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「民主主義は、全ての人民に開かれた自由な議論の場」 スイス人演出家ミロ・ラウ氏

仮面を馬車に乗る人々
本人提供

9月15日は国連が定めた国際民主主義デー。スイス人演出家ミロ・ラウ氏に、スイス国民投票の「儀式的な」役割や、世界の政治参加をめぐる状況について聞いた。

「ヨーロッパ演劇界の寵児」ラウ氏は、現実と芸術、アクティビズムの境界を曖昧にする作風を通し、過去20年で欧州のトップ演出家にのし上がった。

歯に衣を着せぬ世界政治の観察者としても知られ、現実に起きた事件や事象を演劇に取り込み、その中で問題と向き合うアプローチを得意とする。

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今年からオーストリアの音楽・演劇の祭典「ヴィーナー・フェストヴォッヘン」の演出を手掛ける同氏に、直接民主主義、非自由主義的民主主義、そして演劇で表現する民主主義について聞いた。

swissinfo.ch:イタリア、コンゴ、ロシア、ベルギー、ブラジルにおける十数年の活動を経て、あなたは今年「ヴィーナー・フェストヴォッヘン」のアーティスティックディレクターに就任しました。「グローバル・リアリズム」と呼ぶアプローチを貫き、ドイツで生活していますが、スイスで年4回行われる国民投票には、今も郵便投票で参加していますか?

ミロ・ラウ:はい。投票には必ず参加するようにしています。スイスの投票制度は地方レベルと国家レベルとがリンクするように設計されており、諸外国では珍しいケースです。他国の場合、たとえ全国的な投票でも、有権者は自分が住む小さな村の利益のためだけに投票しがちです。例えばオーストリア自由党(FPÖ)やドイツの「ドイツのための選択肢(AfD)」のような極右かつポピュリストの政党が提唱する保護主義は、地方レベルでは理にかなっていても、国家レベルでは通じません。スイスでは年4回投票が行われるおかげで、私たちは2つのレベルを行き来して物事を判断できます。

最近、スイスは「うまく機能する民主主義の模範」だと発言した理由は?

スイスでは、他国なら専門家に判断を委ねるであろう案件でも、私のような一般人が決定できます。しかし本当に素晴らしいのは、軍隊の廃止であれ、企業役員の報酬の上限設定であれ、投票後は誰もがその結果を受け入れることです。つまり投票は対立を生む反面、国民を団結させる儀式でもあるのです。その背景には、比較的小さな国土にさまざまな地域や言語、文化が混在するスイスの多様性があります。これは古代アテネにも似ています。市民が決めたことは、皆で一丸となって実現させる――それが古代アテネの強みでした。

あなたはスイスの国民投票を「カタルシスのようなもの」とも表現しています。しかし投票するという儀式的な行為自体より、出された投票結果の方が重要なのでは?

私が伝えたかったことは、オーストリア自由党のようなポピュリストが思い描く直接民主制と、直接民主制の本来のあるべき姿との違いにも通じると思います。実際、投票結果は法律化される前に、連邦議会や専門機関が内容を調整する必要があります。つまり案件は必ずしも有権者の決定通りに実施されるわけではなく、人権に反する内容などは全く反映されません。だからこそ、(気持ちがすっきりするという)カタルシス的な要素が非常に重要なのです。民意が表面化し、往々にして社会的対立が浮き彫りになる瞬間に、自分の意見を述べ、耳を傾けてもらうというプロセスが。

ミロ・ラウ氏
Georg Hochmuth / Keystone

人権に反する有権者の決定と言えば、オーストリア自由党やスイスの国民党(SVP/UDC)は欧州人権条約に対して非常に批判的で、民意にそぐわないと主張しています。地域の民主主義と国際的な権利の間にはひずみがあるのでしょうか?

この緊張関係は、あらゆる大きなプロジェクトにつきまとうものです。国家建設も同じです。法律や制度作りにおけるリベラルなアプローチと、国民の「一般意志」をより重視するルソー的なアプローチとの間には、昔からバランスが求められます。があります。スイス連邦議会に上院と下院があるのもそのためです。また、スイスでイニシアチブ(国民発議)が成立するためには、有権者と州の「二重の過半数」が必要です。つまり、広く一般に支持されている案件でも、少数の国民によって潰されることがある。国際レベルでは、ポピュリストの誤った決定に対し、人権機関が目を光らせ少数派の権利を守っています。

何に関しても、重要なのはバランスです。例えば欧州連合(EU)には非常に強力な体制がありながら、人々にはそれに影響を与える手段がない。これは大きな問題だと思います。EUレベルで直接民主主義を強化すれば、(民意を離れエリート専門家に国の統制を委ねる)テクノクラシーとしてのEUが抱える数々の問題はおのずと解決するでしょう。

あなたがスイスの民主主義を称賛するのは、これまでの姿勢からすると意外でした。2015年には、スイスのポピュリズムや資本主義、偏狭さに言及し「この国は道徳的に深く病んでいる」と発言していますが……。

グローバル経済において、欧州諸国の大半は今も道徳的に病んでいます。スイスはその極端な例です。食品大手ネスレや、鉱山・資源大手グレンコアのように、グローバル・サウスの過激な搾取で成り立っている企業が納める税金を、私たちの誰もが黙認している。「道徳的に病んでいる」側面とは、こうした企業の逃避先としての地位を維持しようとする国の姿勢です。しかしこれは、民主主義制度に関する議論を超えた問題です。確かに民主主義制度は、少なくともこうした状況を変える方法を提供しています。しかしそれはセクハラ騒動「#MeToo」のさなかもセクハラを犯した偉大な映画監督の作品を賞賛するようなものです。

ミロ・ラウ氏
Joe Klamar / Keystone

今年は世界各国で選挙が多く行われる「史上最大の選挙イヤー」です。その一方で、ウラジーミル・プーチン氏やニコラス・マドゥロ氏のような独裁者が権力を強めています。世界の民主主義は破綻に向かっているのでしょうか?

それは何とも言えません。民主主義はしばしば失敗してきました。安泰だった民主主義が今、脅かされていると考えるのは、非常に誤った見方です。私は1989年以降の楽観的な時代に育ちましたが、当時、民主主義国家が歴史的な数に増えていたことから、自由民主主義が世界を制覇するかに見えました。しかし、それは歴史のほんの一部に過ぎません。今は、少し悲観的になって、民主主義のために奮い立つのも悪くないと思います。

マドゥロ氏のような独裁的なポピュリストでさえ、民意のために戦っていると主張しています。

民主主義は、利益誘導型民主主義や大衆動員型民主主義、あるいは非常に制度化されているものや排他的なものなど、形を変えやすい概念です。そのため、私たちが直面している問題に民主主義をどう適応させるかが問題なのです。そして今まさに、この点について意見が分かれています。ポピュリストは今、抜本的な直接民主制度を求めています。ルソーの観点からすれば、完璧と言える民主主義です。そう提唱することで、自分たちは民主主義の救世主だと主張しているのです。しかし、よりリベラルな観点から考察すると、例えば特定のグループを排除する彼らは、むしろ民主主義を壊していると私は考えます。

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あなたは今年、「ヴィーナー・フェストヴォッヘン」を、市民評議会と憲法を持つ草の根民主主義に根差した「自由共和国」に改造し、民主化を試みました。目的は、エリート主義的なフェスティバルの払拭ですか?それとも、劇場を超えた民主主義の模範となる象徴的な姿を生み出したかったのですか?

その両方です。内部的には、専門家のキュレーションと市民が求めている内容のバランスを見極めつつ、参加の幅を広げることが目的でした。もう1つは、ここ数年の観客のフェスティバル離れを分析したところ、毎年チケットを買っているのは一部の演劇ファンに集中していることが分かりました。これを改善するにはどうすればよいか?チケットを安くするのも1つの手です。こうした考察は、より広く象徴的な意味で、民主主義に参加するためのハードルを低くする方法を考えることにもつながると思います。

フェスティバルでは、極右政党であるオーストリア自由党の模擬裁判も行われました。世論調査では、今月29日にオーストリアで行われる議会選で最大勢力になると予想されています。ある特定の政治団体を追放しようとする試みは、国民の大部分を疎外することにつながりませんか?

特定のグループとの対話を絶つという考えはばかげています。犯罪者でもない限り、彼らも議論に参加すべきです。それが民主主義の中核にあるからです。民主主義には、犯罪者以外の全ての人民に開かれた自由な議論の場、アゴラが必要なのです。もちろん、「ドイツのための選択肢」やオーストリア自由党のような政党が憲法に反するならば、禁止すべきです。フェスティバルで上演した模擬裁判では、このような判決は下されませんでしたが、だからと言って、これら政党の支持者は皆、人種差別主義者やファシストだから排除すべきだということにはなりません。

舞台
主催者によると、2024年のヴィーナー・フェストヴォッヘンには過去20年で最多の観客が訪れた。ラウ氏は少なくともあと4回の祭典を担当する 本人提供

フェスティバルでは、極右政党であるオーストリア自由党の模擬裁判も行われました。世論調査では、今月29日にオーストリアで行われる議会選で最大勢力になると予想されています。ある特定の政治団体を追放しようとする試みは、国民の大部分を疎外することにつながりませんか?

特定のグループとの対話を絶つという考えはばかげています。犯罪者でもない限り、彼らも議論に参加すべきです。それが民主主義の中核にあるからです。民主主義には、犯罪者以外の全ての人民に開かれた自由な議論の場、アゴラが必要なのです。もちろん、「ドイツのための選択肢」やオーストリア自由党のような政党が憲法に反するならば、禁止すべきです。フェスティバルで上演した模擬裁判では、このような判決は下されませんでしたが、だからと言って、これら政党の支持者は皆、人種差別主義者やファシストだから排除すべきだということにはなりません。

9月末の議会選で、もしオーストリア自由党が何らかの形で政権に返り咲いた場合、オーストリアの民主主義には何が待ち受けているでしょうか?

具体的に考えられるのは、オーストリア自由党、社会民主党、国民党の3党がそれぞれ3割前後の得票率を獲得するか、僅差でオーストリア自由党が第1党になることです。問題は、国民党がオーストリア自由党との連立を許し、ヘルベルト・キックル自由党党首が首相になった場合です。そうなれば、キックル氏は制度に対する直接的な影響力を持つことになり、オーストリアはスロバキアやハンガリーのように非自由主義的な道を歩み始めるでしょう。

実は最近、オーストリア自由党の政権公約外部リンクに反対する公開書簡外部リンクを書きました。同党は文化助成金を削減する方針であることに加え、移民やジェンダーといった問題に対し、あまりに極右的な立場を取っているからです。過激であればあるほど支持される――人々は鈍感になりすぎて、そんなことにさえ気付かないのが気がかりです。

あなたは最近、スロバキア国立劇場の館長解任を批判する公開書簡外部リンクも書いています。なぜ、たびたび公開書簡を?

私の趣味なので止められません!ただ、公開書簡には2種類あります。1つは、あまり知られていないことに対して注意を喚起するもの。スロバキアは欧州の文化セクターでは脇役的な存在なので、国外にいる大半の人は、スロバキアで何が起こっているのか全く知りませんでした。ドイツやフランスで国立劇場の館長が政治的な理由で自国の文化相から解雇されるのとはわけが違います。こうした国々なら、周りが気付くはずです。それに対しオーストリア自由党に対する書簡は、同党が第1党となり連立政権が誕生した場合、どんな事態が起こりうるかを認識し、心の準備をさせるためのものです。

今日の民主主義が抱える最大の課題とは?

私が考える最大の課題、かつ唯一の解決策とは、より大きく、よりグローバルな共同体の中で考え続けることです。20世紀には、国家の重要性は次第に失われていくと考えられていましたが、その逆のことが起こりました。各国はより強くなると同時に、自由を生む民主主義の力は衰退しています。なぜなら福祉国家といった「国家の概念」に縛られているためです。

編集:Benjamin von Wyl、画像調査:Vera Leysinger、英語からの翻訳:シュミット一恵、校正:ムートゥ朋子

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それでも民主主義に希望を抱く理由は?

民主主義をめぐる景色が変わっても、皆さんが自国や世界の民主主義に対して希望を抱くのはなぜですか?

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