「日の出ずる国」 スイス人が見た200年前の日本 前 次 いまから2世紀前、スイス人としては初めて日本を訪れたヨハン・カスパー・ホルナー(1774年〜1834年)が残した水彩画がチューリヒの民俗博物館で発見されたのは去年のことだった。天文学者でもあったホルナーは、ロシア皇帝アレキサンダー1世が1803年に派遣した世界一周の探検団に参加した。最終的に決裂する日露通商交渉が長引く間の1804年の秋から翌年春まで、ホルナーは船から見える港や長崎や北海道の街の様子を水彩画として残した。swissinfoでは、ホルナーの水彩画119枚を再発見したフィリップ・ダレス氏の協力を得、そのうち一部をフォト・ギャラリーで紹介する。 swissinfo.ch ロシア探検隊の船「ナデスダ(希望)」号(画面左下)以外にも長崎の出島には外国船が停泊していた。オランダ商館も遠方に描かれているが、このアングルから実際は見えないことから、ホルナーが意図的に描き足したものとされる。 swissinfo.ch 1806年2月6日、ロシア隊員は日本人を驚かせようと和紙で気球を作り、空高く浮かばせた。風が吹き長崎の方へ飛ばされたが、浮力を失い、民家の屋根に落下してしまった。しかも、屋根が燃え出し大騒ぎとなった。気球はロシア人の武器と間違えられ、日本侵略の意図があると噂される始末だった。 swissinfo.ch 長崎港に停泊する長崎奉行の船には大砲などはなく、ごく簡単な武器しか持ち合わせていなかったことは、ロシア隊にとって驚きであったと隊員のひとりが帰国後に語っている。 この絵では日本側の軍事演習が山間と港の近くで行われている様子が描かれているが、ロシア隊に日本の軍力を印象付けようとしたのではないかと見られる。 昨年、当時の大統領ジョゼフ・ダイスが天皇皇后両陛下に会見した際、この絵の複製が贈られた。 swissinfo.ch オランダ商館付近の風景。画面上部にある灰色の建物は、寺院とみられる。天幕が張られた船は何度かホルナーの絵に登場する。 昨年、ジョゼフ・ダイス前大統領兼経済大臣が日本を訪問した際、スイスから日本との友好関係を感謝する意味で小泉首相にこの絵の複製が贈られた。 swissinfo.ch ホルナーのサインがある唯一の水彩画。ロシア隊の記録によると、カラフルな天幕の中には「肥前のプリンス」が乗っていて、何度もロシア船を見学にきたという。肥前藩の船からは、太鼓の音が聞こえてきたが、漕ぎ手のリズムを取るためだった。肥前の旗の横にロシアの双頭の鷲の旗が描かれているが、これはホルナーが描き加えたと見られる。 swissinfo.ch 描かれた場所は不明だが、長崎港の近くと見られる。左側に見えるのは漁村。 swissinfo.ch 長崎港に寄航して6ヶ月が経ったが、交渉ははかどらずロシア隊は北海道に向けて出航する。日本との通商条約を結ぶというロシア隊の使命は結局達成されなかったが、隊員のひとりだったスイス人、ホルナーの水彩画は、200年を経て、再び脚光を浴びるようになった。2007年には、チューリヒの民俗博物館で、ホルナーが参加したロシア隊についての展示が催される予定である。 swissinfo.ch 画像 1 画像 2 画像 3 画像 4 画像 5 画像 6 画像 7 画像 8 このコンテンツが公開されたのは、 2005/03/10 14:56 swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。 他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。
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