の歳になると、技術的なことはそれほど重要ではなくなる。むしろ、動きのラインや音楽を通していかに感情を表現するかといったことに関心が移って行くのです。
swissinfo.ch : それはコンテンポラリーでも同じですか?
熊川 : コンテンポラリーはもっと哲学的なアプローチが必要だと思います。自分の内面にもっと入っていき、現実に見えるものから自分を切り離す必要があると思います。
クラシックには伝統があり、定型化された形がある。しかしコンテンポラリーはそうではない。まったく違うアプローチです。
swissinfo.ch : 最近、ローザンヌコンクールでは男子ダンサーの数が女子ダンダーの数を超えるなど、急増しています。これは男性の踊りが近年高く評価されてきているからだと思われますか?
熊川 : バレエとは、いつも女性のバレリーナが注目される世界でした。しかし、伝説的なロシアのニジンスキーは非常に魅力ある男性のダンサー。こうしたダンサーも昔からいるわけですから、バレエの美しさという点からは、男性と女性のダンサーの魅力は同じだったし、これからも同じだと思います。
男性は運動という観点からすると、女性よりダイナミックな動きができる。若いエネルギーに溢れる男性のテクニックは、強い感動を瞬時に観客に与えられる。一方、女性のダンサーは線の美しさや深い感情表現を男性より早い段階でできるのです(男性は後からこうした面を習得していきますが)。
swissinfo.ch : ローザンヌでゴールド・メダルを獲得された1989年以降、男性ダンサーの踊りに対する姿勢の変化について教えてください。
熊川 : ユーチューブなどのせいで環境は変わり、ダンサーも、ほかのダンサーのスタイルを見てコピーできる。簡単にテクニックが共有される時代です。
僕が子どもだったころは、テクニックの習得が目標でした。偉大なルドルフ・ヌレエフやミハイル・バリシニコフのビデオをどこで手に入れられるかをまずリサーチし、苦労して見つけ出したら自分のお小遣いで買っていた。彼らのようになりたいと願って。
現代、若いダンサーはこうした偉大なダンサーの高いテクニックを(ユーチューブなどで)簡単に手に入れている。しかしそのお蔭か、僕の時代より早く成熟している気がする。テクニックがすべてではなくなり、テクニックを超えたところの動きのラインや形、内面性などに注意を向けている。これは良いことだと思います。
swissinfo.ch : 熊川さんは、ご自分で創設された「Kバレエカンパニー」のプリンシパルです。昨年40歳になられましたが、今後の計画は?第1線で踊りを続けるご予定でしょうか?
熊川 : 確かに身体的限界というものを知る必要はあります。僕の年齢になると、若いころのような動きは多少難しくなる。しかし、その一方でダンサーとしては今、成熟期にあると感じます。
音楽をもっと重視し、ダンサーたちと協調しながら踊ることやカンパニーのスタッフや衣装、照明など、あらゆるものとハーモニーを保ちながらやっていこうと思うようになります。
また、自分の演出・振り付けで、古典の作品を変えていく。ストーリーの複雑な部分を簡潔に分かりやすくしたり、同時に100年前にはできなかった動きを付け加えたりといったこともやっています。
Kバレエカンパニーは、非常に特殊なプライベートカンパニー。このカンパニーの「スター」である僕は、チケットを完売して経営を維持しなければならないという任務があり、こうした点からも今後もできるだけ長く踊っていきたいと思っています。
熊川哲也さん略歴
1972年、北海道に生まれる。
1982年、10歳でバレエを始める。
1985年、ロイヤル・バレエスクール入学。これは当時スイス人の振付師ハンス・マイスターが札幌に来たとき、熊川さんに強く勧めた結果。
1989年、ローザンヌ国際バレエ・コンクールで日本人初のゴールド・メダルを受賞。同年、東洋人として初めて英国ロイヤル・バレエ団に入団し、史上最年少でソリストに昇格。
1993年、プリンシパルに任命される。
1998年、英国ロイヤル・バレエ団を退団。
1999年、自身のバレエ団「Kバレエカンパニー」を創立。クラシックの作品を自身の演出・振り付けで、既存のバレエ公演のイメージを変える形に創作。
2003年、「Kバレエスクール」を開校。次世代のダンサーの育成にも力を注ぐ22006年、Kバレエカンパニーとして「ドン・キホーテ」「くるみ割り人形」の舞台成果に対し、第5回朝日舞台芸術賞を受賞。
2012年1月、「Bunnkamuraオーチャードホール」の初代芸術監督に就任。
ローザンヌにて
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