スイス随一の名将軍アンリ・ギサン 検閲で守った命とイメージ
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第二次世界大戦中にスイスの命運を背負ったアンリ・ギザン将軍(1874~1960年)。その功績と人物像に対する高評価は今も不動だが、その裏には厳しい検閲を伴う国策上のイメージ戦略があった。
swissinfo.chでは、スイス国立博物館のブログ外部リンクから歴史に関する記事を定期的に紹介します。ブログの記事は原文のドイツ語に加え、通常フランス語と英語でも掲載されています。
2011年、テレビ視聴者はアンリ・ギサン将軍を「20世紀を代表するフランス語圏スイス人」に選出した。スウォッチ グループの創始者ニコラス・G・ハイエック、物理学者オーギュスト・ピカール、宇宙飛行士クロード・ニコリエ氏、現代美術家ジャン・ティンゲリーなどスイスの著名人としてして知られる多数の候補者を抑えての快挙だった。
1941年、スイスのナチスによるギザン将軍の暗殺計画が電話の盗聴から判明した。当時、スイス軍の最高司令官の職にあった将軍は、1940年のリュトリ演説以来、レジスタンスを象徴する人物だった。だが居どころさえ特定されなければ暗殺は回避できる。情報流出を避けるため、シュピーツ、ギュムリゲン、インターラーケン、イェーゲンストルフといった将軍の指揮所や、ベルンのシェンツリハルデ通りにある小さな自宅アパートの所在地は世間から秘匿されていた。
このためギザン将軍の所在地を特定しうる情報や画像の公開はご法度になった。商業目的で将軍を利用することも固く禁じられた。戦時下に報道の自由を制限する有事報道法に、次の規定が1940年から1942年にかけて段階的に組み込まれた(スイス有事報道法の概要の注8c外部リンク):
将軍の居場所について
以下の行為を禁ずる。
一 将軍自身または正式に権限を与えられた士官が承認した場合を除き、行進を含む将軍の訪問や移動に関する情報の伝達
二 兵士が関与する、または兵士に向けた式典等における、宣伝目的での将軍の画像利用
三 将軍やその他高官の露出に関連する告知の事前検閲を怠ること
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1943年8月を境に、ギザン将軍の肖像権はさらに厳格に管理されるようになった。「あらゆる形式(出版物への掲載、店頭や一般に公開された場所での展示、小売りの絵はがきなど)で公開が予定される将軍の画像のすべてを検閲対象とする」として、将軍の写真はすべて、将軍直属の幕僚に提出することが義務づけられた。各地司令部の報道局長がギザン将軍の肖像権に責任を負い、写真の無断使用に目を光らせたり、幕僚が可否判断や監視を怠っていないか監督したりした。
実際には法律よりはるかに厳しく肖像権が管理され、ギザン将軍の生命の安全確保に役立った。措置だった。同時に、将軍の秘密外交の保守にも貢献した。実のところ、将軍による 外交は、軍隊指揮官としての任務をはるかに超越していた。その外交努力とは、「スイスの強い抵抗の意志」という不変のメッセージを、ドイツ、米国、英国に対して同等に、公の場あるいは機密の下を問わず、たゆみなく伝達することだった。
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ギザン将軍の秘密外交
外交交渉を秘密裏に進めるには緻密さが不可欠だった。ギザン将軍は1941年1月22日、ギュムリゲン城で米国のバーンウェル・レット・レッグ駐在武官と非公開の会談を行い、スイスの防衛体制に関する詳細を説明した。このような機密情報は、軍内で将軍に対立する親ドイツ派のウルリヒ・ヴィレ・ジュニア、オイゲン・ビルヒャー、グスタフ・デニカー・シニアなどに許可なく開示されてはならなかった。
同じヴォー州出身でギザン将軍と犬猿の仲だったマルセル・ピレ・ゴラ連邦閣僚のような人物の手に渡るのも論外だった。ピレ・ゴラには、輪番制の連邦大統領を務めた1940年に行ったラジオ演説の弱々しさや、親ナチス派「スイス国民運動」代表団と面会したことで猛批判されていた。
1940年9月21日付の地域紙ラインフェルダー・ツァイトゥング・フォルクスシュティメは、この件についてピレ・ゴラが「拙かっただけでなく、連邦大統領という立場にありながら、連邦内閣の合議制の原則と相容れない手法を用いた」と指摘した。たとえピレ・ゴラが世慣れていなくても、せめて現職の連邦閣僚らしく振舞う必要はあっただろう。ギザン将軍の活動を取り巻く機密は非常に厳重に守られ、バーンウェル・レット・レッグ米国駐在武官でさえも会談についてはベルンの米国代表や米国国務省には通知せずに、米戦争省(現国防総省)に直接電報を打った。
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ギザン将軍は安全を確保し、自身の行動を批判的な目にさらさぬよう、将軍としての立場を利用してイメージを守った。画像を含む検閲には、明確な意図があった。
1941年6月2日、ブレンナー峠で行われたヒトラーとムッソリーニの会談の公式議事録によると、ヒトラーがスイスを「最も嫌悪すべき、最も惨めな国民と政治制度」と称し、ムッソリーニがスイスを「時代錯誤」だと形容した。さらに翌日には、ヒトラーの側近マルティン・ボルマンがウィリアム・テルの失脚を次のように揶揄した。「総統はシラーの戯曲『ウィリアム・テル』がもはや上演されないことを望んでいる(略)ハイル・ヒトラー!」。そんな状況下で、ギザン将軍は力強い人物だと大衆に印象付ける必要があった。
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背後には虚栄心も
ギザン将軍のレジスタンス精神は賞賛に値する。だが写真に対する検閲は、将軍の虚栄心とはまったく無縁ではなかった。2015年、ギザン将軍が最後に総司令官として采配を振るったイェーゲンストルフ城で展示会が行われた。会場では、スイス連邦公文書館が提供したギザン将軍の写真の展示にひとつのショーケースを丸ごと充てた。
展示された写真は、ギザン将軍直属の幕僚による検閲を受け、お蔵入りになっていたものだ。当時、並べると数メートルにも及んだ大量の文書箱には、タバコを吸っている将軍の写真(大の愛煙家だった)や女性と一緒に映る写真(将軍は既婚ながら女たらしだった)が多数、収納されていた。
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ギザン将軍のイメージ管理は概ね功を奏した。アメリカの武官や英国の特使との密会は確かに機密のまま保持された。しかし、西側外交官や軍事外交官との会談とは異なり、ギザン将軍がナチス党の国外諜報局局長であり後に親衛隊少将となったヴァルター・シェレンベルクと密会した、ビグレンとアローザでの会談(スイスの諜報機関を統括していたロジェ・マソン大佐が手配)は公になった。この件で事前に報告を受けていなかったスイス連邦内閣は、ギザン将軍を叱責した。
ギザン将軍にも、やはり虚栄心はあった。連邦内閣に対して不信感を持つ最高司令官としての姿勢は物議を醸すが、理解を示す声も聞かれる。レジスタンス精神も虚栄心も、ギザン将軍の功績を汚すほどではない。将軍を不動の「20世紀を代表するフランス語圏スイス人」に選出したスイス国民の目は節穴ではなく、今後もそう評価され続けるだろう。
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ミュリエル・シュルップ(Murielle Schlup)氏はフリーランスの美術史家・文化科学者。
仏語からの翻訳:横田巴都未、校正:ムートゥ朋子
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