日本のアール・ブリュットが放つ「独自の世界」とは
チューリヒのヴィジオネール美術館で開催中の「アール・ブリュット・ジャパン」展が今週末、好評のうちに幕を閉じる。ここ近年、美術界で再評価されつつあるアール・ブリュットだが、ヨーロッパでは特に、日本のアール・ブリュット作品に注目が集まっている。その「日本」ならではの魅力とは一体何なのか。
「どーん!」。入り口の左手にある獅子像の作品を見た瞬間、真っ先にその言葉が頭に浮かんだ。顔の回りには立派なたてがみがびっしりと生え、二つの目はランランと光り、左右に大きくぱっくりと開いた口からは、鋭い牙が飛び出している。縦横サイズはおよそ30センチ。そのような小ぶりの作品にも関わらず、随分とずっしりした印象を受ける。その隣に置かれているのは、真っ白な人形の作品。顔の部分だけに色がついており、困ったギザギザ眉毛と真っ赤な唇が印象的だ。何も語り掛けていないようでいて、色んなことを語り掛けてくるような大きな目につい見入ってしまう。
アール・ブリュットとは
1960年代にフランス人芸術家のジャン・デュビュッフェが提唱した「アール・ブリュット(Art Brut)」。フランス語で「生(き)の芸術」という意味を持ち、英語では「アウトサイダー・アート」と表現される。
アール・ブリュットは社会的評価や賞賛に無関心な作家が自らの衝動にのみ駆られて静かに、ひそかに創造した、汚されていない芸術作品を指す。正規の美術教育の影響を受けず、美術の主流に属さない、独自性の強い作品を生み出すのが特徴的。障害者に限らず、独学者による作品や子どもの作品もアール・ブリュット作品の中に含まれる。形態は絵画、彫刻、陶芸、服飾、映像、パフォーマンス、音楽などさまざま。
2013年、ヴェネチアのビエンナーレ国際美術展でアール・ブリュット作品が国際的に大きな注目を集め、人々の関心はこれまで以上の高まりを見せている。
スイス国内では近年にかけて国内のカルチャー誌や地方紙がアール・ブリュットを取り上げるようになった。世界35カ国に展開する若者向けの情報サイト「ヴァイス・メディア」スイス版では、アール・ブリュット専門のヴィジオネール美術館を「ちょっと芸術に触れたいときに訪れるべきクールな場所」として取り上げている。
ここ、アール・ブリュット作品を専門に扱うヴィジオネール美術館外部リンクでは、今年4月から「アール・ブリュット・ジャパン」展を開催している。反響は大きく、「他の展覧会とは比べものにならないほど来館者数が多く、驚いている」と館長のレア・フーラーさんは話す。
同展ではザンクト・ガレン州のラガーハウスミュージアムから借り受けた、日本人作家22人による150点以上の作品を展示。それに加えて、写真家のマリオ・デル・クルト外部リンクさんが日本滞在時に記録した、日本人アール・ブリュット作家の制作風景を写真やドキュメンタリー映像で見ることができる。
「この展覧会には年齢、性別関係なく、国内外からいろいろな人が訪れる。本当にさまざまだ」と館内を案内しながらフーラー館長は話す。展示室では年配の女性が1時間以上も日本のアール・ブリュット作家のドキュメンタリーDVDに見入り、来館者が自由に書き込めるゲストブックには、小さな女の子が感謝の意を込めて、日本の作家たちに宛てて書いた「ありがとう レナより」という文字。展示室の奥で、作品に顔を目一杯近づけて鑑賞しているのは若い男性だ。
日本のアール・ブリュットがなぜ注目されるようになったのか
ヨーロッパでの日本のアール・ブリュット人気の火つけ役となったのは、2008年、世界的に有名なローザンヌの「アール・ブリュット・コレクション」で開催された、日本人作家12人による作品展だ。作品展は大きな反響を呼び、その後10年頃からは、パリをはじめとしたヨーロッパ各地で日本のアール・ブリュット展が開催されるようになった。続く12年にはヨーロッパ巡回展「アール・ブリュット・フロム・ジャパン」がスタート。13年のロンドン開催時には9万4千人の来場者を記録した。
また同年、世界的に名高いヴェネチアのビエンナーレ国際美術展に澤田真一さんのアール・ブリュット作品が展示されたことで、日本のアール・ブリュットに対するヨーロッパの認識と関心は更に高まっていく。
ヨーロッパの有名な月刊美術誌「アート」にも日本のアール・ブリュットが取り上げられ、澤田さんの作品はビエンナーレ特集号の表紙を飾った。
日本のアール・ブリュットに見られる特色
「たとえば、この作品」。館内の真ん中に配置されたガラスケースで、フーラー館長が足を止めた。母親がアール・ブリュット専門のギャラリストとして40年のキャリアを持つ家庭に育ち、幼い頃からさまざまなアール・ブリュット作品に触れてきたフーラー館長は、日本のアール・ブリュットには、他の国にはない特色がいくつか見られると話す。
ガラスケースの中に並ぶのは、勝部翔太さんの作品だ。ケースに顔を近づけてみると、極めて小さな、高さ3センチほどの人形が何体も立っている。「この人形の素材には、袋などの口をくくるための針金が使われている。アニメの戦士をイメージして作られた作品だが、モチーフだけでなく、細やかで丁寧な作業を必要するこの作品は、いかにも日本らしい」(フーラー館長)
アール・ブリュット作品は世界的に見ても大胆で力強い作品が多いが、日本では手先が器用ではないと制作できないようなものや、独特の美的感覚で、細やかな作業のもと丁寧に制作された作品が多いのが特徴的だとフーラー館長は話す。また「作家が扱うモチーフは、住んでいる国の文化に関係したものが多い。特に若い作家の作品からは日本のアニメの影響が見られる」という。
漢字やひらがな、カタカナなどが作品中に使われているのも日本のアール・ブリュット独特のものだ。
しかし、アール・ブリュットの表現の根底にあるものは出身国を問わず、基本的に皆同じだとフーラー館長は強調する。アール・ブリュットの作家たちは総じて自身を「アーティスト」だとは思っておらず、誰かに評価されたいとも思っていない。それぞれが独自の「世界」を持ち、それを形にしたいという一種の「衝動」が彼らを制作へと駆り立てるのだという。
「そのため作品に使われる素材はごく普通のものだ。床に落ちているダンボールだったり、その辺で見つけた紙だったりする。また、描いている最中に紙が足りなくなれば、彼らはセロハンテープで紙を継ぎ足して描く。表現方法も独自性が強い。スイスの有名なアール・ブリュット作家アドルフ・ヴォルフリは、独自の音楽や言葉を生み出した。彼にとってはそれが、独自の『世界』を表す手段だったのだ」(フーラー館長)
もはや「アウトサイダー」ではない
そのような独自性の強いアール・ブリュット作品は、これまで一般の美術界と関連がない「アウトサイダー」たちの知られざる作品として扱われてきた。すでに60年代頃から認知度が高かったヨーロッパでも、「アール・ブリュットはまったくの別物として考えられていた」とフーラー館長は振り返る。それが今では世界最大規模のビエンナーレ国際美術展でも大々的に取り扱われ、注目を浴びるようになった。
「美術界とアール・ブリュットの明確な境界線はもうないのではないか」という議論は頻繁に行われているとフーラー館長は言い、そしてこう問いかける。「40年前のヨーロッパでは、知的障害者や正規の美術教育を受けていない人が芸術制作することはとても特別なことだった。しかし今は何でも『アリ』な世の中で、誰もが心に問題を抱えているといわれる時代だ。そんな時代に果たしてアール・ブリュットと他の芸術の明確な境界線は存在するのだろうか?」
今日、アール・ブリュットはもう「特別なこと」では無いのかもしれない。そう考えながら出口付近に飾られた、アール・ブリュット・パフォーマーの宮間英次郎さんの写真を見る。人形をくくり付けた白い帽子に、ピンク色をしたハート型のメガネをかけ、両耳に掛けた小さな水槽では金魚が泳いでいる。真っすぐな視線でカメラを見つめている。「作家の正直さに心を打たれるの」。隣の女性がそうつぶやいた。
ヴィジオネール美術館
チューリヒ旧市街に位置する、アール・ブリュットを専門に扱う美術館。2013年にオープン。
14年にザンクト・ガレン州のラガーハウスミュージアムで行われた日本・スイス国交樹立150周年記念事業「アール・ブリュット 日本・スイス」展に感銘を受けたフーラー館長が、チューリヒでも日本のアール・ブリュットを紹介したいと展覧会を計画。ラガーハウスミュージアムの協力を得て、15年4月に「アール・ブリュット・ジャパン」のチューリヒ特別展をスタートさせた。展覧会は15年7月26日まで。
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