スイスドイツ語ってどんなもの?
スイスドイツ語を収めた「スイス方言辞典」の編纂は、開始後150年たった今でもまだ続いている。何とまたとんでもない事業が始められたものだ。
「スイス方言辞典 ( Schweizerisches Idiotikon ) 」の「Idiotikon」は「固有の、独特の」というギリシャ語に由来している。この方言辞典は、文語体も口語体も含めたスイス独特のドイツ語を包括的にまとめた膨大な知識の集大成だ。
複雑なドイツ語圏の言語
スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、そしてロマンシュ語の4つの国語を持っており、それぞれの言語で独自に辞典の編纂を進めている。
スイス国民の3分の2近くが母語とするドイツ語。そのドイツ語の辞典が中でも群を抜いて大規模だ。しかし、スイスで日常話されるドイツ語はドイツで話されている標準ドイツ語とかなり異なるばかりか、スイス国内でも地域ごとにさまざまな違いがある。
スイスドイツ語は公式の文語体を持たない。スイスではこれまでドイツで使われている文語体に似た、ある程度標準化された書法を用いてきた。それでも語彙にいくらかの違いがある。つまり、簡単に言うとスイスのドイツ語はかなり複雑なのだ。
プライドと好意
このような途方もない領域をカバーするとなれば、方言辞典の編纂にこれだけの時間がかかっても何の不思議もない。これまで13万を超える見出し語を収録した15巻が発行されている。全巻そろえば17巻になる予定で、中世から21世紀までを網羅する。
「チューリヒ古書協会 ( Antiquarische Gesellschaft in Zürich ) 」が方言辞典の編纂に取り掛かったのは1862年。第1巻が発行されたのは1881年のことだった。同プロジェクトは開始当時から大きな関心を呼び、人々は無料奉仕で単語や慣用句の用例を集めた。
フリブール大学独学科のヴァルター・ハース教授は、なぜこれほどまでに熱中して編纂が行われることになったかを以下のように説明する。
「第一の理由は文化的な歴史です。当時、人々はさまざまな方言が失われてしまうのではないかと不安に思っていました。次の理由は学術的なもの。土地の言葉にはとりわけ古いものが多く、歴史言語学の研究のためにこれらの言葉を収集しておく必要性を感じたのです。そして3つ目の理由として、スイス独特の何かをみんなに見てもらいたいという、ひょっとしたら国家主義的な願望もあったのかもしれませんね」
ドイツ語系スイス人とその言語
ドイツ語系スイス人は自分たちの言語に強い愛着を持っている。だが反面、そのスイスドイツ語はこれまでほとんど重視されてこなかった。
「学校ではスイスドイツ語がひどく軽んじられてきました。教育の一環とみなされず、誰もほとんど関心を示さない日常の言葉でしかなかったのです」
と言うのは方言辞典編集長のハンス・ペーター・シフェルレ氏だ。
文語体を持たない言葉が抱える問題の1つは、スペルに関する規則がないことだ。そのため当然、辞典に載せる順序が問題となってくる。編纂開始当初の編集者たちは、語幹を基に編集する方法を採った。これは論理的だが、精通していない人にはとても使いにくい。
「この知識の宝を大勢の人に見てもらえるように努力しなければなりません。毎年、一般の人々から何百という質問が寄せられます。最も多いのは言葉の由来について。みなさん、好奇心が強いですよ。特に罵詈やおもしろい言葉に関しては。これらの質問に答えていくのも私たちの仕事ですが、辞典の編纂を終わらせなければならないので、回答にあまり多くの時間を費やすことができません」
とシフェルレ氏。
スイスドイツ語に対する関心は高い。ここには、1週間に1度放送されるラジオ番組「シュナーベルヴァイト ( Schnabelweid ) 」の成功が反映されている。この番組には、言葉や慣用句に関するリスナーの質問に答えるコーナーがある。そしてこれは、プロデューサーのクリスティアン・シュミット氏が言うように、方言辞典なしにはとてもやっていけないコーナーなのだ。
だが、このような大成功の陰にも問題はやっぱり潜んでいる。
「辞典の存在を世に広めたいが、マスコミを利用すると仕事がさらに増える。ちょっとした綱渡りです」
とシュミット氏は付け加える。
予算
辞典の編纂作業は大部分が公的資金で賄われているため、国民の支持を得ることは重要だ。過去には危機に直面したこともある。
「頓挫しなかったのは編集者たちの途方もない犠牲のおかげ」
とハース氏は打ち明ける。
編纂作業に対しては、長い間それ相応の報酬が支払われてこなかった。また、女性に対する支払いは男性のそれよりもさらに低かった。
「表題紙に女性の名前が現れなかったのはそのためです。より多くのお金を得るためにこの作業を利用することもできたのですが」
今は事情が変わった。スイスで作られている各言語の辞典は学術として確立している。「スイスが4カ国語を持つことは大きいですね。4カ国語あれば、4つの辞典を編集しなければなりません。つまり、どの言語もほかの言語によって守られていて、1カ国語だけが差別を受けることはありません。とはいえ、お金に対する愛着よりも言語に対する愛着の方が大きいとは思えませんが」
それでもハース氏は、この4つの辞典が必ず完成すると確信している。
「これらの辞典は素晴らしい出来。今になって止めるなど愚の骨頂です」
swissinfo、ジュリア・スレーター 小山千早 ( こやま ちはや ) 訳
現在行われている4つの国語辞典の編纂は、「スイス人文学社会科学アカデミー ( Swiss Academy of Humanities and Social Sciences ) 」が後援している。
各言語の辞典の題名:
Schweizerisches Idiotikon ( ドイツ語 )
Glossaire des patois de la Suisse romande ( フランス語 )
Vocabulario dei dialetti della Svizzera italiana ( イタリア語 )
Dicziunari rumantsch grischun ( ロマンシュ語 )
スイスにはドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つの国語がある。
スイスで話されているドイツ語とドイツで話されているドイツ語は中世に分化した。
ドイツ人の大半は、スイスで話されるドイツ語の方言がほとんどわからない。
ドイツ語圏スイスには大きく分けて3つの地方語があり、それぞれ隣国の国境地域でも使われている。
アクセントや語彙がわずかに異なることを除けば、スイスで現在話されているフランス語はフランスの口語体や文語体とほぼ同じ。
しかし、スイス西部でもともと話されていた言葉はフランス語ではなくフランコプロヴァンサル語だった。この言語はフランス東部やイタリア北部でも話されていた。フランコプロファンサル語は地方ごとにさまざまな変化を伴いながら、今日もどうにか存続している。
スイスでイタリア語が話されているのはティチーノ州およびグラウビュンデン州の一部。ここで話されるのは標準イタリア語だが、プライベートではイタリア北部で話されている西ロンバルディアの方言が多く使われる。この方言も地方ごとに違いがある。
ロマンシュ語はグラウビュンデン州の一部で使われている言語で、「イディオマ ( Idioma ) 」と呼ばれる5種類の話し言葉と書き言葉を持ち、その中にまたそれぞれの方言がある。人工言語の「ロマンシュ・グリシュン ( Romansh Grischun ) 」は1982年に包括的な言語として導入され、公的文書に用いられている。
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