画家にして作家 フェリックス・ヴァロットンの輝かしい筆致

スイス人画家フェリックス・ヴァロットンの没後100周年にあたる2025年、出版や展示会など多様な記念事業がスイス各地で企画されている。画家としては国際的な名声を誇るヴァロットンだが、作家や戯曲家としての一面はあまり知られていない。この類まれなる芸術家が描いた軌跡を辿る。
ヴァロットンは、パリの前衛芸術を最も輝かしく体現する画家だ。作品のすべてが閃光のような輝かしさを放つ。風景画が捉える色彩の煌めき、裸体画に窺える高揚感、男女の親密な関係を主題に掲げたヴァロットンの代表作「アンティミテ」シリーズに見られる大胆さ…。中立国家のスイス出身でありながら、ヴァロットンの作品に中庸はない。
1865年、ローザンヌの裕福なプロテスタントの家庭に生まれたヴァロットンは、パリに移住するために祖国を離れた。以降、1925年に生涯を終えるまで、画家人生のすべてを光の都パリで送った。
フランスにやって来た弱冠16歳のヴァロットンは烈しい勇気に溢れ、その挑戦心が宿る瞳を「Autoportrait à l’âge de vingt ans(20歳の自画像)」が捉えている。この自画像はまさに未来を暗示する一枚だ。キャンバスに描かれたヴァロットンの瞳には、前衛的な芸術家たちが成功を求め、熾烈な争いを繰り広げる19世紀末のパリで名を馳せたいという強い意志が潜む。
果たして、ヴァロットンの才能は程なく見出される。パリの美術学校アカデミー・ジュリアンで学び始めると、そこで師匠たちの推薦を受け入学した芸術アカデミーで頭角を現し、自身も属したナビ派の画家と親交を結んだ。

パリで大願成就
やがて時は流れ、ヴァロットンは念願を達し、画家としては珍しく生前に名声を得た。そして1923年には、最後の「Autoportrait(自画像)」を完成させる(ヴァロットンはその生涯で通算8枚の肖像画を描いた)。だが、今回の自画像が写し取ったヴァロットンの眼差しは物憂げだ。その手にはパレットと筆を持ち、自らのアイデンティティを主張している。絵画の完成から僅か2年後、ヴァロットンはこの世を去った。
最初と最後の自画像を描く間に、ヴァロットンは膨大な数の作品を世に生み出した。絵画のみならず、無数の木版画、雑誌や書籍の挿絵、新聞のためのスケッチも制作した。記録されている作品は合計1704点、うち300点が世界各地の美術館に所蔵され、177点がスイス国内の美術館23館に収蔵されている。
こうした数字からもわかるように、ヴァロットンは極めて多作な芸術家だった。2025年はヴァロットン没後100年にあたり、スイスの主要文化機関がヴァロットンの功績を讃える展覧会を開催する。企画展はイェーニッシュ美術館(ヴヴェイ)、ヴィンタートゥール美術館、サンマテルノ城博物館(Museo Castello San Materno、アスコーナ)とローザンヌ州立美術館(MCBA)で開催され、ヴァロットン芸術の多彩さを実証する。
知名度の更なる上昇
ローザンヌのフェリックス・ヴァロットン財団キュレーター、カティア・ポレッティ氏は、「ヴァロットンは、フランスでは絵画で名声を得たが、国際的には木版画で評価された」と解説する。木版画の制作を通して、黒と白の大胆な構成で新たな芸術表現を生み出し、それを新聞の挿絵やイラストにも応用した。その結果、ヴァロットンは英国、ドイツ、米国の新聞からも依頼を受けるようになった。
ヴァロットンの名声は既に広まっていたものの、作品に対する評価が高まったのは、ここ15年ほどだ。ポレッティ氏によると、世界各地の主要都市で開催された素晴らしい展覧会が、ヴァロットン作品に対する評価をさらに高めた。「特に2013年にパリのグラン・パレで開かれた回顧展がひとつの転機だった」。「ヴァロットン展―冷たい炎の画家」と題したこの展覧会は、日にアムステルダムや東京も巡回した。冷静さと熱意を併せ持ち、観る者に情熱をかきたて、強烈な印象を残すヴァロットンの人物像を見事に象徴した。

ニューヨークのメトロポリタン美術館
ヴァロットンの評価はさらに高まり、2019年にはロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツとニューヨークのメトロポリタン美術館に作品が展示された。ポレッティ氏は当時を回想し、「五番街にヴァロットン展を告知する15メートルもの旗がひるがえる光景を見て、『すごい!』と圧倒された」と語る。
ヴァロットンは、彫刻家アルベルト・ジャコメッティと並び、世界で最も有名なスイス人芸術家のひとりだ。その知名度は、同郷のフェルディナント・ホドラーやアルベール・アンカーをも上回る。
「国際的に見ると、ヴァロットンはナビ派や象徴主義と結びつけられ、より普遍的な芸術家として認識されている」とポレッティ氏は解説する。対照的なのがベルン出身のホドラーとアンカーで、2人は地元に根付き、スイスの「象徴だ。ホドラーは、スイスの英雄ウィリアム・テルを描き、数々のスイスの風景画を残した。ホドラーの作品「Le faucheur(木を伐る人)」は、長らく100フラン紙幣に使用された。「この絵が伝えるのは、スイス人にとって重要な価値観である努力の精神だ。アンカーの作品も同様で、完遂された仕事に対する敬意が込められている」
永遠の芸術家フェリックス・ヴァロットン
ローザンヌ州立美術館チーフキュレーターのカトリーヌ・レプドール氏も、ヴァロットンは別格とみなす。「アンカーは、ベルンの村アネットの労働者を題材に取った絵画で労働を讃えた。アンカーとホドラーは偉大な画家だが、ヴァロットンほど普遍的ではない」。この差異を明確に実証するのがアート市場だ。昨今、ヴァロットンの絵画には 500 万フラン(約8億円)の値が付き、。これは「ホドラーやアンカーの作品では到底及ばない金額だ」という。

2025年秋、大規模な回顧展「Vallotton Forever外部リンク(仮題:ヴァロットンよ永遠なれ)」がローザンヌ州立美術館で開催される。約200点の作品が一挙公開予定で、今年の主要イベントの1つとして注目を集める。
フェリックス・ヴァロトンは不朽の存在だろうか? レプドール氏は「もちろん、回顧展のタイトルをそのように解釈できるだろう。本展はまさにヴァロットンへの愛の告白だ」と断言する。
「ヴァロットンは生前のうちにも芸術界に影響を与えた。今日でも、その作品群は芸術のみならず、文学や映画の世界に感銘を与え続けている」。こう語るレプドール氏は、チューリヒの文豪マルティン・ズーターの小説「絵画鑑定家」(2010年、ランダムハウス講談社)を一例に挙げた。
文学をつづる筆致
「絵画鑑定家」原著は2008年に出版され、2010年に映画化された。フェリックス・ヴァロットンの贋作「Femme nue devant une salamandre(仮題:サラマンダーストーヴの前の裸婦)」がオークションにかけられるミステリー仕立てだ。ヴァロットンが文筆家を魅了するのも至極当然で、あまり知られていないが、ヴァロットン自身も小説家であり劇作家だった。これは今年の記念行事の中で明かされた驚くべき側面である。ヴァロットンは内面の不安を昇華するにあたり、あらゆる文化的手法を駆使した。まさに悩める天才だったのだ。
ヴァロットンが上梓した小説3作「La vie meurtrière(仮題:殺人的な人生)」「Les soupirs de Cyprien Morus(仮題:シプリアン・モリュスの嘆息)」「Corbehaut(仮題 コルブオー)」は、いずれも没後に刊行された。これまで未発表だった6つの戯曲といくつかの寸劇が、ジュネーブの出版社ゾエから2025年10月に刊行予定の全1200ページに及ぶ書籍に収められる。出版プロジェクトを監修するのは、ローザンヌ大学(UNIL)ダニエル・マジェッティ教授だ。
マジェッティ教授の分析によると、「ヴァロットンの絵画には、19世紀末のブルジョワ社会に対する痛烈な皮肉が込められている。同様に、戯曲でもブルジョワ層に対する風刺が際立つ。ヴァロットンは当時の風潮に影響を受け、家族、結婚生活、そして制度全般に対する批判的な視点を持っていた」。ヴァロットンはパリで劇作家とも交流があった。「ヴァロットンは友人たちに演劇の道へ引き込まれたのかもしれない。さらに、大きな金銭的な不安を抱えており、舞台作品ならばすぐに収益が得られると考えたのではないか」
編集:Samuel Jaberg、仏語からの翻訳:横田巴都未、校正:ムートゥ朋子

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