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カルロ・ルビアとCERN、運命の出会いと世紀の大発見

カルロ・ルビア氏。ノーベル物理学賞受賞をタクシーのラジオニュースで知ったという
カルロ・ルビア氏。ノーベル物理学賞受賞をタクシーのラジオニュースで知ったという ullstein bild via Getty Images

今から40年前、ジュネーブの欧州合同原子核研究機構(CERN)で弱い力を伝える素粒子の大発見のドラマが繰り広げられた。その立役者の1人で、ノーベル物理学賞を受賞した今年90歳のイタリア人物理学者、カルロ・ルビア氏と共に当時の熱狂を振り返る。

今年は素粒子物理学にとって記念すべき節目の年だ。今年90歳を迎えたイタリア人物理学者カルロ・ルビア氏が新素粒子(W、Zボソン)の発見によりノーベル物理学賞を受賞してから40年。この大発見の舞台となった、ジュネーブの欧州合同原子核研究機構(CERN)は今年で設立70周年を迎える。

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ルビア氏の華麗な経歴はノーベル賞だけではない。米ハーバード大学教授を約20年(1970〜1988年)、CERN所長を5年(1989〜1994年)歴任したほか、立案・推進した国際的な実験は数多く、授与された名誉博士号の数は30を超える。イタリアの終身上院議員にも選出された。

ルビア氏は現在もCERNの名誉会員だ。CERNはこれまで自身が多大な貢献を果たし、また多くの恩恵も受けた縁深い研究機関だ。

CERN設立のきっかけは、第二次世界大戦の終結から間もなく、欧州に原子核物理学の国際的な研究拠点を作る動きが科学界から起こったことだ。原爆投下で分裂した科学の国際的コミュニティを再び結束させるのが目的だった。

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ルビア氏は1934年3月31日、イタリア北東部ゴリツィアで生まれた。母親は小学校教師、父親は電気技師だったが、自身は科学研究の道に進むことを固く決意していた。

ルビア氏がイタリアのフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州〜ヴェネト州の地で青年時代を過ごす間、欧州では原子核研究拠点設立に向けた活動が進んでいた。政治的支援と資金調達に精力的に働きかけた人物の中には、ルイ・ド・ブロイ(フランス)、エドアルド・アマルディ(イタリア)、パウル・シェラー(スイス)などの高名な物理学者らが名を連ねる。

活動は実を結び、ジュネーブが拠点に選ばれた。そして1953年の欧州原子核研究会議(European Council for Nuclear Research)における同意書への12カ国の署名を経て、今からちょうど70年前の1954年にCERNは発足した。その頃ルビア氏はイタリア・ミラノ工科大学の学生だった。

イタリア・ウディネのギムナジウム時代のクラス写真。2列目の右から2番目がルビア 氏
イタリア・ウディネのギムナジウム時代のクラス写真。2列目の右から2番目がルビア氏 Carlo Rubbia

その後、ルビア氏はイタリアの最高学府として名高いスクオーラ・ノルマーレ・スペリオーレ(ピサ)で物理学を修め、その後スイスの土を踏む。「私は指導教員のマルチェロ・コンヴェルシと一緒に、1950年代末に初めてCERNを訪れた。CERNはまだ立ち上がりの時期だった」と回想する。

CERNで初の粒子加速器の建設が進められていた頃、ルビア氏は科学者として華々しいキャリアを重ねていった。「1960年代初めにCERNで働き始めた。これと並行して米ハーバード大学で『ヒギンス教授職』と呼ばれる終身雇用ポストを得て、20年近く在籍した」という。「ちなみに、当時のハーバード大学物理学科は教授の半数がノーベル賞受賞者だった」

人生最大の発見

1983年、ルビア氏の研究チームは世紀の大発見を成し遂げる。「Wボソン、Zボソン」と呼ばれる2種類の新素粒子を見つけたのだ。人生最大の発見であり、自身のキャリアのみならず、科学全体に革命をもたらす快挙だった。しかしW、Zボソンが何かを知っている人はそう多くないかもしれない。

若い頃のルビア氏
若い頃のルビア氏 Mariani, Daniele (swissinfo)

これらの素粒子は太陽などの恒星の内部プロセスを制御している。原子核内部の世界、つまり、物質を構成する最小要素の話で、1千兆分の1(10−15)メートルよりも小さい超微小スケールの世界だ。1千兆分の1は、地球から太陽までの距離を1とした場合、髪の毛の直径ほどの長さに相当する。

理論物理学では、この宇宙の全てもの(人体も含まれる)は、4つの基本的な相互作用(2つ以上の物体の間に働く力)によって司られているとされる。

1つ目は、おそらく最もよく知られている電磁気力で、光子(フォトン)と呼ばれる素粒子が介在して生じる力だ。2つ目は重力で、エネルギー・質量を持つ全ての物質間に働く引力だが、その詳細はまだ解明されていない。

3つ目は強い相互作用で、グルーオンと呼ばれる素粒子が介在して生じる。電磁気力よりも強く、接着剤(glue = グルー)のように素粒子同士を結びつけて陽子、中性子、原子核などを作ることから、こう名付けられた。4つ目は弱い相互作用で、「なぜウランなどの元素は放射能を持つのか?」「太陽の熱や光が作られる一連の核反応はどのようにして始まるのか?」といった謎を解明する鍵だ。この弱い相互作用を介在する素粒子、それが WボソンとZボソンだ。

ルビア氏のノーベル物理学賞受賞を祝う風刺画
ルビア氏のノーベル物理学賞受賞を祝う風刺画 KEYSTONE/CERN/SCIENCE PHOTO LIBRARY

複雑な理論を実証する実験系の構築は簡単ではない。ルビア氏は、陽子と反陽子を超高速で衝突させる戦略を考案した。陽子は正の電荷を持つ粒子であり、原子核に存在する。反陽子は陽子と同じ質量を持つ反粒子であり、負の電荷を持つ。

陽子と反陽子が衝突するとWボソンとZボソンが生成し、すぐに別の粒子に崩壊する。これを直接観測する。1970年代後半、ルビア氏はこのデリケートな実験を実施するプロジェクトを計画した。既存加速器の陽子・陽子衝突用のインフラを陽子・反陽子衝突用に作り替えることも含まれていた。

「CERNの全面的な支持を得た」

だが、このような大規模プロジェクトの実施を認めてくれる実験施設を見つけるのは簡単ではなかった。1970年代末、ルビア氏のように米国で活動するイタリア人科学者が取り得た選択肢は、CERNの大型陽子加速器(SPS)と米シカゴ・フェルミ国立加速器研究所(フェルミ研究所)のテバトロン衝突型加速器の2カ所に限られた。

「20年間ハーバード大学にいたことを考えれば、フェルミ研究所の加速器が最も相応しい選択肢だったかもしれない。だが、フェルミ研究所の設立者であるボブ・ウィルソン所長(当時)は別の実験方法を採択したため、CERNを選ぶことになった」とルビア氏は言う。「CERNではジョン・アダムス、レオン・ファン・ホーベら当時の所長から全面的な支持を得た」。一方、フェルミ研究所の人々は、ルビア氏の方法は野心的であり、非現実的ですらあると考えていたという。

これは米科学者らの痛恨の判断ミスだった。ルビア氏率いるプロジェクトが1983年初めにW、Zボソンを観測し、その存在を確認したことを同年春に発表した時、米メディアは米国側の誤算を痛烈に批判した。

米紙ニューヨーク・タイムズは、Zボソンの正式名「Z0(ゼータ・ゼロ)」にかけて、「欧州は3、米国はZ-ゼロですらない(Europe 3、 U.S. Not Even Z-Zero)」と題するオピニオン記事を掲載し、「米国は欧州にボース粒子の勝負において3対0で敗北した」と酷評した(訳註:正・負電荷を持つWボソン(W+とW)とZ0で、計3種類のボース粒子の発見の意)。

この画期的な大発見に対し翌1984年、ルビア氏と共同研究者のシモン・ファン・デル・メール氏にノーベル物理学賞が授与された。「私たちが達成した発見への熱狂的な興奮に包まれていた」とルビア氏は振り返る。

アレック・モリソンCERN理事長(右)と談笑するカルロ・ルビア氏(中央)とシモン・ファン・デル・メール氏。2人は1984年にノーベル物理学賞を受賞した(1983年撮影、肩書きは当時)
アレック・モリソンCERN理事長(右)と談笑するカルロ・ルビア氏(中央)とシモン・ファン・デル・メール氏。2人は1984年にノーベル物理学賞を受賞した(1983年撮影、肩書きは当時) Carlo Rubbia

「ところでこのルビアって誰ですかね?」

ルビア氏は「受賞当日、(ノーベル賞の受賞を知らせる)あの有名な電話はなかった。イタリアでタクシーに乗っているとき、ラジオニュースで自分が受賞したことを知った。運転手から『このルビアって誰ですかね?』と聞かれたので、自分のことだと答えたら、すごく驚いていた。タクシー代を受け取りもしなかった」と話す。

「ノーベル賞は大変な栄誉だったが、これで私の行動が変わることはなかった」

この偉業は、UA1(Underground Area 1)と呼ばれる大規模な国際共同実験により達成された。126人の科学者が参画し、短期間で成功を納めた。UA1で測定した結果は、ほぼ同時進行で進められた姉妹実験UA2により検証された。

この当時の実験の規模は、ATLAS実験やCMS実験など、世界から数千人の研究者が参画する今日のCERNの国際共同実験プロジェクトに比べればずっと小さく見える。

「総じて、この70年間で状況は大きく変化した。CERNの発展によるところも大きい。現代科学の新発見は、もはや個々の研究者ではなく、科学コミュニティの大規模な国際連携によって達成されている。この変化が、ヒッグス粒子(訳註:2012年にCERNで発見された)のような、以前では成し得なかった発見を可能にした」

ルビア氏は現在、イタリア・グランサッソ国立研究所の ICARUS実験のスポークスマンを務める。これは1977年に自身が提案・設計した、ニュートリノ(検出困難な素粒子の1つ)の実験プロジェクトだ。一方CERNでは現在、次世代の新型円形衝突型加速器「Future Circular Collider (FCC)」建設の承認に向けた準備が進む。2040年にミッションを終える現行の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)の後継器となる予定だ。

全ての発展の礎は基礎研究にあり

こうした複雑で高度な専門領域の研究は、現実社会における実問題とは懸け離れているように見える。そのため、実施の妥当性について度々疑問の声が上がり、特にその莫大なコストが槍玉に上げられる。財政難の状況下においては、限られた資金を基礎研究よりも応用研究にもっと多く配分すべきではないかとの意見が常にある。事実、CERNの活動には毎年巨額な予算が投じられ、2023年の支出額は12億3千フラン(約266億4千万円)を超えた。この支出は23加盟国の拠出金により賄われる。

ルビア氏はこの批判に対し、「基礎研究が『基礎』研究と呼ばれているのは偶然ではない。基礎の研究なくして、社会の進歩や発展に資する応用研究や技術開発は望めない」と反論する。

そして、現実社会において基礎研究が最終的にどのように役立ち、影響を及ぼしているかについて、具体例を挙げた。インターネットはその1つであり、CERNが発明したワールド・ワイド・ウェブ(WWW)を基盤として発展したものだ。

医療分野でも基礎研究は様々な形で応用されている。例えば、がんの診断に使われる陽電子放出断層撮影(PET)では、検査薬(がん細胞に多く集まる)から放出される陽電子を検出するが、その検出器の技術は基礎研究の成果があって初めて可能になった。また、腫瘍の治療法の1つである陽子線治療は、ルビア氏のUA1実験で使われた大型陽子加速器(SPS)から派生した技術を利用している。

CERNの基礎研究の成果は、あらゆる分野に波及している。ルビア氏は「CERNの共同研究者と共に、超伝導ケーブルを使った電気の長距離輸送システムを考案した」と語る。

「この技術は産業界に重要な副次的効果を与え、グリーンエネルギーの大量輸送問題の解決に貢献できる」

一方、基礎研究には、実問題への応用だけでなく、純粋に学問を追求し、人類の知の領域を広げる役目もある。

事実、多くの科学者が、その時点で知り得る最も小さな世界を「見る」ための実験を行い、その仕組みを解明するために心血を注ぐ。そしてそれが解明できたら、更に小さな世界へと探求の旅を続けるのだ。

独語からの翻訳:佐藤寛子、校正:宇田薫

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