民主主義再生への新提案「デジタルツイン国民」

医療やさまざまな産業分野で大きな期待を集める最新技術、デジタルツイン。連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)の教授と米国の共同研究者は、この技術がスイスや世界の民主主義にも革命をもたらすかもしれないと考えている。

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デジタルツインは、現在あらゆる業界で実用化が始まっている。これは、現実世界の対象物とまったく同じ行動や体験ができるシミュレーション技術で、近年、人工知能(AI)の急激な進歩で可能となった。
コンピューターモデルは以前から存在していたが、現実を1対1で再現するだけの処理能力がなかった。今は過去のマッピングだけでなく、あらゆる環境要因や負荷をリアルタイムでシミュレーションできる。
医療におけるデジタルツイン
すでに昨年10月のニューヨーク・シティ・マラソン外部リンクでは、女子選手の1人を本人の心臓のデジタルツインが追跡した。事前に選手の心臓の構造や動きをスキャンし、データをAIに学習させておく。するとその心臓が様々な負荷に反応する様子を、レースの間中モニターで見ることができる。
こうした研究の目的は、何といっても予後診断だ。特定の心臓が特定の状況にどう反応するのか?特定の薬や治療にはどうか?デジタルツインがこれを確実に示せるようになれば、医療は大きく変わるだろう外部リンク。
スイスでも多くの人が、期待を寄せている。2023年にチューリヒ大学が実施したサンプル調査では、国民の62%が医療分野でのデジタルツイン活用に賛成すると答えた。
デジタルツインは民主主義を強化できるか?
だが研究者らは、医療やテクノロジー以外の分野でもこのAIシミュレーションに注目している。オランダのエラスムス大学ロッテルダムの研究グループは、このほど、民主主義のレジリエンス向上を目指したプロジェクト「Twin4Dem外部リンク」を立ち上げた。実際のデータを使ってチェコ、フランス、ハンガリー、オランダ4か国の政治システム(政府、議会、裁判所、市民社会など)のシミュレーションを行い、民主主義後退が起きる過程を解明する。

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同プロジェクトでは、責任ある行動主体を特定できれば民主主義強化に必要な制度も明らかになるはずと期待している。
「デジタルツイン国民」という考え
デジタルツインを使って現行の民主主義制度を把握しようという「Twin4Dem」の試みに対し、スイスの研究者らは、将来デジタルツインを使った新しい民主主義制度「補助付き民主制(Supported Democracy)」を構築できないかと考えている。
連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)のハンス・ゲルスバッハ教授(マクロ経済学)と米ジョージ・メイソン大学のセザール・マルティネリ教授(経済学)は、国民全員に自身のデジタルツインを持たせることを提案している。

両氏はこれを「デジタルツイン国民」と呼ぶ。「デジタルツイン国民」は、割り当てられた実際の国民の政治的意見や倫理観を徐々に学習する。そして幅広い事実情報に基づき、代理のAIアシスタントとして、国民投票で予備的な投票を行う。
国民投票は2段階に分けて行う。まず、デジタルツインが投票する。その結果は公表され、議論される。ただしこれは確定的な結果ではなく、単に世論の動向を把握するためのものだ。
こうしたAIアシスタントによる投票結果を基に公開討論が行われた後で、実際の国民がデジタルで投票する。デジタルツインが代行した予備的な選択を、ここで人間が調整するわけだ。
「地方レベルの民主主義を救う1つの方法」
マルティネリ氏はswissinfo.chの取材に対し、「これは、地方レベルの民主主義を救う1つの方法」だと話す。スイスや米国のカリフォルニア州のように住民投票が多い制度となると、特に地方や地域レベルでは、住民は十分な情報がないまま多くの決断を下さなければならない。これは「全国ニュースに偏りがちなメディアの報道にも一因がある」。そんな中で「デジタルツイン国民」という発想は、人々の精神的な負担を軽減するという。
この第1次投票は、「情報に基づく投票を補完するものだ」とマルティネリ氏は説明する。国民は自分で最終決断を下す前に、自分のデジタルツインが情報をどう判断し、AIがどんな多数意見をまとめるのかを体験できる。
ゲルスバッハ氏らは、連邦工科大学チューリヒ校景気調査機関(KOF)のホームページ外部リンクで、このAIによる「補助付き民主制」の考えを概説している。こうした「最新型民主主義モデル」なら、国民が感情的すぎるとか、近視眼的すぎるとか、情報不足とかいう人はもういないだろう。また、国民が情報に基づいた意思決定をするために「必要なインセンティブ」がないという主張も当てはまらなくなると、2人は主張している。
直接民主制は「世界の他の国々」にとっても魅力的となりうるか?
ゲルスバッハ氏らは、デジタルツイン技術によってスイスやカリフォルニア州の直接民主制が変わるだけでなく、この政治形態が「世界の他の国々」にとっても魅力的なものになるかもしれないと考える。

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swissinfo.chに対するマルティネリ氏の説明によれば、「デジタルツイン国民」が意思決定の根拠とするのは、自分の分身である人間が使うのと同じ情報源だ。もちろん、AIがデマやプロパガンダの影響を受けないという保証はない。だがAIは、デマやプロパガンダを認識するよう訓練できるという。
仏トゥールーズ大学教授のセザール・ヒダルゴ氏は、SWI swissinfo.chが紹介したゲルスバッハ氏らの概念について、「こうした発想の研究者が増えているのは喜ばしいことだ」と語った。
ヒダルゴ氏は数年前、様々な分野の専門家がプレゼンテーションを公開する「TED talk外部リンク 」で有名になった。その中で同氏は、政治家を国民のデジタルツインに置き換えることを提案している。同氏は、こうした技術革新が今後さらに普及すると予想しており、「AIの爆発的な成長により、市民参加を拡大する方法としてデジタルアシスタントの利用を考えつく人がますます増えるだろう。この分野の自由な発想や実験を奨励すべきだ」と話している。
自動化とデータセキュリティに関する疑問への答え
もっとも「デジタルツイン市民」を利用した民主制という発想にはいまだ多くの疑問点が残っており、実現はかなり先のようだ。デジタルデータを通じて、国家が自分の政治的姿勢を詳細に把握するのではと心配する人もいるだろう。

またこうした「AI補助付き民主制」では、国民が「私のデジタルツインがそう決めたのに、なぜわざわざ別の決断をする必要があるのか?」と考え、自分で意思決定をしなくなる可能性がある。この概念は政治意識を自動操縦に切り替えてしまうとして、懸念の声が上がっている。
こうした批判的な疑問に対してマルティネリ氏は、次のように説明する。実際には、デジタルツインは「各国の制度や規範」に適合させなければならない。アナログでいう投票集計機のようなものと考えてもよいだろう。選挙管理当局の基礎的な機能、つまり「当局が調整だけでなく管理・監視もする道具」だ。
民主制において重要なのは、この補助ツールがあっても「最終的な決断」は人間が行うことである。たとえば感情のように、デジタルツインが考慮しない情報が投票に入り込む余地がなければならない。あらゆる政治的決断は、感情にも左右されるのだからと、マルティネリ氏は主張する。
「デジタルツイン国民」に関する研究論文はまだない
ゲルスバッハ氏とマルティネリ氏は、このAI構想に関する論文をまだ発表していない。景気調査機関の共同所長でもあるゲルスバッハ氏はswissinfo.chに対し、「信頼性の高い『デジタルツイン市民』を開発し直接民主制に導入するには、まだ多くの研究が必要だ」と話す。
ゲルスバッハ氏は、民主制のさらなる発達が急務であると考える。同氏は科学雑誌「Social Choice and Welfare外部リンク」に寄稿した論文の中で、「21世紀も20年代に入ったというのに」、民主主義はデジタル化や人工知能のみならず強権的国家という課題に直面しており、「再生することを余儀なくされている」と述べている。この論文で同氏は、民主制のさまざまな革新形態も紹介している。

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デジタルツインなしでの情勢予測は可能か?
ゲルスバッハ氏が提案する新しい形態の1つ「評価投票(Assessment Voting)」は、「デジタルツイン国民」と基本的概念は同じである。だがこの方法では、公共の議論を促す第1次投票を、デジタルツインではなく、無作為に選ばれた人間の代表グループが行う。これにより、デジタルツインに国民の価値観を学習させなくても、最終投票前の情勢を把握して議論を進めることができる。
ともあれ「デジタルツイン国民」による民主制という考え方が多数のスイス国民の支持を得ることは、現時点ではまずなさそうだ。
前述のチューリッヒ大学によるデジタルツイン技術の医学的利用に関する調査では、身体のデジタルツインを全国民に義務付けることに87%が反対している。
編集 Mark Livingston、独語からの翻訳:阿部寿美代、校正:大野瑠衣子

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