「政治家は市民の力を恐れるなかれ」、直接民主制の専門家が指南
直接民主制の専門家アンドレアス・グロス氏(63)は多彩な政治経験の持ち主だ。草の根運動家としてイニシアチブ(国民発議)を提起するかたわら、政治家として地方・連邦議会議員、欧州評議会のスイス代表議員を歴任。直接民主制など「市民の力」についての著書を持つ作家、政治学者でもある。そんな経歴のスイス人はおそらく同氏だけだ。
グロス氏はこのほど、過去30年以上にわたって書かれた自身のエッセーのほか、歴史分析や国際比較などをまとめた著書「Die unvollendete Direkte Demokratie(未完の直接民主制)」を出版。スイスインフォが直接民主制の強みと弱みを聞いた。
グロス氏は直接民主制をジグソーパズルに例える。時には総合芸術(Gesamtkunstwerk)の一種だとも表現する。ただパズルのピースが流動的なため、安定した状態を作ることが極めて難しく、それがこの制度の魅力でもあり難点でもあるという。
外国が学んでおくべきスイス流の直接民主制の特徴について、グロス氏は三つの点を挙げている。
強み
グロス氏が一つ目に挙げたのが、権力の分配だ。「政治家は、一般市民と権力を分かつことを恐れてはいけない。国民が理解できない政治課題などないからだ。誰もが学ぶ能力を有している。社会的学習の機会があること、これは直接民主制の重要な副産物の一つだ」(グロス氏)
また、連邦主義を敷く欧州の国において、政治権力を国と地方で分散することは必要であるとし、「スイスでは、税金のあり方を決めるのは連邦政府ではなく国民だ。欧州の国々では考えられないことだろう。欧州連合(EU)はもっと直接民主制の要素を取り入れていい」と指摘する。
二つ目の点は「基本的にいつでも、どんな事項についても自分の意見を提案でき、それによって憲法や法律を変えることができる点」(グロス氏)だ。国民の政治参加をテーマに、40年間で約65カ国を回って議論を交わしてきた同氏は、これまで1100件超の公開討論に参加。「国民が政治的意見を提案するのはだめだという人はいなかった」と断言する。
また国民が直接民主制の権利を賢く使っているかどうかを判断するのは、政治家や学者の責務ではないという。「国民が下した決断や提案の是非について、人によって意見が分かれるのは当然だ。だが重要なのは、民主主義国家で市民が発言権を持つことだ」
三つ目の点は「政治参加の手段は国民が行使しやすいものである」という点だ。グロス氏は、手段のできは直接民主制の質に直結するとし、「国民投票の実施要件も緩やかであるべきだ」と主張。その例として同氏は、スイスでは有権者のわずか約2%の署名を集めれば憲法改正の提案ができ、また連邦議会が可決した案件の是非を国民投票で問う場合は約1%の署名が必要な点を挙げる。
さらに署名集めについて、提案者に十分な期間を与えることが必要だと説く。「スイスでは、憲法改正事項に関しては署名集めの期間が18カ月、連邦議会の決定を国民投票にかける場合は100日。しかし他国はもっと短く、投票まで数週間しか猶予がないというケースもある」
また、イニシアチブの提案者が公共の場所を自由に使って演説できるような配慮も大切であるとし、「署名活動は警察署で、などは論外」と話す。
国民的論議を「直接民主制の根幹」とみなすグロス氏は、「イタリアのように、投票率が必要最低限度に満たないからといって、国民投票を無効にしてはならない。サッカーで言えばこんなシステムは、ファウルした選手を退場させる代わりにそのチームにゴールを与えるようなものだ」と批判。同氏はサッカーの大ファンで、地元チームのFCバーゼルのサポーターだ。
警告
では、逆にスイスの直接民主制にはどのような弱点があるのだろうか?グロス氏はここでも三つ挙げる。
一つ目は憲法裁判所の不在だ。「米カリフォルニア州やドイツと同様、イニシアチブが基本的人権を侵害していないかを判断する憲法裁判所が存在しない。マイノリティへの差別や多数派による専制を防ぐためにも憲法裁判所は必要だ」
グロス氏は、いかなる人も基本的な権利を持つと強調し、「基本的権利を国民投票の対象にしてはいけない」と話す。だが、スイスでは近年、基本的権利を侵害しているイニシアチブが国民投票で可決されたケースが散見される。例えば外国人犯罪者の強制国外退去、性犯罪者の終身隔離、子どもへのわいせつ行為で有罪判決を受けた人を、子どもに関わる職業へ就職させないなどの案だ。
二つ目は政治資金の規制法だ。「キャンペーンやパーティなどにかかる政治資金を規制法で透明化することは民主主義にとって不可欠だ。お金は制度をむしばむリスクにしかならない。スイスは欧州評議会から再三批判されているのに欧州で唯一、政治資金の規制法がない」
グロス氏は「これは憂慮すべき事態だ。大半の国は4年ごとに選挙の資金繰りに頭を抱えているのに、スイスは1年に4回も投票がある。例えばある政治キャンペーンに500万フラン(約5億5千万円)かかったとして、1人が全額を負担したのか、500万人が1フランずつ負担したのかを知るのは重要なことだ」と懸念する。
連邦政府と議会が規制法の法制化を拒否したのは、「スイスの突出したプライバシーの概念によるところが大きい」(グロス氏)。スイスには政治資金の規制法がないため、お金が個々の政治キャンペーンにどんな効果を与えたのか判断しにくいという。「お金は唯一のファクターではないし、資金不足が敗北の絶対的な理由でもないが、極めて重要な要素であることは間違いない」
グロス氏は政治資金の格差についても言及。「不公平なコンテストみたいなもので、自分より50倍の資金力を持つ相手陣営には、立ち向かうチャンスさえないと怖じ気づいてしまう。スイスでは一般的に、右派が他の10倍の資金力を持つとみられている」
三つ目の弱点は、強い政党が存在しない点だ。大衆の利益を守ったり、政治家を育成したり、また討論の場を設け、国民に重要な政治課題を知らしめたりするのに、強い政治団体の存在は不可欠だという。「だが残念なことに、特定の利益追求を目的とした経済団体や環境団体の方が他の政治団体に比べて資金が潤沢な上、メディアで目立っている。とりわけ国内のドイツ語圏では、これらの団体が資金力を武器に公共の場所を演説などで独占している」(グロス氏)
アンドレアス・グロス(Andreas Gross)略歴
直接民主制の専門家、作家、研究者。1952年8月、兵庫県神戸市生まれ。同市で7年過ごした後、家族でスイスに引っ越した。政治学を学び、研究者、講師のほか、地方、国、国際レベルで政治家のキャリアを重ねた。
1991~2015年までスイス連邦議会議員、20年間にわたり欧州評議会スイス代表議員を歴任。同評議会の社会民主グループ代表を6年間務めた。
グロス氏はスイス軍廃止を求めるイニシアチブを中心となり推進したが、1989年の国民投票で否決された。その後、共同提案したスイスの国連加盟を求めるイニシアチブは2002年に可決された。
また国際選挙監視団員として、欧州圏内の90件超の選挙監視ミッションに参加した。
著書「Die unvollendete Direkte Demokratie(未完の民主主義)」
ドイツ語、全384ページ。30年以上にわたり自身が出したエッセーのほか、歴史分析、国際比較、スイスの直接民主制に関する決定事項の年間記録、インタビューや米ニューヨークの国連総会での演説を収録。フランス語版も出版予定。
(英語からの翻訳・宇田薫 編集・スイスインフォ)
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