出稼ぎ大国ネパール 妻たちの知られざる窮状
昨年のサッカー・ワールドカップ(W杯)カタール大会を機に、湾岸諸国で働くネパール人出稼ぎ労働者の過酷な労働環境が浮き彫りになった。しかし、母国に残る妻たちの窮状はあまり知られていない。
スンタリ・タマンさんは半年ほど前に夫を亡くした。夫のティルタ・バハドゥール・タマンさんは2021年、出稼ぎ労働者としてカタールに渡った。その後1年足らずで病に倒れ、入院を余儀なくされた。移住労働者とその家族を支援する団体、プラヴァシ・ネパール調整委員会のサポートを受けて帰国し、首都カトマンズの病院に入院したが、1週間後に死亡。カトマンズからドゥリケル市にある故郷のパダーリ村まではバスや乗合タクシーで約2時間の距離だが、帰郷は叶わなかった。
スンタリさんは「夫は故郷に帰ることも、自分の仕送りで建てた家を見ることもできなかった」と話す。
スンタリさん一家は2015年の地震で家を失った。近くの仮設小屋で暮らしながら、夫が震災前に2年間マレーシアで働いて得た収入とローンで家を建てたが、夫は完成前にカタールへ出発した。
スンタリさんは今、ひとりで4人の子供を養わなければならない。子供の教育費だけで月2~3万ルピー(約2万2千~3万4千円)かかる。コミュニティーでの立場も重くのしかかる。スンタリさんは、親族の祭事に自分の分担分を出すのもきついと感じている。「甥の(ヒンドゥー教の)入門式に出す祝い金を用意するのに苦労した」
スンタリさんは所有するニワトリと牛1頭、小さな農地で一家の5カ月分の生活費を賄う。残りは農場労働で補っている。
スンタリさんは何が一番辛いかとの質問に、思わず涙を浮かべた。隣人は、夫の死を受け止めることだと話す。彼は良い夫だったのだ。2021~22年の1年間で、ネパール人出稼ぎ労働者1395人(うち女性39人)が死亡した。大半は「自然死」によるものだった。それにもかかわらず、若い世代は自分の将来を海外に求めている。
スンタリさんは「長女は韓国へ移住したいと、韓国語を勉強している。6カ月の語学講座に2万ルピーかかる」とこぼす。
スイス外務省開発協力局(DEZA/DDC)とネパール政府が共同出資する移民リソースセンター(MRC)は、スンタリさんが外国就労中に死亡した移民の寡婦として補償を受けられるよう支援した。その結果、スンタリさんは夫の勤務先とネパール海外雇用委員会から各70万ルピー、保険会社から130万ルピーを受け取った。スンタリさんは補償金を賢く使えるよう、MRCのファイナンシャル・リテラシー・クラスに通う。
苦しい生計
スンタリさんは恵まれている方だ。swissinfo.chは、元出稼ぎ労働者のビノッド・ゴールザインさんの案内で彼の故郷ミティニチャップ村を訪れ、恵まれない境遇にあるもう1人の寡婦に会った。ビノッドさんは、スイス政府とネパール政府の共同事業「より安全な移住計画外部リンク」から報酬を得て、移住労働者の困窮する家族を見つけ出し、MRCにつないでいる。
ランピャリ・ゴールザインさんは仕事に遅れそうにもかかわらず、飲み水とグアバを出してくれた。ランピャリさんは村人の農園で働いている。
夫は2人の息子に私立学校でより良い教育を受けさせたいと考えていた。だが、親族の反対を受け、海外に職を求めるようになった。そして、2008年、カタールへ渡った。
ランピャリさんは当時をこう振り返る。「最初の3カ月間、夫からの連絡はなかった。村には電話がなかった。その後、夫から4万ルピーの送金があったので、長男を数カ月後、私立学校に入学させた」
夫は、カタールで働き始めてからわずか10カ月後に死亡した。雇い主が死因を自然死とみなしたため、ランピャリさんは補償の対象外になる。当時のネパールには出稼ぎ労働者の寡婦に対する公的な補償制度がなかった。海外労働保険制度が導入されたのは夫の死から半年後のことだ。ランピャリさんが受け取ったのは、夫の勤務先からの10万ルピーと仲介業者からの葬儀費用2万ルピーだけだった。
「夫は教育を受けていなかったので、海外でうまくやっていけるか心配だった。ここでも一緒により良い生活を送れたはずだ。いくらかの土地があるのだから、生きていける」(ランピャリさん)
夫の死後、ランピャリさんは孤独感から不眠になり、抗うつ薬を服用した。喪失感に対処できるよう、MRCのカウンセリングも受けた。だが、長男が側にいない寂しさにも慣れなければならない。ランピャリさんは不本意だったが、150万ルピーのローンを組み、長男を日本に留学させたからだ。「私は移住に反対だ。家族の海外移住は決して勧めない」と言う。
男性の6倍、無償で働く女性たち
国際労働移住と雇用を専門とするコンサルタントのシャル・ジョシ氏は、労働移住がネパールに与える最もネガティブな影響は、女性の労働量の急増だと指摘する。国際労働機関(ILO)の統計によると、ネパールでは、女性が家事など無償労働の85%を担い、全国1日あたりの総労働時間は2900万時間に上る。一方、男性は500万時間にすぎない。
「これは南アジアでは女性の無償労働が男性の平均4倍であるのに対し、ネパールでは女性が男性の6倍働いていることを示している。だが、ネパール人男性のわずかな貢献も移住で消えてしまった」(ジョシ氏)
同氏は、資金難のネパール政府が最近、「持続可能な開発目標(SDGs)」の社会的指標を達成したことを問題視する。国連が、ネパールはSDGsに示された社会的、経済的、政治的エンパワーメント(力づけ)の2019年目標を達成したとみなしたのだ。
「どうしてこんなことが可能なのか。栄養や家族の健康、福祉など、国がやるべき仕事を女性が担っているからだ」と同氏は話す。
過疎の村と出稼ぎ労働者の妻への先入観
2021年の国勢調査によると、ドゥリケル市2区にあるダンダガウン村は、女性100人あたり男性91人(全国平均は95.6人)しかいない。また、1世帯あたりの人数も3.83人と、同市で2番目に少ない(全国平均は4.37人)。同村では若い男性の海外移住は当たり前だ。
村に住むヤソダ・ゴウタムさんは、「昔は村人たちが支え合っていた。今の村は空っぽだ」と話す。
ネパール軍の元兵士だった夫は、1年半前からアラブ首長国連邦のドバイでフードデリバリーの配達員として働いている。ヤソダさんは地元で小さな店を切り盛りしながら、息子2人を育てる。ヤソダさんは夫の出稼ぎを望んでいなかったが、夫は世界を見たがった。子供たちが軍の上級将校になれるよう、良い学校に行かせたがった。
ヤソダさんは「嬉しいわけでも、悲しいわけでもない。夫は私たちの将来のために行った」と話す。
ネパール保健人口省の上級公衆衛生管理官ビム・プラサド・サプコタ氏は、移住が国の人口動態に与える影響を懸念する。人口増加率は2011年国勢調査では1.35%だったが、2021年には0.92%に低下。1911年に国勢調査を始めて以来、最低を記録した。合計特殊出生率も2011年には2.6だったが、2022年には2.1まで低下した。一方、2022年ネパール人口保健調査によると、15~49歳の既婚女性における現代的な避妊法の使用率は同期間43%と一定している。
同氏は「若い世代の移住は、出生率だけでなく経済や社会の発展にも悪影響を及ぼしている。政策立案者、政治家、市民社会が真剣に考えなければならない問題だ」と指摘する。
2022年のネパール労働移住報告書によると、ネパールの人口の7.4%が海外在住だ。この数字には非公式な移住や、ネパール政府の海外労働許可証が要らないインドへの移住は含まれない。実情に最も近い2021年国勢調査によると、全世帯の23.4%に海外に住む家族がいる。
ジョシ氏は「ネパールには若者のいない村がある。全77郡のうち、14郡が過疎に陥っている」と指摘し、「今では山間部には人口のわずか6%しか住んでいない一方、丘陵部には40%、テライ(平地)には54%いる」と話す。
ジョシ氏によれば、10年以上続いた内戦中は毎日200人ほどが国外に流出したが、比較的平和で安定した現在、その数は3千人に増えている。数字だけで読み取れないのは、若い男性は家を出て海外で働かなければならないという社会的圧力だ。
同氏はこれを「親族内では、海外で働く男性の数をめぐり一種の競争がある。移民は男らしいとみなされる一方、国内に残った男性はリスクを負わないから男らしくないとみなされる」と説明する。
他方、国に残る妻たちにもコミュニティーで好ましくないイメージを持たれる恐れがある。サプタリ郡とダニシャ郡の出稼ぎ労働者の妻1千人超を対象とした2019年の調査(スイス開発協力局出資)は、送金の悪用や不倫の疑いを指摘した。だが、同調査を実施したネパール社会環境研究所によると、現地でそのような証拠はほとんど見つからなかった。
調査報告書の執筆者は、「女性が不倫をしたケースは計3件あったが、夫が移住していなくても起きた可能性があった。だが、これが憶測を呼び、さまざまな形で郡内に広まった。話がでっち上げられ、定着した」と述べる。
これらの話に基づく報道記事が、出稼ぎ労働者の妻のイメージを落とし、火に油を注いだ。夫婦間に不信感を生んできた。
ヤソダさんは、「すべての移住が上手くいくわけではない。再婚(ネパールでは離婚の婉曲表現)する男女もいる」と話す。
お金よりも…
ヤソダさんの店の向かい側には、ミラニ・ラマさんが経営するレストランがある。ミラニさんの夫はドバイでヤソダさんの夫とルームシェアをし、同じ仕事をしている。ミラニさんはレストラン経営に加え、育児と家事もこなさなければならない。
「ひとりでレストランを切り盛りするのは大変だが、兄弟姉妹がサポートしてくれる」(ミラニさん)
ミラニさん一家にはドバイからの送金が必要だ。夫は毎月9万2千ルピーを彼女の口座に直接送金する。2021年の公式記録によると、在外ネパール人の母国への送金額は1兆600億ルピーに上る。これはネパールの国内総生産(GDP)の23.8%に相当する。国内で移民に関する話題の中心が仕送りになるのも当然だ。だが、最近は多くの若者を海外に送り出す社会的コストも取りざたされている。例えば、2021年国勢調査によると、子供の17.1%が父親と離れて暮らす。
サプコタ氏は、「移住労働者の家族は送金のおかげで医療や教育を受けやすくなっている。しかし、片親不在のライフスタイルが良いとは言えない。子供たちの成長・発達や社会性に悪影響を与える」と話す。
同氏は、在外ネパール人が母国に戻り、海外で得た知識や技術を基に自分のビジネスを始められるよう、政府が何らかの政策を立てるべきだと考えている。そうすれば、移住労働者が国民経済に直接貢献できるからだ。だが、これは帰国者やその妻たちが、カタールやマレーシアよりもネパールの方がより良い未来があると感じてこそ可能になる。
ただ、ネパールの海外雇用局が2011~12年以降、海外労働許可証を180万件更新したことを考えると、帰国者の大半が海外での再就労を望んでいるようだ。国際移住機関(IOM)が発表したネパールに関するCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)評価報告書2021によると、パンデミックにより帰国した人の64%が再移住を希望した。
ネパール政府は国内経済における送金の重要性を考慮し、海外労働許可証の更新手続きを簡易化した。渡航先の大使館(2回まで)やオンラインでの申請が可能になった。
ジョシ氏によると、「この国は(出稼ぎ労働者の)送金に頼っているのに、政治家は人々に移住しないでほしい、帰国してほしいと訴えている」。
ダンダガウン村で取材した家族2組を見る限り、今後の見通しはさまざまだ。来年40歳になるヤソダさんの夫は半年後にドバイから帰国する。ヤソダさんは夫の再渡航を望んでいないが、健康である限り夫を引き止められないのも分かっている。「この国に未来がないわけではない。だが、現状のままなら、夫は再び海外に出るだろう」
ミラニさんは夫の10カ月後の帰国を心待ちにしている。夫婦は大きな決断をした。「もう海外では働かないことで互いに合意した。その代わり、レストランを拡大する予定だ」
編集:Marc Leutenegger、英語からの翻訳:江藤真理
同ルポルタージュは、スイス連邦外務省開発協力局(DEZA/DDC)の支援を受け、スイスと途上国との間で年1回行われるジャーナリストの交換プロジェクト「En Quête d’Ailleurs (EQDA)外部リンク」を通じて実現した。2023年のテーマは「人口動態」。
EQDAが選ぶ途上国の報道機関とスイスの報道機関のジャーナリストがペアを組み、協力して相手の国からのルポを行う。
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