時を刻んで250年
1755年にジュネーブで設立された時計会社ヴァシュロン・コンスタンタン社は今年、創設250周年を祝う世界で最も古い時計製造メーカーだ。
「時が経つほど値打ちが上がる」という、最高級品を造ると評判の高いヴァシュロン・コンスタンタンは長い伝統を振り返りながら、今後の展望を語る。
ジュネーブ郊外、プランレワットにある本社では時計の不思議で奥深い世界を垣間見ることが出来る。ここが、世界でも最も複雑なメカニズムの時計、時間を経るほど価値が上がる時計が造られるところだ。
「歴史があるということは素晴らしい価値です。人間や会社にとってのルーツですからね。でもルーツは根底にあるものですから、見えるものではありません。外から見えるのは木の葉っぱのようなものです」と哲学的な説明をするのは最高経営責任者のクロード=ダニエル・プロロックス氏だ。
古い伝統だけでは駄目
プロロックス氏にとっては会社内で熟練の時計職人が次の世代の時計職人にノウハウを伝授するのが不可欠だという。
「未来を創造していくには長い歴史が大事ですが、だからといって過去を振り返ってばかりではいけない。現在を生きなければなりません」という。
最善を尽くすには…
ヴァシュロン・コンスタンタンの歴史を振り返るにあたって、避けて通れない三人の人物がいる。
まずは、1775年にジュネーブのサン・ジェルべ地区に店を開店したジャン=マルク・ヴァシュロン氏だ。彼は時計を造っただけではなく、文人、歴史家、数学家でもあり、思想家ジャン=ジャック・ルソーやヴォルテールとも交友が深かった。
二人目は1819年、フランソワ・コンスタンタン氏だ。偉大な冒険家だったコンスタンタン氏は国外に幾度も出かけ、広く市場を拡げることになった。彼が、「できる限り最善を尽くす。そう試みることは少なくとも可能である」という会社のモットーを編み出した。
会社の地位を不動なものにしたのは三人目のジョルジュ=オーギュスト・レショー氏で1839年に登場する。プロロックス社長が彼を「驚くべき発明家」と呼ぶ、レショーが時計造りに革命をもたらした。パンタグラフという時計の構成部品を機械的に複写できる初の工作機器を発明する。このことで「今まで、手製で二つと同じ時計が造れなかったのが、この発明によって変革し、19世紀中ごろの工業発達とともに大発展をとげた」
顧客の名前は極秘
ヴァシュロン・コンスタンタンは毎年1万5000点しか製造しない。少な過ぎるのではないかという質問に「“毎日が戦い”と言っても過言ではありません。少ないシリーズの質を落さずに造るのは戦いなのです。消費者の要求はどんどん高くなり、こちらもそれに合わせなければなりません」とプロロックス社長。
ヴァシュロン・コンスタンタンは金持ちの顧客については一切言わない。「もちろん、うちのお得意様に各国首脳や有名人はこれまでも沢山いますが…」有名人や金持ちの名前を出すことは「当社の哲学に反する」ということだ。カタログにある時計は7500フラン(約65万円)から60万フラン(約5200万円)と幅広く、顧客も様々なのだろう。
250周年にあたり、今後の展望は「これからもセレクティブで特殊であり、真似をしないこと」という。「今後もお客様を驚かせるような、期待以上のものを造りたい」
swissinfo、ロバート・ブルークス 屋山明乃(ややまあけの)意訳
<ヴァシュロン・コンスタンタン>
1755年に創立された世界で最も古い時計製造メーカー。
2004年に本社を郊外(プランレワット)に移したが、最も古い店舗、“メゾン・ヴァシュロン・コンスタンタン”は1906年来、ジュネーブの中心のリル島にある。上階の歴史資料室は事前に予約すれば閲覧可能。
部品製造や研究部門はジュラのジュー渓谷(ヴォー州)にある。
現在はリシュモングループの傘下に入っているが、それ以前(1986年〜1996年)はサウジアラビアのシェイク・ヤマニ石油相がオーナーだった。
– 今年4月ジュネーブでヴァシュロン・コンスタンタンの歴史的コレクション250点が競売にかけられ、落札総額数は1800万フラン(約15億円)にも上った。
– 故エジプト王、ファド1世が所持していた懐中時計は330万フラン(約2億8700万円)で落札され、世界で5番目に高い時計となった。
– この時計はファド1世のスイス訪問を記念して、スイス人から献上されたもの。
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