銀行守秘義務が崩壊寸前
国外の脱税者がスイスに持つ預金口座をめぐり、外国からの非難が引きも切らない。米国、イタリア、フランス、ドイツがスイスの銀行に課せられた守秘義務を撤廃させようと躍起になっている。
スイス金融界の牙城は今、徐々にほころびを見せ始めた。
金融危機の影響
「スイスの銀行守秘義務が、長期的には崩壊していくことは10年前から分かっていた」と語るのはバーゼルの経済専門家、マーシャ・マデリン氏だ。組織犯罪捜査などでの各国の協力、ホールディング会社誘致のための税優遇措置といった問題はすでに1990年代、経済協力開発機構 ( OECD ) で討議されていた。スイスの銀行のアメリカ法人を舞台とした脱税事件も、現在大きな問題として取り上げられている。
ブッシュ米政権下の時代には、こうした問題に触れることはタブーだったが「オバマ米政権になって、脱税問題が再び注視されることは、わたしは分かっていた」とマデリン氏は言う。
欧州連合 ( EU ) 諸国との租税条約の見直しもスイスへの圧力が増す要因となっている。しかも、金融危機により各国の財政が悪化していることも影響しているとマデリン氏は指摘する。「各国とも空になった国庫に税収が必要だ。よって、脱税問題は重要な意味を持ってくる。金融危機がなかったなら、圧力も今ほどではなかっただろう。スイスも財政難という同じ問題を抱えていることもあり、問題は複雑になっている」
犯罪捜査の協力、租税条約交渉にあたってスイスは、欧州諸国を相手にした場合とは違って、アメリカとはアメリカに有利な内容を受け入れることに甘んじているとマデリン氏は言う。
「ジュネーブ州はフランス、ティチーノ州はイタリア、チューリヒ州やバーゼル州にはドイツを念頭に置いて、スイスの銀行は逃避資金や脱税の受け入れに特化したサービスを充実させてきた。だからこそ、スイスの隣国は怒っている。これら3カ国がスイスに対して強い要求をしているのは、スイスが、アメリカに対しては柔軟であるにもかかわらず、自分たちに対して厳しい条件を突きつけ続けてきたという苦い経験があるからだ」
スイスの歴史の一部
スイスの銀行守秘義務は、プライベート銀行が何百年にもわたって行ってきた秘密厳守を慣行とする歴史を受け継いだものである。スイスでは、1935年の法設定から守秘義務はすべてのスイスの銀行を対象とした公のものになった。
第1次世界大戦では、自国の政情不安定に見切りをつけた資産家が、その資金をスイスの銀行に持ち込んだ。世界恐慌の際には、ドイツやフランスが自国からの資金の流出を防ごうとしたが、スイスの銀行は外国政府との協力を拒否した。このため1932年には、顧客情報を所持していたスイスの銀行の頭取がパリで逮捕されるという事件も起こっている。この事件によりフランスの顧客リストが暴かれ、大きなスキャンダルに発展した。
「そもそも1935年の法律は、銀行員が行内の情報を他言しないようにとの措置だった」とマデリン氏は言う。また政治的意図が動いたとも解釈されている。すなわち、社会民主党 ( SP/PS ) が銀行顧客情報を入手できないよう、当時保守派が支配していた連邦内閣の意向があったという。
マデリン氏は、ドイツはワイマール共和国時代からスイスへ大量の資金が流入し、政権の崩壊につながったことを指摘する。
「スイスは常に、例えばロシアの10月革命の際にも、ひそかな金融取引の中心的役割を担って来た。銀行守秘義務はスイスの歴史の一部である」
頭隠して…
スイスの歴史の一部である銀行守秘義務は、常に攻撃の的になってきた。1977年のクレディットアンシュタルト( SKA、現Credit Suisse ) が非合法資金をリヒテンシュタインに流した「キアッソ事件」後、左派勢力は銀行の守秘義務を撤廃する目的のイニシアチブを発足させたが、1984年の国民投票では73%の反対で、却下された。
各国独裁者の資金 ( ドュバリエ、マルコス、アバチャ資金など ) を受け入れたことで、連邦政府は国際的圧力を受け、緊急に資金凍結 を決定し、法改正まで強いられた。
「ホロコーストの犠牲者の資金でもスイスは大きな外圧を受けた。南アフリカでもアパルトヘイト政権の銀行であったことから、アメリカではアパルトヘイトの犠牲者からも非難された」
とマデリン氏はスイスの近代外交史を振り返る。当時、クリントン米政権にスイスの銀行との交渉を任命されたスチューアート・アイゼンシュタット氏は、スイス政府は無関係と言われ非常に驚いたという。アパルトヘイトとの問題についても、スイス政府は同様の態度を貫いた。
「過去50年間、スイス政府は、頭を隠し続け、超ネオリベラルな経済外交をし続けてきた。いまになってやっと、スイスの法律が世界では通用せず、新たな法整備が必要であることに気付き始めた」
とマデリン氏は厳しく指摘する。
厳しい圧力
現在、各国政府はどのような手段に訴えてでもスイスの銀行守秘義務を破ろうと躍起になっている。その好例が2月になって起こった、ドイツ政府がスイスの銀行顧客の盗難データの購入を認めた事件だ。この事件は、法治国家として基本的な問題に触れる行為だとマデリン氏も認める。国際法専門家のマーク・ピエート氏もドイツの「国家干渉」であるとの考えだ。
ドイツは以前からスイスとの関係で、「ドイツの脱税者をスイスが法的に保護するという」根本的な問題を抱えていたとマデリン氏は言う。
「これも隠匿罪。スイスだけが、そうであると考えていない。ここで、租税条約の交渉を拒むことは「こざかしい威嚇 ( いかく ) にすぎない。拒めばスイスはEUとの距離がさらに開いてしまう」
「銀行守秘義務をいまだに温存させたいと思う人は、スイスがいまだに国際外交的に強い立場にあると大きな勘違いしている。外国人の銀行顧客に対して、また国家間の犯罪資金調査の協力に関する新しい法整備が必要だ。UBS銀行問題でスイス全体が被害を被ったと言っても仕方がない。もちろん、UBSが犯罪者と取引をしたことは確かだ。しかし、スイス政府が新しい法律を作らない限り、外圧は収まらないだろう」
とマデリン氏は予言する
ジャン・ミシェル・ベルトゥ 、swissinfo.ch
( 独語からの翻訳、佐藤夕美 )
小さな違い
ドイツをはじめ他の多くの国と違いスイスの法律では、脱税行為と税の申告漏れは法的に異なる扱いをされる。マネーロンダリングのような行為は他国の捜査にスイス政府も協力する。一方、合法的に得た所得に対する税を払わなかった場合は、スイス政府は他国と協力して捜査することはほとんどない。この違いが、欧州連合( EU ) 諸国やアメリカの非難の的となっている。
マーシャ・マデリン氏 ( Mascha Madörin ) 略歴
1946年生まれ
経済学者。大手金融機関、州財務省、民間研究機関での勤務の経験を持つ。モザンビーク大学で教べんを取る。
1980年代にはNGOに勤務し、スイスと南アフリカ問題、スイスの金融界と途上国関係について、論文を執筆。20年間以上、女性の経済を専門とし多数の大学で講義を行っている。近年、性別にみる予算分析研究プロジェクトに参加。
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