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スイスの高齢者施設を見舞ったコロナ危機

高齢者施設への家族訪問
2020年5月11日のロックダウン第2弾緩和で、国内の高齢者施設への見舞い・訪問が解禁された。でも感染防止のため、面会はアクリル板越し。家族に直接触れることはまだできなかった Keystone / Laurent Gillieron

新型コロナウイルス危機は、スイスの高齢者施設にも大きな影響を与えた。2カ月に及ぶ家族の面会禁止、ソーシャルディスタンシング(社会的距離)、マスクの着用ー。お年寄りや介護士はこの非常事態にどう向き合ったのか。

スイス東部ザンクト・ガレン州に住むリッチャー美津子さん(54)は、車で10分ほどのところにあるホスピス兼高齢者・障がい者施設で介護職の仕事をしている。ここの住人は、主に加齢に伴い自力での生活が難しくなった高齢者や認知症、寝たきりのお年寄りたちだ。

施設の写真
リッチャーさんが働くホスピス兼高齢者・障がい者施設。ロックダウンで面会が禁止になった時は、家族が住人の顔を見にここの庭に来ていた swissinfo.ch

リッチャーさんの施設では3月ごろから、ソーシャルディスタンシングを示す黄色と黒色のテープが地面に張られ、その数が徐々に増えていった。スタッフにはマスク着用が義務づけられ、手のアルコール消毒剤は2種類増えた。住人とのハグ(抱擁)、握手が禁止になり、連邦政府のロックダウン措置が発表された3月中旬には、住人家族の訪問も禁止された。

スイスで初の感染者が確認されたのは2020年2月25日。感染者の急増を受け、スイスでは3月16日から全国の学校が休校となり、17日には生活必需サービスを除くすべての店舗・施設が営業を停止。事実上のロックダウン(都市封鎖)に入った。

>>国内初の感染者からロックダウンまでースイス政府はどう対応したか

政府はまた、65歳以上の人たちは重症化リスクが高いため、不要な外出を避けるよう呼びかけた。スイスの各州は高齢者施設への訪問を原則禁止にする措置を取った。

また政府外部リンクは、医療・衛生部門に勤務する人で、ケア中にソーシャルディスタンシングを保てない場合は衛生マスクの着用を推奨している。

マスクが生んだコミュニケーションの壁

リッチャーさんは「特にハードルが高かったのはマスクを着けて高齢者に接することだった」と振り返る。スイスにはマスクをする習慣がない上に「認知症の人たちは自分たちが高リスク群であること、私たちがマスクをする理由が理解できない。耳の聞こえにくいお年寄りにとって、表情や口の動きは重要なコミュニケーション手段だが、マスクはそれを隠してしまう」

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しかも、高齢者、特に認知症を患う人は環境の変化にとても敏感だ。マスク姿のリッチャーさんが近づくと、顔を指さし「Nein(いやだ)」と言われたり、寝たきりのお年寄りをケアしているときに、指でマスクをぐっと引き下げられたりしたという。リッチャーさんは「ハグや握手が禁止されたことよりもきつかった」と話す。

リッチャー美津子さん
リッチャー美津子さん。日本で約20年間、看護師・ケアマネジャーとして臨床・訪問看護に携わる。2012年、結婚を機にスイスに移住。施設ではフルタイムの正社員として働く Mitsuko Litscher

施設では20カ国の外国人が働く。顔が半分おおわれた状態で、言葉も文化も異なる相手とやり取りするのは時に骨が折れたという。

募るストレス

感染予防のための様々な制限措置は、住人たちの心に大きな影を落とした。感情の起伏が激しくなって突然ぽろりと涙をこぼす人、大きな声を上げる人、頭をかきむしる人―。家族との接触は電話か、建物内から庭先まで来てくれた配偶者や子供たちに手を振るくらい。あるお年寄りは自分にだけ家族から電話がかかってこない、と言って部屋から出てこなくなった。家族に捨てられた、と言い出す人もいた。

リッチャーさんは「スタッフは家族の代わりにはなれない。でも一日一日を愛情豊かに過ごしていこうと肝に銘じて、ケアに当たった」と話す。

ストレスはスタッフの心にも見えない形で積もっていった。「交代の際に住人の状況を伝える申し送りで、言葉尻がどこかとげとげしてしまう。ささいなことで言い合いになることもあった」という。

職員の中には、ストレスなどで体調を崩してしまう人が出た。これまで病欠すらしたことのない勤続24年の同僚女性は、感染への恐怖から1カ月間、職場に出てこられなくなった。若い20代の女性スタッフは、体調不良を理由に今も休んでいるという。

ベッド越しの別れ

つらい別れも経験した。10数年前に施設に入居し、6年前から寝たきりの人のための共同部屋で暮らすマックスさんが、ロックダウン中に帰らぬ人となった。70代後半のマックスさんは若いころに脳血管疾患を患い左半身がまひに。100キロ近い大柄の体を動かすのは大変だったというが、リッチャーさんを見るたびに「トヨタ」「フジヤマ」と冗談を言ってくる。マックスさんとはとても仲良くしていたといい、スタッフの間でも人気者だった。

マックスさんが暮らしていた共同部屋
マックスさんが暮らしていた共同部屋 swissinfo.ch

妻ミルカさんは週2回、欠かさず面会に来ていたが、ロックダウンでそれができなくなった。亡くなる直前、マックスさんと対面できたのはたった2回。1回目は2メートル離れてわずか15分、2回目も家族が近づけるのはベッド越しまで。マックスさんに直接触れることは叶わなかった。

「私があなたの代わりに触るからね」。リッチャーさんがマックスさんの体をマッサージすると、誤って胸毛を引っ張ってしまった。マックスさんがぽつりと返した「Egal(構わないよ)」。それが最期の言葉になった。

ロックダウンで葬式の参列も家族だけに限定されているため、きちんとお別れも言えなかった。

「コロナのせいで、家族があんな形でしかお別れができなかったことが本当に残念。もっとそばでもっと長く、顔を見せてあげたい、触れさせてあげたい。もっと、もっと何とかならないのかと切なすぎた時間だった」

マックスさんのラジオ
毎日夕方になると30分、ラジオを聞くのを日課にしていたマックスさん。その古ぼけたラジオは、彼が暮らした部屋に今も置いてある Mitsuko Litscher

面会が解禁

5月11日、ロックダウンの第2弾緩和ともに、面会の禁止が解かれた。

当初はソーシャルディスタンシングを維持するため、卓球台の中央にアクリル板を立てて、それを挟んで会話してもらうなどの形をとっていたが、6月に入ってからは施設1階のカフェテリアを開放。家族がマスクを着ければ至近距離での面会ができるようになった。住人たちにも徐々に笑顔が戻ってきた。

住人向けのレクリエーションも再開された。

待機場所
面会に来た家族の待機場所が、敷地内に設けられた。面会は今も電話予約が必要で、訪問者は咳や熱の症状がないか、問診票に記入する Mitsuko Litscher

ただ職員は今もマスクを着け、できる限りソーシャルディスタンシングを守りながら仕事をしている。施設内の学童保育所も閉まったままだ。

国内では高齢者施設入所者の感染・死亡が問題になっているが、リッチャーさんの施設ではこれまで、ウイルスの陽性反応者は出ていない。

スイスでは2020年5月中旬時点における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の死亡者のうち、半数以上が高齢者介護施設の入居者だったことがドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガーの調査で分かった。

5月18日付の同紙電子版外部リンクによると、国全体の死亡者の94%を占めた18州では、高齢者介護施設入居者の死亡者が計927人に上り、死亡者全体の53%を占めた。一部の州はこれらの施設の入所者でも病院に搬送されて死亡した場合は数に含めないため、実際の数字はさらに上昇する可能性があるという。

5月12日時点の州別相対死亡率では、ニトヴァルデン準州(100%)、グラールス州(92%)、ヌーシャテル州(65%)、チューリヒ州(64%)、ヴォー州(60%)など14州が50%以上となった。チューリヒ、ヴォー州は国内でも感染者数が多い地域だ。

シュヴィーツ州では州の死亡者(23人)のうち11人が同じ高齢者施設の入所者だった外部リンク

当たり前のことに感謝

ロックダウンが始まった当初は、終わりが見えない不安を抱える毎日だった。でも「何とかしてこの状況を受け入れ、生きようとする住人たちのたくましさに背中を押された」とリッチャーさんは話す。

ロックダウン中、住人に電話をかけてきた家族の女性から「スタッフの皆さんは元気ですか」とねぎらわれ、とても救われたという。「今まで当たり前に会話していた住人家族とのつながりがどれだけ支えになっていたのかを、改めて感じた。新型コロナウイルスは憎いけれど、それがなければ気づかなかった」

施設が通常の生活に戻るには、長い時間がかかる。「マスクが取れる日が、一つの節目になると思う。その日が早く来ることを願っている」

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