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津波によって荒廃した地域では、内陸へ運び込まれた防波堤の石が転がっていた。
2014年、福島第一原発から約15キロの距離にある福島県南相馬市小高区にて撮影。
Jean-Patrick Di Silvestro
再建された海辺の町の様子。
岩手県陸前高田市にて
イラスト・Matthieu Berthod
地震の傷跡。
福島県大熊町
Jean-Patrick Di Silvestro
廃屋。
福島県南相馬市小高区
Matthieu Berthod
高齢者がボランティアで、汚染区域の除染作業をする様子。
福島県浪江町、2014年3月撮影
Jean-Patrick Di Silvestro
汚染区域で除染作業をする高齢者。
福島県浪江町にて
Matthieu Berthod
福島第一原発から約3キロの距離にある立ち入り禁止区の双葉町の様子
2014年3月撮影
Jean-Patrick Di Silvestro
廃墟したパチンコ店。
福島県南相馬市小高区
Matthieu Berthod
2011年から放置された自転車。
避難指示区域の双葉町にて。
Jean-Patrick Di Silvestro
立ち入り禁止区域。
福島県大熊町
Matthieu Berthod
放射能で汚染された地域で清掃作業をするボランティアの方。
「この土地で再び耕作することができるよう、後世代のために」
Jean-Patrick Di Silvestro
高齢者がボランティアで、汚染区域の除染作業をする様子。
2014年、福島県浪江町にて
イラスト・Matthieu Berthod
住人は街を去ったにもかかわらず、自分のお店を開店しているオカザキさん。
福島県南相馬市小高にて。2014年3月撮影
Jean-Patrick Di Silvestro
報道する旅の途中で立ち寄った食堂。
仙台にて
Matthieu Berthod
津波で破断した堤防。
福島県南相馬市小高区にて
© et nom du photographe obligatoire
津波によって廃墟した風景。
岩手県陸前高田市にて
Matthieu Berthod
東日本大震災から6年。3月11日は、世界中から改めて被災地に想いを馳せる日だ。スイスインフォでは、震災後に現地へ足を運び、現実を肌で感じとったスイス人の視点で表現されたイラストと写真を10カ国語で紹介する。
このコンテンツが公開されたのは、
2017/03/11 11:00
上原 亜紀子
横浜市出身。1999年からスイス在住。ジュネーブの大学院で国際関係論の修士号を取得。2001年から2016年まで、国連欧州本部にある朝日新聞ジュネーブ支局で、国際機関やスイスのニュースを担当。2016年からswissinfo.chの日本語編集部編集長。
マチュー・ベルト, ジャン・パトリック・ディ・シルベストロ, 上原 亜紀子
スイスで今月出版された『波の後―福島周辺』と題する本の著者であるマチュー・ベルトさんとジャン・パトリック・ディ・シルベストロさんは、津波被害のあった海岸地区での衝撃的な光景や、福島第一原発事故により避難指示のあった町村へ帰還した人々の「生きる姿」を切り取り、白黒のイラストとカラー写真をとおして震災後の被災地の様子を伝える。
被災地では現在、震災からの早期復興へ向けて帰還政策が進められているが、被害の爪あとは未だ深く、現地が抱える課題は山積みとなっている。被災地域が環境被害から回復し、被災者が生活を再建するには、依然厳しい状況だ。
福島第一原発の廃炉措置、除染作業、今後のエネルギー政策、放射性物質による健康への影響、汚染された環境といった問題への対策に加え、被害地域へ帰還する人のためのインフラ整備やその地域で高齢化する社会構造の変化といった新しい現状課題にも直面している。
「この本は、人類がこれから先に抱えていく『課題の始まりの一つ』をちょっと報告するだけーー」と本の著者は語る。そして同時に、再建されつつある被災地の町並みや、放射能で汚染された地域で清掃作業を行う方の笑顔に光をあてる。
(イラスト・Matthieu Berthod、写真・Jean-Patrick Di Silvestro、文・上原亜紀子)
*詳しくは 「写真とイラストで震災後の福島で「生きる姿」を伝えるスイス人 」(3月9日付けの記事)に掲載されました。こちらも併せてご覧ください。
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写真とイラストで震災後の福島で「生きる姿」を伝えるスイス人
このコンテンツが公開されたのは、
2017/03/09
福島で震災が起きてまもなく6年。震災後の福島の様子を伝えようとするスイス人がいる。ジュネーブに住むマチュー・ベルトさんとジャン・パトリック・ディ・シルベストロさん。津波被害のあった海岸地区に未だに残る荒廃した光景や、福島第一原発事故により避難指示のあった町村へ帰還した人々の「生きる姿」を、イラストと写真を交えた「波の後―福島周辺」と題する本に映し出して海外に伝える。
福島では政府が提案していた避難指示が次第に解除され、帰還困難区域における復興政策が推し進められる。そんな中、イラストレーターのベルトさんは福島第一原発から15キロ圏内の立ち入り禁止区域に入り、「普通なら誰も行かない場所」での光景を白黒で、質朴な線で「事態の重大さ」を表現する。そして、一緒に報道の旅をした写真家のディ・シルベストロさんは、震災の跡をたどり、写真家にとって「誇張することのない現実」をカラー写真で紹介する。2人は『波の後―福島周辺』で、廃墟と化した町並みと共に避難解除によって帰還した住民がそこで「生きる姿」を紹介する。
まず目を奪われるのは、2014年3月に南相馬市小高区で撮った津波の威力を見せつけられる写真。津波によって三角形の防波堤のコンクリートが内陸3キロメートルのところまで打ち上げられている。この地域では、「ただ冷たい突風が吹いていて、壊れた家を吹き抜ける風の音が響き、たまにカラスの鳴き声があった。それ以外には何も無かった」と振り返って話す。そして、この放射能で汚染された地域で、ボランティア活動でゴミを拾う高齢者の方々に出会った。「荒廃した土地で一生懸命に掃除をするハノイさんという80代の女性に会った。『この土地で再び耕作することができるよう、後世代のために』と言って、何千年もかかるであろう無意味とも言える努力をしていた」とディ・シルベストロさんは語る。「しかし、この女性には普遍の笑顔があり、尊厳を感じた」とベルトさんが付け加える。
さらに2人は、「たとえ健康被害への危険性が高くても、将来への希望を持って、悲劇の後に再編成しようとする人々の日常生活」を描写する。当時、小高町で唯一開いていたという店での写真は、90歳近い女性が、客のいない店を清掃している。「店を閉じていてもしょうがないでしょ。生活が人生をもたらすのよ」と語ったのが印象的だったともディ・シルベストロさんは話す。
陸前高田でのイラストは、父親が赤ちゃんを抱きかかえ、母親が子供の手を引いて道路を渡ろうとする家族で、一見すると普通の日常の風景。だが、ベルトさんによると、背景にある海辺のカフェは震災の津波で完全に損壊したが、再び同じ場所に同じように再建されたもので、若い家族のシーンからは「生を感じて」描いたのだという。「イラストなので、角度を変えて時間をかけて何枚も撮る写真とは違って、さっとその場で感じたものを瞬時に描くことができた」
この報道をするため、何日間も「低放射能といわれる時期」を避難地区で過ごしたという2人。「危険でないとは言えない思う」と明かす。「低放射能を浴びるということで、今は健康被害がないかもしれない。でも、次世代への影響は分からない。分からないからこそ、危険だと思っている」と言う。
「この本は、人類がこれから先に抱えていく『課題の始まりの一つ』をちょっと報告するだけーー」
1969年にはスイスでもヴォー州リュサンの原子炉研究所で放射物質漏れが起きたことを忘れないで欲しい、と写真家は願いを込める。
『波の後―福島周辺』(Notari社出版)
ジュネーブ在住のマチュー・ベルトさんとジャン・パトリック・ディ・シルベストロさんが、震災後のフクシマの様子を白黒のイラストとカラー写真で伝える。ディ・シルベストロさんは、2013年3月から定期的に被災地を訪れているが、撮影は2014年3月にベルトさんと一緒に報道の旅をした時のもの。この本は、3月1日よりスイス仏語圏の書店で販売されているが、4月29、30日にジュネーブで開催されるブックフェアで紹介される。来月からはフランスを始め、カナダやベルギーの書店でも販売される予定。*3月11日には「波の後―福島周辺」に掲載されている写真とイラストの一部をギャラリーで、10カ国語にてご紹介します。
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