パウル・クレー(左)とヴァシリー・カンディンスキー。1929年、デッサウにて
reproduction Bruno Descout/Centre Pompidou
ベルンのパウル・クレー・センターがオープンしてから10年。国際的なネットワークの支えもあり、同センターはようやくかつての悩みから解放された。同センターでは現在、開館10周年を記念し、同時代を生きた画家パウル・クレーとヴァシリー・カンディンスキーの展覧会を開催。世界的に見ても、これまでになく充実した内容となっている。
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2015/06/24 11:00
「2、3年に一度だけではなく、少なくとも1年に一度は集客力の高い展覧会を開催したい」と話すのは、パウル・クレー・センターのペーター・フィッシャー館長だ。「大きなインフラ設備が整っているのだから、それを生かさなければならない」
それと共にフィッシャーさんは、3年半前にディレクターに就任した当初から問題視していた二つの点を明らかにした。それは、たとえ画家パウル・クレーが近代を代表する画家であったとしても、一つのテーマに特化した美術館としてやっていくには、同センターは規模が大き過ぎ、またその運営にも費用が多く掛かるということだ。
「来館者数は、まだ低迷している」とフィッシャーさん。目指す来館者数は20万人だ。2014年の来館者数は16万6千人で、15年はさらに多くの来館者数を見込んでいるという。同センターが抱えていた悩みはもう過去のものになりつつある。
フィッシャーさんは「この10年間でパウル・クレー・センターの特徴が強化できたと考えている。同センターは新しい取り組みだったため、他から何かを採用することはできなかった」と話し、「開館当初から、専門分野において世界各国の美術館と協力するだけでなく、学会においても色々な貢献をすることで、同センターは国際的なポジションを得ることができた。国外で開催された、多くのパウル・クレー関連の展覧会にも関わってきた」と過去を振り返る。
そうした国際的なポジションの確立、他の美術館との交流や協力関係が、今ようやく実を結び始めた。一年ほど前にはロンドンのテート・モダン美術館で、また15年春には独ライプツィヒで行われたクレーの展覧会に協力。両展覧会は大きな反響を呼んだ。
日本では一般教養のクレー
パウル・クレー・センターは、日本の美術館とも深く結びついている。今夏には宇都宮市と神戸市で、同館所蔵のクレー作品を展示予定だ。「クレーは日本で広く受け入れられている。クレーは日本人にとても愛され、またよく知られており、モネやゴッホ、ピカソと同レベルの画家として位置づけられている」とフィッシャーさん。そのためか、同センターの外国人来館者数の3分の1、また夏のシーズン中はその半分を日本人が占めるという。
現在同センターで開催中のクレーとカンディンスキーの展覧会は、国際的なポジションを確立できたからこそ、実現可能だったと言える。展示されているカンディンスキーの作品は独ミュンヘンのレンバッハハウス美術館の所蔵品が多く、中には「青騎士」時代の重要な作品が含まれている。また、パリのポンピドゥー・センター、ベルリンの国立美術館、そしてニューヨークのグッゲンハイム美術館からも作品を借りている。
展覧会「クレーとカンディンスキー」
この展示会ではパウル・クレー(1879~1940年)とヴァシリー・カンディンスキー(1866~1944年)の180点以上の作品が展示されている。開催期間は2015年9月27日まで。
近代美術の発展に貢献した二人の画家の関係がこれまでになく徹底的に研究され、これほど優れた作品が展示されるのは、今回の展覧会が初めて。
二人の画家の友人関係、ライバル関係としてのあゆみだけでなく、30年間でお互いに与えた影響が鮮やかな事例と共に展示されている。
クレーとカンディンスキーはワイマールのバウハウスで教育者、芸術家だった時代に親交を深めた。クレーはカンディンスキーによって幾何学的な表現に触発され、また13歳年上だったカンディンスキーはクレーの独特の造形を用いた構成主義的作品から影響を受けた。
ナチス政権が成立すると、クレーとカンディンスキーは多くの作品にぼやけた茶色を用いてナチスに反対の意を示した。亡命の後、その色は消された。
ヴァルター・グロピウスによって建てられたデッサウの二戸建住宅に住んでいたが、クレーとカンディンスキーは互いへの配慮を大切にした。常に敬語で会話を交わし、誕生日に絵を贈りあう時も一定の距離を保っていた。
(出典:スイス通信)
後援者の存在
このように国際的ネットワークがうまく機能している一方、同センターの存在を地方自治に組み込み、基盤を安定させるというプロセスはスムーズにいかなかった。そこには、ある一人の後援者が関わった、同センターの立ち上げにまつわるエピソードが深く関係している。
2009年に死去したマウリス・エドモンド・ミュラーさんは、人工股関節を考案した整形外科医で美術収集家だった。パウル・クレー・センターの建築費、土地代金の一部、所蔵していた作品のほぼ半分など、合計で1億2500万フラン(約166億円)を寄付した。だが、自宅のリビングからセンターを眺められることをその条件とした。そのため同センターは必然的にベルン市のはずれに建てられることになり、また、ミュラーさんの希望で建築家にはレンゾ・ピアノさんが指名された。
ピアノさんは、パリのポンピドゥー・センターの建築に関わったことで知られている。また、バーゼル郊外のバイエラー財団美術館の設計も担当。ミュラーさんとピアノさんの共通の知人にはイタリアのピアニスト、マウリツィオ・ポリーニさんがおり、整形外科医のミュラーさんは過去に、事故にあったポリーニさんの命を救ったことがあった。
高揚感の後に残った二日酔い
こうしてピアノさんは記録的な速さで設計をし、ミュラーさんは建築費を支払った。「すばらしい建築と美術館が完成し、ベルンのような都市でこのような機会が訪れるのは100年に一度だ」とベルン市長は05年7月に行われた開館記念式典で賛辞を送った。また他の政治家は未来の「スイスの芸術都市」や、「新しいベルンのシンボル」、「(ベルンの新しい)灯台」について語り、世界中から観光客の波が押し寄せ、ベルンの宿泊客が増加することを夢見た。
しかし、そのような高揚感はすぐに冷めてしまった。来館者数は期待されたほど多くはなかった。建築費はミュラーさんが負担したものの、運営費や、手間を要するクレー作品の管理や維持費は公的機関が負担しなければならなかった。そのためベルン州とベルン市は財政緊縮計画を行ったが、負担額の割り当てに関する政治的議論が何年も続き、政治家たちはコスト削減をパウル・クレー・センターに迫った。このようにして同センターは財政危機に陥り、対外的なイメージが深く傷付いてしまった。
確かなコンセプト
11年秋に同センターの館長に就任したフィッシャーさんはまず、再建計画を打ち立て、財政整理を真っ先に行わなければならなかった。それが功を奏し、過去には連続3期の黒字経営となった。14年からは州が単独で年間600万フランの補助金を支給し、さらに建物維持費も援助することになった。またベルン市からは財政整理のために、400万フランが支給された。
フィッシャーさんはセンターの将来について楽観的だ。パウル・クレーの作品研究を深め、また大規模な展覧会を開くことで、幅広い集客効果を得るという明確なコンセプトを持っている。「これまでの経験からも、このコンセプトが長く続く可能性はある」
資金調達に関しては、企業から積極的に支援を取り付けたいと考えている。「物事がうまく進んでいる時は、支援を得やすい。常に財政問題でメディアの見出しになるようなところのスポンサーになりたいとは誰も思わない。数年間はそのような状態だったが、それを変えることができた。我々と協力して芸術都市としてのベルンを盛り上げようという関心が、経済界で突如高まってきているのを感じている」
(独語からの翻訳・編集 大野瑠衣子)
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「今回、世界遺産であるベルン市で『ジャパンウィーク』を開催するにあたり、1350人の参加希望者が集まった。これは29年ある『ジャパンウィーク』の歴史の中でも、トップ5に入る数」。多くの来場者であふれかえるパウルクレーセンターの展示会場でそう話すのは、公益財団法人国際親善協会の若林幸宏常務理事だ。同協会は市民同士の草の根レベルの国際交流を目的とし、世界各国でジャパンウィークを開催。今年は日本・スイス国交樹立150周年を記念し、ベルン市と共催した。
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