裁判官をくじ引きで スイスで司法の独立なるか
スイスでは連邦裁判官の選出手段を抽選方式に変更する案が持ち上がっている。この司法イニシアチブ(国民発議)が国民投票で可決される見通しは大きくはないが、司法の独立性の確保に向けて政治を動かすきっかけとなっている。
少なくとも政治家の間では、司法制度を改革する機運はない。連邦内閣と国民議会(下院)に続き、全州議会(上院)も司法イニシアチブに反対する姿勢を示している。この提案が国民投票にかけられる場合は、最終判断はスイスの有権者が下す。
司法イニシアチブは真っ当な問題に焦点を当てているが、どの政党も連邦議会では「制度は完ぺきではないがうまく機能している。ただ改善の余地はある」と似たような主張を展開している。
提案の狙いは司法の非政治化だ。内容は、連邦裁判官の選出方法を現行の連邦議会による選挙方式から、候補者の能力や資格に基づき、専門家委員会がくじ引きで選ぶ方式に変更するというもの(現在は候補者の所属政党が判断基準)。また、1人が裁判官に選出される回数を1回のみとし、任期を70歳までとする。さらに、裁判官を罷免できる制度も盛り込む。これにより司法の独立性と三権分立が保障できると発起人委員会は主張する。
司法イニシアチブを巡り、女性議員や裁判官協会などからは様々な提案が出たが、対案は作成されていない。このイニシアチブは、最高裁判官をくじ引きで任命する点が特に問題視されている。連邦議会はこの選出方式を度々「極端」と指摘してきた。連邦議会や連邦政府からの支持がなければ、イニシアチブが国民投票で可決される可能性はかなり低い。スイスのイニシアチブは10件中9件が否決されていることからも、司法イニシアチブが可決される公算は小さいだろう。
しかし、他のイニシアチブ同様、発起人たちは今回も国民投票が行われる前からすでに成功を収めていると言える。なぜなら、イニシアチブが問題とする点が連邦議会で議論されたからだ。そうした点は、以前からスイスの政治家たちの間で議論されることもあったが、発起人たちが有権者13万人分の署名を集めたことを機に、連邦議会で本格的に審議されることになった。
複雑な状況
正式には、スイスの裁判官は政党に所属する必要はない。しかし裁判官のポストは連邦議会での政党勢力図に基づいて配分される。これは公然の秘密であり、一種の非公式な「紳士協定」と言える。事実、無所属の人が裁判官になれるチャンスはない。最後に無所属の裁判官が選ばれたのは1942年のことだ。
この状況はこれまでも度々批判されてきた。問題の1つは、党利党略による選出方式では候補者の能力や資格が判断基準にならず、三権分立の観点からも懸念があること。もう1つは、裁判官の選出に社会のあらゆる層が適切に代表されていないことだ。有権者のうち政党に属している人の割合は全体で推定7%だが、統一された名簿がないため詳細は不明だ。
別の問題には「委任税」がある。これはスイスの司法における独自の制度で、選出された裁判官は所属政党に金銭を納めなければならない。委任税は連邦裁判官だけでなくスイス全国の裁判官も支払うことになっている。金額は政党によっても、どの政治レベル(連邦、州または基礎自治体)の裁判官かによっても異なる。
この委任税はすでに国際的な批判を浴びている。欧州評議会の反汚職国家グループ(GRECO)は「委任税は司法の独立性の原則に反する」とし、スイスを糾弾外部リンクした。
現在、連邦裁判官への委任税廃止を求める提案外部リンクが連邦議会に提出されている。この議員発議を行ったベアト・ヴァルティ下院議員(急進民主党)は、以前からこの問題に関心を持っており、今回の司法イニシアチブをきっかけに議員発議を行ったと語る。
上院では今後、裁判委員会に諮問委員会を設置し、裁判官選出に関して意見をはかることの是非が議論される予定だ。裁判委員会は連邦議会の委員会の1つ外部リンクで、連邦裁判官の選出に当たる。こうして、イニシアチブの要点のうち2つがすでに国民投票前に連邦議会で審議されることになった。
説得力のある一匹狼
司法イニシアチブの生みの親は起業家のアドリアン・ガッサー氏だ。同氏は今の状況を深刻にとらえる。司法が政党政治の延長線上に置かれ、政治利用されているために、国家制度への信頼が損なわれている――。そうした考えから、三権分立と司法の独立性を支えるために(私財を投じて)国民投票を提起した。
ガッサー氏は今も、このイニシアチブが国民投票で可決される可能性は十分あると考える。この提案を機に変化が起きていることについて尋ねると、「その通り、私たちが変化を起こした」と満足げに語る。だが、法改正に向けて連邦議会が動き出した主な理由は、司法イニシアチブが国民投票で可決される可能性を狭めるためだと同氏はみる。しかし国民投票が終わるまでは戦いをあきらめないという。
伝統主義 vs. 権力の拡大
法律家のアルフィオ・ルッソ氏も、スイスの裁判所は政治色が濃いとしてガッサー氏の見解に同意する。ルッソ氏は博士論文外部リンクで、裁判官の選出方法を法的見地から国際比較した。そして、スイスの司法に対する政治的圧力は相当に大きいと結論づけた。これにはスイスのもう1つの特徴である「裁判官の再選」が関係している。
大半の国では、最高裁の裁判官が選出されるのは1回限りで、任期は比較的長い。例えば、欧州人権裁判所では任期は9年、米国の場合は終身制だ。一方、スイスでは連邦裁判官は6年ごとに選挙で再選しなければならない。再選するには所属政党からの票に頼る必要があるため、党への依存度が強まりやすい。
また、イニシアチブで提案されている抽選方式は珍しいもので、現在はどこにも存在しないとルッソ氏は指摘する。フランスでは裁判官になるには特定のキャリアパスを通る必要があり、アングロサクソン系諸国では専門委員会が最高判事を任命する。一方、スイスでは政治家が選出に当たる。
しかし、歴史的には抽選方式が採用されたこともあった。古代ギリシャ、中世イタリアの共和国、旧スイス連邦の州がその例だ。だが、裁判官をくじ引きという運次第の方法で選出することは、現在の司法とは相容れないとルッソ氏も考える。そのため、くじ引きよりも、適切な選挙機関を設置する方が好ましいとする。
政党や連邦議会が現状を維持したがる主な理由は、伝統主義にあるとルッツ氏は考える。この問題に関して左派と右派の間で見解の相違がみられないからだ。また別の理由には「政治を優先することが、民主的な正当性を保証することにつながる」との考えが根強い点を挙げる。同氏は結論として、司法イニシアチブには欠点もいくつかあるが、正当な問題を提起していると述べる。
司法制度の改革は時間の問題かもしれない。最近、ジュラ州の裁判官が今後の委任税の支払いを拒否したことが話題となった外部リンク。こうした裁判官の態度に、これまで委任税を受け取ってきた政党は憤りをあらわにした。州レベルにおいて委任税は政党の収入総額で重要な割合を占めるからだ。こうなると「裁判官選挙も議論の対象」にしなければならないと、キリスト教民主党のある代表者は語る。委任税を払わない裁判官が、次の選挙で所属政党に支持を求めるのは間違っているというのがその理屈だ。
(独語からの翻訳・鹿島田芙美)
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