カーニバルの行列に、密着してみた! ~ スイス最大のファスナハト@バーゼル(前半)
ユネスコ無形文化遺産への登録が見込まれている、バーゼルのファスナハト(カーニバル)。観客以上に主催者が楽しみ、飲み、ふざけ、見せてくれるのはとてつもない迫力のパフォーマンスだ。街全体が、東京DSLさながらのパレードに取り組む。中世の街並みに色と形の波がかぶり、そこへバンドの演奏が重なる。さまざまな贈り物も宙を飛び交う。
過去には、何度も見物した。奇妙な鼻を持つ仮装行列に目を見張った。娘はキャンディーやガムを、私はオレンジやじゃが芋をもらって満足だったし、全身紙吹雪まみれになり閉口もした。
そう、かなり非日常的で、楽しいはずだった。けれど。
あまりの騒々しさに、頭痛を訴える人もいる。食べ物を投げるなんて行儀悪いとか、飢餓で苦しんでいる国もあるのにとか考えるようにもなる。
ふだん周囲にあれほど気を配り、騒音に関するルールを守り、環境を大事にするバーゼル人が、ファスナハトとなると人が変わったように粗雑になる部分がある。そんな違和感が、徐々にふくらんでいた。
また、彼らが掲げる風刺メッセージ。方言で書かれているから、我々外国人は理解できず、壁を感じてしまう。
こうしてファスナハトに対する興味が、時と共にだんだん失われていくのを感じていた。
それでも、心の底に残ったわだかまり。ファスナハトの一体なにが、彼らをそこまで駆り立てるのか? たとえばお祭り騒ぎの張本人たちと、半日でもいいから行動を共にし、話を聞いてみたら、すこしは謎が解けるかもしれない・・・・・・。
そんなわけで、昨年2月(※注)。ご登場願ったのは、シュテファン・エアプ氏(42・当時)。一緒にパレードを回りたいという私に、問題ないよと快諾してくれた。
彼のクリッケ(ファスナハトのグループ)は、「ディ・ヴァイヒェ」という。方言で「柔らかい」と「おバカ」という、ふたつの意味がある。
このヴァイヒェ、実はかなり小規模なのだった。会員数は、10~20人といったところ。年・日・時間帯によって参加人数が変動、飛び入り参加もあるので、正確な人数は不明である。
2015年度、バーゼル・ファスナハト委員会にパレード参加を申し込んだのは実に473クリッケ。その多くが100人以上と大規模なのだが、それ以外に小クリッケがいくつも存在する。たまたまヴァイヒェが小規模だったため、私は小クリッケにもぐり込むことになった。
両者の違いはまず、大クリッケが大太鼓・ドラム・サックス・ホルンなど指揮者つきのオーケストラを抱え、トラクター級の山車を率いるのに対し、小クリッケはせいぜいピッコロと小太鼓。山車も人力車だ。
またパレードも、小クリッケは好きなルートを回っていい。風刺メッセージのビラも配らず、メインは音楽演奏。ふだん忙しくて、準備している暇がないからとのこと。
ヴァイヒェの年齢層は、だいたい30~40代が中心。仮装行列は男性のすることと勝手に思い込んでいたが、半数近くがなんと女性だった。確かに楽器をかつぐのは体力がいるが、ピッコロなら軽いし、楽器を持たない人もいるので、女性も参加できるのだった。そしてお面をかぶれば、性別などわからない。
実はそこがポイントで、ファスナハトに参加すれば自分でない誰かになれる、そこが楽しいという人がいる。お面をかぶって仮装をしたら、誰も自分だとは気づかない。自分からは見えるけど、周囲は自分だとわからない。自由の身になれる、という体験が病みつきになるのだという。
バーゼルのファスナハトは月曜の早朝4時から水曜の深夜(木曜の早朝4時)まで、72時間続く。3日間をまるまる休日にしてファスナハトを行うのは、スイスではバーゼルだけだ。
私は、最終日の水曜に同行させてもらった。午後2時からと言われたが、向かう途中で仮装行列に気をとられ、2時を過ぎてしまった。集合場所・アンドレア広場のすぐ横で、ちょうどシュテファンと会う。自宅で衣装を身につけ(お面なし)、自転車に乗ってやって来た。
遅れたとあせる私に、大丈夫と言って笑っている。途中でもう一人のメンバーに会った。救急車の運転手をしているそうで、午前中だけ働いて、午後1時にトイレで着替え、衣装を着たまま職場を後にし、バスに乗ってきたという。
広場に着くと、本当に誰も来ていなかった。はて。スイス人は時間に正確のはずだが。
「ファスナハトの時は、違うんだ」、そう言って笑っている。予定表によると、2時45分までアペロ(食前酒、前菜)。そこへリーダーが山車を持って現れ、中に積んであった白ワインを開け、早速、乾杯が始まった。アペロといえども実際は、皆がそろうのをのんびり待つ時間なのだ。
2時45分、山車の中にぶら下げてあったお面をかぶって準備する。次の地点で合流する人もいるからと、10人で出発。
先頭を行くのは、兵隊の前衛という意味の「フォアトラプ」である。大名行列の人払いだ。とはいえ一行はにぎやかな商店街を抜け、大クリッケたちの派手なパフォーマンスを尻目に、静かな路地へと入っていく。人通りはぐっと減ってしまった。
バーゼルの旧市街に狭い路地がひしめいていることは知っていたが、何かの折に通り抜けるだけだった。私はこの日、小太鼓とピッコロの音色が流れる中、曲のリズムに合わせて石畳を踏みしめ、すぐにファスナハトの世界へと入り込んだ。前衛たちが山車を引き、両側を子どもが手を添えて歩く。その後ろに小太鼓、そしてピッコロと続く。私も後ろからついていく。
彼らは観客がいなくても休まず吹き続け、叩き続ける。あまりに集中していて、寒さも感じないという。たまにほかのクリッケが近づいてきて音が重なるが、つられることは全くない。
30分後、大通りに出てバーフューサー広場に到着。演奏が止まると、歩道の一角で全員が一斉にお面をとった。予定表にはないが、ここで休憩。ワイン、煙草、話し込む人、パレードを眺める人、スマホに見入る人・・・。結局、30分そこにいた。
出発。再び狭い路地を行く。小クリッケについて歩くと、バーゼルの風情ある路地めぐりができるのだった。中世の雰囲気ただよう噴水あり、蔦のからまった古い家あり。散歩好きに、これはおすすめである。
午後4時、リッターガッセ到着。バーゼルで最も歴史あるこの通りは、クリッケの休憩所と決まっているらしく、お面や楽器が道端にかためて置いてある。お面をぬいだ仮装者たちが、ワインを片手に、話に花を咲かせている。
休憩中でも彼らは道に立ったままだ。大クリッケなら居酒屋やレストランに入り、ビールを飲むと聞く。気温は8度ほど、しかもずっと外にいたのだから、ヴァイヒェも屋内で暖をとるのかと思っていた。ところが「パレードが見えるから、外にいたほうが面白いでしょ」。
彼らはあの雰囲気が好きなのだ。やるのも見るのも好きで、シュテファン曰く「できるだけ長時間、ファスナハトの場に身をおいていたい」。この時期はスキーに出かけてしまう人も少なくない中、彼らは毎年参加し、毎年楽しんでいる。
実はシュテファンは、バーゼル大学病院の内科に勤務する上級医師である。(つづく)
(※注) 今年2016年のバーゼル・ファスナハトは、2月15日(月)、16日(火)、17日(水)の3日間行われます。
平川郁世
神奈川県出身。イタリアのペルージャ外国人大学にて、語学と文化を学ぶ。結婚後はスコットランド滞在を経て、2006年末スイスに移住。バーゼル郊外でウォーキングに励み、風光明媚な風景を愛でつつ、この地に住む幸運を噛みしめている。一人娘に翻弄されながらも、日本語で文章を書くことはやめられず、フリーライターとして記事を執筆。2012年、ブログの一部を文芸社より「春香だより―父イタリア人、母日本人、イギリスで生まれ、スイスに育つ娘の【親バカ】育児記録」として出版。
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