スイス人が憧れる古き良きアメリカ でも「移住はしない」
インターラーケンで毎年開催される欧州最大の「トラッカー・カントリーフェスタ」には、アメリカに憧れを抱く多くのスイス人が訪れる。だが国道66号線や西部開拓時代を愛しているからといって、健康保険や年金基金のない国に傾倒しているわけではない。
インターラーケンで開催されるトラッカー・カントリーフェスティバル外部リンクは、この種の祭典としては欧州最大の規模を誇る。今年6月28~30日に開かれた第29回祭典には、4万5000人の観光客が足を運んだ。
会場は、ここが欧州であることを忘れそうになる。大きな格納庫には砂地を走れるモンスタートラックやカウボーイハット、ロデオマシーンが置かれ、人々はアメリカンドッグをほおばり、独ダンスグループ「Wild West Girls and Boys」はまるで西部劇マンガ「ラッキー・ルーク」の登場人物のようだ。
だが欧州移民がどのようにして祖国のダンスを米国に持ち込んだかを語る司会者は、オーストリア訛りのドイツ語を話す。
「まさにワイルド・ウエスト」
Wild West Girls and Boysが童謡「ゆかいな牧場」に合わせて踊る。時として、米国のお祭りがスイスにやってきたかのような錯覚に陥る。来場者の1人が同伴者に「まさにワイルド・ウエストだね」とつぶやいた。
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「姉妹共和国」だった米国とスイス
祭典の数日前、スイス人文化学者のヨハネス・ビノットさんは「ジョン・ウェインのファンにとっては耳の痛い話かもしれませんが、『ワイルド・ウエスト』は憧れの的としてのイメージでしかありません」と語った。
西部劇というジャンルは欧州のみならず本場・米国においても、人々が憧れるアメリカン・ファンタジーの一つだという。「最初の西部劇は、西部に白人の住まない地域がなくなった時になって登場した」
祭典の取材に当たり、ビノットさんはこんな問いを立てた。「人々がアメリカについて語る時、具体的に何を語るのか?」
インターラーケンで聞いた答えは地名に関するものが多かった。トラックドライバーに憧れる人は米国の田舎を思い浮かべる。フロリダのオレンジ農家での仕事について語る人もいる。ピックアップトラックや大型トラックに乗り、心の底から自由を感じられる中西部もよく語られた。
南部の州が持つ魅力は「矛盾に溢れているが、非常に興味深い」こと。ノース・ダコタ州やイリノイ州について話す人はいるが、シカゴは素通りだ。「私は田舎にいました。食べ物が来るところですよ」。ニューヨークにいた人には出会わなかった。
政治より西部
この日はアメリカ大統領選に向けたテレビ討論会の翌日だった。だがインターラーケンで交わされる会話では、政治はほのめかされる程度に過ぎない。ただ1人、南軍の旗を指さして南部諸州が長年奴隷制に固執してきた歴史を評価していると語った男性がいた。酔っぱらっているのではないかと尋ねると、彼は否定した。
大小のステージでスピーカーから鳴り響く音楽に合わせ、人々が飛び跳ねる。プロもアマチュアもラインダンスを踊っている。公式舞台の上だけでなく、そこかしこで。ウェスタンビレッジではまだ持っていない人のためにカウボーイハットが売られている。
ワイルドで男らしいウエスタン・ライフは徹底して冗談交じりに扱われている。ユーモアは時として荒々しい。クリント・イーストウッドの金属製看板には「ろくでなしが多すぎる、銃弾が少なすぎる」と書かれている。
子ども向けの大型トラックには、マカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)のドタバタ映画で知られる俳優テレンス・ヒルやバッド・スペンサーの姿が完璧にスプレーで再現されていた。
「自分の庭で自分のことをやる」
自らカウボーイハットをかぶって会場を歩く文化学者ヨハネス・ビノットさんは、祭典の雰囲気に良く馴染む。「アメリカと、アメリカについて語られることに完全に魅了されています」
ビノットさんが初めてカウボーイハットを買ったのは、元テキサス州知事のジョージ・W・ブッシュ氏が大統領を務めたときだ。「かっこいい帽子を(カウボーイスタイルを愛用した)ブッシュのような保守層」のものにしたくなかったからだという。西部開拓時代の逸話は政治陣営には属さず、「まばゆいばかりに多義的」だとみる。
ビノットさんは、欧州最大のトラッカー・カントリーフェスタがスイスで開催されることにも驚かない。スイスと米国には、共和主義者としての自己イメージに共通点があるとみる。「自分の庭で自分のことをするという理想が、米国とスイスの双方にあります」。政府や当局が人々の生活を覗き見るべきではない、という考え方があるという。
スイスのフロンティア神話?
ビノットさんはまた、スイスには「無」の中にある自由への憧れがあるとも話す。
「入植地が設立された場所を眺めると、人々は他の人と一緒になることを避けるためにそこに移住したようです。スイスアルプスの山村にも、フロンティア的な何かがあります」。フロンティア神話は、19世紀に大量の欧州移民が西を目指した背景を説明する。
ポップカルチャーとフォークカルチャーは、はるか西の地に最初に定住した人々を英雄として称える。そこは荒野とされていた境界地域だった。
スイスでの安全な生活
とはいえ、インターラーケンに集った米国ファンたちは、スイス人とアメリカ人のメンタリティーに共通点はほとんどないと口を揃える。特に異なるのは社交性と愛想の良さだ。エメンタール地方から来たマティアス・シュテッフェンさんは「米国には感動しますが、スイスと似ているところは少ないと思う」と話した。
米国は失敗が許される国だという。起業して失敗しても、またやり直せる。そこには多様な人生があり、人生の喜びも多い。
「スイスでは日曜に木を狙って発砲しただけで、家に警察がやってきます」と続けるシュテッフェンさんは、人生において「スイスと米国の良いところを組み合わせる」よう心がけているという。
そんなシュテッフェンさんも「Bünzlischweizer(スイス人のビュンツリさん)」らしく、米国移住はみじんも考えていない。「あの国では、誰もあなたのことなんて気にかけてくれないですよ」
社会に従順なスイス人に対する蔑称Bünzlischweizerは、取材の中で何度か聞かれた。偉大な自由の国・アメリカとは対照的に、スイスは心の狭い人々の国とみなされている。
「ここには安全があり、向こうには自由があります」。幼少期の一部を米国で過ごしたリコ・マイヤーさんはこう話す。たとえばスイスでは、オフロード車を運転するとすぐに「環境破壊者」と叩かれる。
一方でマイヤーさんは、スイスの安全性を高く評価している。「医療保険や年金制度など、スイスには優れたものが多すぎるほどあります」
「映画から学んだ自由」
ベアト・ルフティさんは米中西部で「映画から学んだ自由」を経験したが、移住を真剣に考えてはいない。
毎年「あっち」に行き、スイスの福祉国家や医療・年金保険について定期的に政治的な議論を交わしている。
「こちらとあちらの政治には雲泥の差があります。私たちは安全な国にいます」。この安全性をやすやすと手放す気は、ルフティさんにはない。
インターラーケンの会場に来た人の多くは、アメリカとアメリカのライフスタイルにのめり込んでいる。一方で、取材に応じたほぼ全員が魅力と熱気、そして現実との間にあるギャップを認識している。
31年のトラック運転歴を持つベルント・ザイさんのスポーツ用多目的車(SUV)のナンバープレートには、「私たちの国に神のご加護を」と書かれている。妻のタチアナさんは「夫は移住したがっている」と話すが、ベルントさんは笑って否定した。そんなことは一度も考えたことがない、という。米国への憧れは、若いころに車への情熱とともに膨らんだ。
憧れは一方通行ではない、とザイさんは話す。「スイスの儀式や生活習慣は大きく異なります。しかし、スイス人がアメリカに魅了されているのと同じように、スイスの虜になっているアメリカ人も何人か知っています」
ザイさんは、ビノットさんと同じような印象を米国に抱いている。「アメリカは、スイスのような国々の幻影を大切にしています」
「こうした幻想的なイメージは互いに影響し合っています。それが社会的な議論にも現実的に波及するのです」(ビノットさん)
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編集:David Eugster、独語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫
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