第63回ロカルノ国際映画祭 形式を追求する山内監督
「物語よりも形式に比重を置いた映画を作ってみたいと思った」と山内崇寛( たかひろ ) 監督 ( 31 歳 ) は言う。
この形式が骨格を成す作品「21世紀」は、多くて2本の長編を作った経験を持つ若い才能を発見するための「新鋭監督コンペティション部門」に、今年の19本の一つとして選ばれた。「ロカルノにこられたこと自体が夢のようだ」と語る山内監督の、新しい映画への挑戦を聞いた。
主人公が撮った映画だという形式
映画は新年を祝う花火の映像が線画のように数分続き、いかにも物語がない実験映画のようにして始まる。子どもが溺死し、火炎ビン製作中に男性が事故死するといった数秒間の映像の後、若い女性主人公カナンが登場。実は、この2人はカナンの兄と父であり、彼女の追憶だったのかと後で理解される。
この登場したカナンが小さな女の子と歩くシーンが続く。一瞬自分の子どもなのかと思うが、2人の視線も会話も絡むことがない ( 例えば女の子はママとあらぬ方向を向いて叫ぶ ) 故に、そうではないと理解する。
「迷子になったような浮遊している人物をまずイントロに出すことで、宙ずり状態でこのまま続く映画であることを示したかった」
と山内監督は言う。
やがてビデオカメラで自分の部屋の隅を撮影するカナン。「殺さないで」とつぶやくところから、悪意のある幽霊を撮影していることが察せられる。撮った映像をもう一人の兄や弟を訪ねて見せるのだが、兄たちに映っている幽霊は見えていない。
ある日、夜道で松明を持った幽霊が通過した後、数人が次々に自動車にひかれて亡くなる場面に遭遇するカナン。邪悪な霊を撮影し復活させたが故に、地獄のような経験をするのだ。「わたしと母を最後にもうやめて」とつぶやくカナン。やがて母親も亡くなり、カナンも亡くなったであろうと感じさせながら、最後に本人が幼い頃、溺死した兄と楽しそうに歩く風景で幕が閉じる。
以上のようにまとめるとやはり物語は存在し、ホラー映画のように思われがちだが、カナンは邪悪な霊にも、死者たちとの遭遇にも無表情のままで、兄弟や母たちともほとんど会話はなく、事実だけが淡々と語られる。従ってこれらの話しは本当なのか、カナンの夢なのか分からない上、言いかえると物語を伝えることが山内監督の意図ではないと察せられる。
そのあたりを山内監督は
「事件を捜索したら邪悪なものに突き当るという、いわゆるホラー映画の形式と家族映画の形式を借りて、まず第1層の骨格の形式とし、第2層目に兄弟たちに会って行くという物語らしきものがあり、第3層目に僕ではなく、カナンが撮った映画だという形式があり、この3層でできていることが伝わればと思う」
と説明する。
また
「中でも第3層の部分、自分の過去や ( 邪悪なものに囚われている ) 現在に距離を置き、俯瞰した見方ができるカナンという主人公が、自分の物語を語ると言う形式でできた映画だ」
と強調する。従って、カナンはリアクションのないキャラクターであるし、またカナンがすべての映像を撮っているかのように見せるため、遠くから撮った少しピントの合わない景色など、アマチュア的な稚拙さをわざと前面に出しているとも言う。
ジム・ジャームッシュへの一つの答え
4年前にジム・ジャームッシュの「ブロークン・フラワーズ」に影響を受け、この「21世紀」を作ったと山内監督は言う。これは中年の男が昔の恋人から、19歳になる息子がいるという手紙を受け取り、その息子を探す話だ。しかし差出人が4人のうちのどの恋人なのか分かっていない。
「恋人たちに会いに行くのだが、会っても何の進展もない。謎もとけず息子も見つからず、ただ会ったというだけ。結局物語はあるようでもメッセージはなく、主人公は外部の人との関わりに興味がなく、自分を見つめている映画だと思った」
では何に感動し影響を受けたのか。
「主人公ビル・マーレイのちょっとした苦笑いとか、戸惑っている様子だとかにまずは感動した。また、家族映画の形式を借りながら、良くない道徳というか、人間を相手にしていない映画を作っている。もともと映画が人間をしっかり捉えられるのかという疑問があるが、それができないのではないかということを提示している潔さに感動した」
と話す。
「映画は人間を捉えられないのでは」というメッセージをジャームッシュから受取った山内監督は、それを「21世紀」の中でカナンが第3者としての自分を見ている形式に繋げていった。
さらに
「人は自分自身を客観的に眺められるのかという疑問もあり、もし眺められるとしたら、バラバラになった ( 思い出や現在の進行中のできごと) の 断片だけを寄せ集めたものになるのではということを提示したかった」
これらの試みを
「ジャームッシュが投げかけた質問に、地方の自主映画に過ぎないが、答えてみたという感じだった。もちろん多くの答えの一つとしてだが」
と謙虚に、しかし強い挑戦の意欲を覗かせる。
監督たちの応答現象
実は「21世紀」というタイトルもこうした、ある監督への応答を行う21世紀の現象に関係している。
「ゴダールは『愛の世紀』の中でスピール・バーグの批判をし、それにスピール・バーグが『ミュンヘン』を制作して応答している。また、ジム・ジャームッシュとヴィン・ベンダースが非常に似た映画を同時に作り、21世紀に入ってから突然こうした監督同士での相互関係が出てきたと思う」
それで山内監督も、世界の片隅で「こうした応答関係に賛成」の声を出して見たくてタイトルを「21世紀」にしたという。「結局、映画もほかの多くの映画との関係性の中で出来上がるものだから」という。
上映会の後に観客から「ふとした一瞬にいいところが沢山あった」と言われてうれしかった。映像構成の第3層、つまりカナンが自分を客観的に見つめながら寄せ集める断片みたいなものを受取ってもらったようでうれしかったと顔をほころばす。
今後の制作は?
「単に物語だけを語ることは、もうここまで考えてしまったら無理なので、つまり形式があるが故に自分を規制する部分が出てくると思う。でも、ぼくは娯楽映画も好きなので、多くの人に楽しんでもらえるような映画を、あくまで形式を踏まえながらも作れたらと考えている」
と結ぶ。
2010年、ベータ・デジタル、60分、カラー
監督、脚本 山内崇寛( たかひろ )
撮影 嬉野智裕
編集 山内崇寛
音楽 井上孝浩
出演 中元未玲、嬉野智裕、中元一磨、山内さつき、川畑洋康、谷口彩
1979年、石川県に生まれる。
15歳の頃から自主映画を撮り始める。
1987年、大阪芸術大学映像学科入学。
卒業後、石川県で自主映画を制作する。
2010年、ぴあフィルムフェスティバルで「PFFアワード2010」に入選。
その後、「第63回ロカルノ国際映画祭」の「新鋭監督コンペティション部門」にノミネートされ、8月10日から13日まで上映された。
スイス、ティチーノ州ロカルノ ( Locarno )市で8月4日から14日まで開催。
ヨーロッパで最も古い国際映画祭として、また新人の監督やまだ知られていない優れた作品を上映することでも有名。
カンヌ映画祭などは限られた映画関係者だけでの上映に対し、ロカルノは一般の客が映画を楽しみ、監督もその反応を感じるという点でも、特色を成す。
ワールド及びインターナショナル・プレミアの作品のコンペ「国際コンペティション ( International Competition )、」新鋭監督作品のコンペ「新鋭監督コンペティション ( Film-makers of the Present Competition ) 」などの部門がある。
今年は国際コンペティションに18本、新鋭監督作品コンペティションに19本が出品された。
国際コンペの1位に「金豹賞」が贈られる。
また、ロカルノ市の広場ピアッツァ・グランデでは、ビッグスクリーンの前に8000人近い観客を集め、一般に人気のある作品16本が上映される。
ロカルノにて
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