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アジア台頭のなか「スイス銀行」の看板はいつまで通用するか?

シンガポールの高層ビル群
2019年に撮影されたこの写真には、シンガポールの高層ビルにUBSが映っている Keystone / Alessandro Della Valle

スイスは常に富裕層を歓迎してきた。消費者として、そしてもっと重要なのは貯蓄者としてだ。国中の地下に銀行の金庫や保管施設が隠されている。山の岩盤をくり抜いて作られた軍の掩蔽壕を改造したものも少なくない。近くに道路がなく、空路でしかアクセスできない場所もある。

金庫・保管業務を専門とするブリューニヒ・メガ・セーフ(Brünig Mega Safe)の建設中の施設は、ルツェルンから南に40km離れた場所にある。堂々たる山を掘削し、金塊から株券、美術品、クラシックカーまであらゆる資産を「地下の洞窟でプロフェッショナルかつ安全に保管」する計画だ。管理費は25平米の金庫で50万ドル(約7500万円)から。

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スイスは3世紀にわたり、資金の管理と投資に関し信頼できる専門家のアドバイスをも富裕層に提供してきた。戦争、政治的混乱、増税の時代においても、スイスの安定性と地政学的中立性、そして銀行の裁量権が厳しく守られることを強みに、ウェルスマネジメント(資産管理)業界が繁栄し世界をリードした。

だが近年、こうした基盤にひびが入り始め、ライバルのアジア勢に注視されている。スイスは国際的な圧力を受け、銀行が顧客の口座情報を政府に渡すことを禁じる銀行秘密関連法を段階的に撤廃した。2022年のロシアによるウクライナ侵攻後にオリガルヒ(新興財閥)に制裁を科すという決定を下し、国際的中立国というスイスの評判に傷がついた。

世界中の何百万人もの富裕層を顧客に抱えていたスイス第2位の銀行クレディ・スイスが昨年破綻し、スイスは金融業界が強く安定した国であるという言説にも影を落とした。スイスの銀行業界に残る人々は、これが何を意味するかに気づいている。「グローバルハブの座を巡る争いにおいて、シンガポールと香港はスイスにとってさらに強力な競争相手になるだろう」――3カ国すべてで業務を展開し、アジアへの注力を強化しているスイスのプライベートバンクEFGのジョルジオ・プラデッリ最高経営責任者(CEO)はこう話す。

実際、オフショア(国外)資産の管理額では2028年までに香港がスイスを抜いて世界1位に躍り出る見込みで、シンガポールもそれに続きそうだ。ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の推計によると、世界のオフショア資産総額は2028年に17.1兆ドルに達し、うち3.2兆ドルが香港で管理される。スイスは3.1兆ドル、シンガポールは2.5兆ドルとなる。

2028年までの5年間で、香港のオフショア資産額は毎年6%の成長が見込まれる。スイスは3.6%、シンガポールは8.5%の伸びだ。

香港政府の命を受け中国本土からファミリーオフィスを誘致するジェイソン・フォン氏は「スイスはこれからも香港の競争相手であり続けるが、我々の脅威ではない」と話す。銀行・資産運用業界で27年の経験を持つ同氏によると、「スイスは崩壊しつつあり、香港は非常に有利な状況にある」。

「チューリヒのノーム」

スイスの資産管理業の始まりは18世紀に遡る。カトリックのフランス国王は、ジュネーブに逃れたユグノー(カルバン派新教徒)が興した銀行から資金を調達したが、国内での宗派対立が起こるのを恐れて取引を秘匿した。ジュネーブ州議会は1713年、銀行家が顧客名簿を当局と共有することを禁じる布告を発した。

銀行が裁量権を得たことは、ジュネーブが欧州の金融大国へと成長する足掛かりとなった。スイス人傭兵が戦闘で得た報酬がジュネーブに流れ込んだ。UBSのウェルスマネジメント共同責任者イクバル・カーン氏は「今日の世界的な資産管理モデルの基礎はスイスによって築かれた。その伝統は、他人の財産に対する注意義務と自制の原則から生まれたものだ」と語る。

スイスの秘密保持義務は、1934年制定の銀行法によって国内法制に定められた。顧客情報を漏らした銀行家は投獄される可能性があると規定された。当初、顧客となったのは迫害から逃れてきた欧州のユダヤ人たちで、自身の貴重品を守るためにスイスに口座を開いた。だが後になると、スイスの銀行は略奪資産の保管先を探していたナチスに重宝された。まもなくスイスの銀行口座は、財産の出所をあまり注目されたくない富裕層が好む金融商品となった。

スイスの銀行秘密は20世紀を通じ、独裁者やオリガルヒの資産を引きつけた。スイスのプライベートバンクの顧客の大半を占めるのは、近隣諸国の脱税弁護士や地方医師だった。20世紀半ばになると、英国の政治家はスイスの銀行家を地中で生活する妖精になぞらえ「チューリヒのノーム」と揶揄した。彼らが地下金庫に大量のカネを蓄えていたからだ。このあだ名はやがて名誉の証とみなされ、スイスの銀行家は英銀行からの電話に「もしもし、こちらノームです」と答えるようになった。

だが今、状況は大きく変わった。巨額の脱税案件の告発が相次ぎ、世界中の税務当局が取り締まりの強化を要求。スイスは銀行部門の透明性向上を約束せざるを得なくなった。

スイスは2017年、税の自動情報交換制度に署名した。これにより、スイスの金融機関は顧客が納税する居住国と口座情報を共有することが義務付けられるようになった。100カ国以上がこの制度に加盟しており、脱税者にとってのスイスの魅力はほぼ消失した。

とどめの一撃

スイスの銀行が持つ裁量権にとどめの一撃を与えたのは、2年前に発覚したスキャンダル「スイス・シークレット」だ。クレディ・スイスの顧客3万人の口座の詳細を記した文書が、世界40以上のメディアによる合同調査により暴露された。古くは1940年代に遡る文書に名前が挙がった人物の中には、戦争犯罪者や独裁者、オリガルヒ、麻薬密輸業者、人身売買業者などが含まれていた。

クレディ・スイスの破綻を受けて、スイス政府は金融当局の権限拡大やUBSの資本要件の引き上げなど、銀行システムを強化するための改革案をまとめた。銀行幹部らはこれに対し、規制を過度に強化すれば、最終的にはスイスの銀行が外国のライバル行に対して不利になる恐れがあると懸念する。

UBSのセルジオ・エルモッティCEOは6月、「香港、シンガポール、米国などの金融業界は、オフショア資産運用の王座をスイスから奪うべく激しい競争を繰り広げ、大きな進歩を遂げている。スイスが海外で主導的な地位を維持する能力を制限すれば、その恩恵は外国の金融業界に流れる」と訴えた。

何十年もの間、特に地政学的緊張の高まる時期は、スイスの中立性に対する評判は世界を股にかける富裕層にとって大きな魅力だった。だがそれも試練の時を迎えている。ロシアのウクライナ侵攻を受けてスイスが米欧の制裁体制に加わったことで、スイスが今も公平な立場にいるのかどうか、顧客に疑惑の目を向けられている。

業界団体のスイス銀行協会は9月に発表した報告書で、スイスが国際制裁体制を順守することが、スイスの資産運用会社が直面する最大の地政学的リスクであると指摘した。制裁がもたらした直接的な影響として、スイスの銀行がロシアから撤退したりロシアの顧客を追放したりしたことで、オフショア資産の多くが中東に流れたことを挙げた。

ジュリアス・ベアのアジア太平洋地域責任者、ジミー・リー氏は過去30年間、複数の西側諸国の銀行のシンガポール・香港業務を統括してきた。最近、スイスは今も中立なのかと顧客からよく尋ねられるという。同氏の回答は「ウクライナはスイスのすぐそばにあり、スイスは立場を表明している」というものだ。「隣の家が火事になったら、中立でいられない」

ウクライナ戦争以来、スイスは北大西洋条約機構(NATO)にもさらに接近した。スイス国防省は年初に発表した報告書で、スイス軍が1515年以来初めて他国と軍事演習で協力する可能性があることを示唆した。

スイスが5世紀にわたって保ってきた中立宣言の維持に苦戦するなか、ウェルスマネジメントのライバル国は、中立的なビジネス拠点であるとアピールし信頼性獲得に努めてきた。スイスのある銀行幹部は「アジアのウェルスマネジメント拠点の中には、非常にうまく立ち回ったところもあった。彼らはスイスと同じように米国の制裁を受け入れたにもかかわらず、中立の立場を守り切った」と漏らす。

アジアの台頭

香港・シンガポールがスイスのきめ細かなウェルスマネジメント術を模倣し、最終的にスイスを追い抜くに至った流れは、歴史の気まぐれだったとみなすこともできる。21世紀にアジアの富が急拡大し、その副産物にすぎない、と。だがシンガポールに限ってはむしろ計画的だった。シンガポールがマレーシアから独立した2年後の1967年、リー・クアンユー初代首相はチューリヒを旅行中、自身が建国した国をアジアの金融ハブに変えるという構想を思いついた。天然資源がほとんどなく強大な隣国に囲まれた小国ながら、数世紀にわたりオフショア銀行業務とウェルスマネジメントの世界的中心地としての地位を確立したスイスを目の当たりにしたうえでの閃きだった。

シンガポール政府はスイスに倣い、資産の預け先を探す外国人富裕層を誘致する税制を設計した。スイスの民間銀行の支店も誘致した。「我々は意図的にシンガポールの金融センターとしての発展を奨励してきた」。リー氏は1971年、チューリヒを訪れた際にスイス・ユニオン銀行(現UBS)でのレセプションでこう力説した。「欧州にとってのスイスのように、シンガポールは東南アジアにとっての通貨・金(ゴールド)市場となることを目指している」

香港とシンガポールがオフショア市場として台頭したのは、この数十年の人口動態の変化や、アジアの富裕・上流階級の台頭にも起因する。中国本土のミリオネアは600万人に上り、米国に次ぐ世界2番目の多さだ。マッキンゼーによると、香港の資産運用会社が抱えるオフショア資産のうち、中国本土から流れ込む資産が約半分を占め、香港の急成長を牽引してきた。スイスの成長は鈍化し、シンガポールもスイスほどではないが伸び悩んでいる。

UBSが香港本店を西九龍駅に完成したばかりの新築オフィスタワーに現地本社を移転するのも、物理的な近接性が大きな理由だ。再開発により、香港世界最大かつ最も人口の多い都市圏「粤港澳大湾区(グレーターベイエリア)」が高速鉄道で結ばれる予定だ。

一方のシンガポールは、世界の投資家にとって東南アジアへの玄関口としての役割を果たし、その裾野は北アジアにも広がりつつある。今後5年間でシンガポールに流入する富の約3割は中国が占め、香港と台湾が続くと予想される。

香港とシンガポールがオフショア資産の預け先として重要性を増していることの表れとして、ファミリーオフィス(FO)市場の急成長が挙げられる。FOは1~数家族の裕福な家庭の資産を管理するために設立された小規模企業で、税金や相続対策から投資や慈善事業まで、包括的なサービスを提供する。香港とシンガポールでは今年、ともにFOの設立数が過去最多を記録する見込みだ。シンガポールで2018年に運営されていたFOは 50社だったが、足元では1650社に急増した。香港にも2700社を超えるFOがある。

新興FOは主に資産の運用先を多様化したいアジア諸国の富裕層の需要をつかみ、資産を国内市場から国際的な運用に移したり、国内で問題が起こった場合の代替先をあてがったりしている。特にシンガポールは、遠い地域のFOの支店開設を誘致している。UBSでシンガポール事業を担うアジア太平洋地域資産運用部のジン・イー・ヤング共同責任者は「中東や欧州のFOの支店もある。彼らはシンガポールをこの地域への窓口とみなしている。権威が高く、中には数世代の歴史を持つFOもあり、アジア投資への参入を狙っている」

成長痛

香港とシンガポールがウェルスマネジメント業を立ち上げたとき、両国はスイスのモデルを参考にした。だが長い間、顧客のニーズはスイスのそれとは大きく異なっていた。UBSアジア太平洋地域資産運用部で香港事業を統括するエイミー・ヨウ共同責任者は「私がプライベートバンキングを始めた1990年代は、個人顧客が中心だった。グローバル化に伴い、当社の顧客の7割は起業家が占める。現在は後継者計画や事業の維持、慈善活動、社会貢献が重視されている」と話す。

シンガポールと香港の当局は、顧客ニーズの変化への対応を期すため、地元の人材プールの向上に取り組んでいる。EFGのプラデッリ氏は「アジアの国際金融センターに行くたびに、ウェルスマネジメント業界で働きたい人の数を増やすにはどうしたらよいかが話題になる」と話す。「人材は非常に重要だ。スイスには伝統的にこの業界に優秀な人材基盤がある。アジアの金融センターは優れた人材輩出システムを持ち、改善も進むが、それでもまだかなり不足している」

シンガポールには近年、中国や香港からの資金が流入している。中国の権威主義が強まるとみた富裕層が資産を移したためだ。だがこうした資金流入は昨年、30億シンガポールドル(約3400億円)規模のスキャンダルに発展した。アジア最大のオンライン賭博捜査の末、中国人10人がマネーロンダリング(資金洗浄)の罪で有罪となった。国中が捜査対象になり、金塊や高級ワイン、暗号資産、デザイナーハンドバッグ、高級車が押収された。シンガポールの銀行はその後、外国人顧客への監視を強化し、資産の出元の特定を徹底するようになった。この新規顧客の獲得は鈍化した。

このスキャンダルは、急成長するFOに対するシンガポールの規制の甘さを浮き彫りにしたとの指摘もある。だがドイツ銀行のプライベートバンク部門で新興市場を率いるマルコ・パグリアラ氏は、事件はむしろ地元の規制当局が招いた成長痛だと考えている。

「ある時期に北アジアから大量の資金が流入し、軌道修正する必要があった。彼らは非常に速やかにそれを実行した。シンガポールは金融センターの管理方法に関して、非常に厳格で組織的な運営に重きを置く」

シンガポール政府は今月、国内のマネーロンダリング対策を強化する一連の勧告を発表した。部署間の情報共有の改善や、検察官の権限強化などを盛り込んだ。シンガポール金融通貨庁(金融当局、MAS)は「我々は違法な富の流入を防ぎ、合法的な企業や投資家を歓迎する枠組みが引き続き強固なものとなるよう、業界や関係者と継続的に協議している」と述べた。

スイスらしさの価値

スイス市場が衰退するなか、スイスの資産運用会社は「スイスの銀行」であることの名声を生かしてアジアの成長に乗じようとしている。UBSのカーン氏は「スイスらしさは品質の高さや信用、信頼性を意味する。だが今日の世界ではそれだけでは足りず、文化的な伝統も必要だ」

カーン氏は以前、チューリヒを拠点にUBSのウェルスマネジメント事業の単独責任者を務めていた。今は成長を求めアジアに拠点を移した欧州ウェルスマネジメント会社の幹部の1人として、香港とシンガポールを行き来する。アジアの大手行は独自のウェルスマネジメントの確立に出遅れ、長い歴史を持つ米欧の競合行の後塵を拝している。だが、その距離は縮まりつつある。

スイスの銀行は、世界のウェルスマネジメントの中心地としての名声は陰りつつあっても、競合する金融拠点においてはなお優位にあることを認識している。

Copyright The Financial Times Limited 2024

英語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫

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