薬剤耐性菌と戦え!高校生が集めたウイルス、最先端研究で活用
薬物耐性の脅威が高まる中、細菌に感染するウイルス「バクテリオファージ」が脚光を浴びている。4年前にバーゼル大学が高校生と収集したファージコレクションが今、難治性感染症の治療法を模索する世界中の研究者に活用されている。
ウイルスが病気の治療などに役立つ――新型コロナウイルス感染症による災難がまだ記憶に新しい中、パラドックスのように聞こえるかもしれない。だが実は全てのウイルスが健康に害を及ぼすわけではない。ウイルスの中には細菌に感染して殺菌するものもある。それらはバクテリオファージまたはファージと呼ばれ(以下、ファージ)、非常に有益な働きをすることがわかっており、生命を救う可能性もある。
こう説明するのは、連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)のアレクサンダー・ハルムス助教(微生物学)。バーゼル大学バイオセンター外部リンク(分子生物学・基礎生物医学に特化した研究所)から今月ETHZに着任したばかりだ。ファージが有益なことはわかっているが、詳細についてはまだほとんど解明されていない。「ファージ研究は、月の暗い部分を探索するのに似ている」
ハルムス氏が未知への旅を始めたのは2019年。バーゼル大学主催のサマープログラムに参加した高校生とともに、自然界に存在するファージの試料を収集し、それらの特徴を明らかにした。こうして集められたウイルスの試料とデータは現在、世界中の研究機関の貴重な研究資源となっている。細菌感染症の治療にも役立つかもしれないという。
細菌を殺すウイルス
他のウイルスと同じく、ファージも自分の力では増殖できないため、自身を複製するためには感染した細菌(宿主細胞)の代謝機能を利用しなければならない。複製後、ファージは細胞壁を破り宿主細胞を殺す。これは専門用語で細胞溶解と呼ばれる。
ファージは自然界に無尽蔵と言えるほど多く存在する。林床から海面に至るほぼ全ての生態系で見つかっており、炭素循環において極めて重要な働きを担っている。例えば、溶菌作用で海洋細菌を溶かし、その栄養を拡散させる。「ファージは地球の駆動力の1つだ」とハルムス氏は言う。
ファージは私たちの体内にも存在する。幸い人間の細胞は攻撃しないが、細菌が作る共同体の構成に影響を及ぼす可能性がある。だが腸内の細菌叢(さいきんそう)にどのように影響するかについてはまだよくわかっていない外部リンク。
▼ファージの生活環について解説した動画(英語)
ファージには細菌に選択的に感染する宿主特異性がある。つまり、特定の種類の細菌を認識し、多くの場合、その菌種の特定の株のみを攻撃する。この点が研究対象として極めて興味深いとハルムス氏は言う。ターゲットとする疾患の原因菌に合うファージを見つけられれば、この性質を利用して狙い撃ちできるからだ。例えばサルモネラ菌などに汚染された食品の殺菌や、尿路や呼吸器の細菌感染症の治療などへの応用が考えられる。
ハルムス氏は、慢性感染症の原因であるいわゆる「眠れる細菌」を攻撃するファージの可能性に特に興味を抱いた。そこで自然界に存在するかもしれない未知のファージを求めて、試験管を片手にフィールドワークに向かった。
ライン川で高校生と新種を発見
2019年夏、バイオセンター主催のサマープログラム「バーゼル・サマー・サイエンス・アカデミー」の一環として、ハルムス氏は高校生のグループと共に、バーゼル近郊のライン川、庭池、コンポスター、下水処理場などから水や土の試料を採取した。「そこから何が見つかるかは予想していなかった」と振り返る。
持ち帰った試料を大学の研究室で調べたところ、その中には大腸菌(Escherichia coli)に感染するファージが大量に存在することがわかった。大腸菌は最も広範囲に生息する腸内細菌の1つであり、深刻な疾患を引き起こすものもある。分離したファージの特徴を詳細に調べた結果、約70種類のファージに分類されることがわかった。この成果は2021年に科学雑誌「PLOS BIOLOGY」に発表外部リンクされた。
「バーゼル(BASEL: BActeriophage SElection for your Laboratory)コレクション」と名付けられたこの新ファージ群によって、世界中のどこであっても、似たタイプのファージは同じ機能を持つことが明らかにされた。この予期せぬ成果にハルムス氏は「とても驚いた」と話す。
最も重要な発見は、大腸菌を攻撃する能力を持つファージが多様性に富むことだ。数百ものファージを集めた大規模なコレクションは他にもある外部リンクが、特徴を分類し体系化したコレクションはこれが初めてだという。
細菌感染症の治療に、抗生物質の代替としてファージの利用を模索する国内外の研究者にとっても、バーゼルコレクションは貴重な研究資源となると期待される。ファージの効果については例えば、足の切断に至ることもある糖尿病性足潰瘍(かいよう)や慢性創傷(そうしょう)の原因菌に対して有効であることが既に報告外部リンクされている。
ファージ療法の復活
ファージを静脈注射やエアロゾル吸入により投与し治療に利用するファージ療法は、20世紀初頭に旧ソビエト連邦を中心に始められた。第二次世界大戦中には、赤痢(血の混じった下痢を引き起こす腸の炎症疾患)を患った兵士の治療にファージが使われた。だが1929年のペニシリン(最初の抗生物質)の発見を契機に様々な抗生物質が発見・開発され、普及するに伴い、少なくとも欧米諸国ではファージ療法の研究は下火となった。
ところが抗生物質が広く使われるようになると、これに抵抗力を持つ細菌(薬剤耐性菌)が出現した。このために肺炎や結核などの感染症の治療がますます困難となり、世界的に深刻な問題となっている。2022年に発表された報告外部リンクによれば、薬剤耐性菌に起因する2019年の死亡者数はHIV(エイズウイルス)やマラリアよりも多く、世界全体で120万人以上に上った。2月に発行された国連の報告書外部リンクでは、2050年までに年間1千万人を超える可能性があると指摘されている。
世界保健機構(WHO)は、薬剤耐性を世界健康安全保障にとって最も深刻な脅威外部リンクの1つと位置付けている。欧米諸国でもファージ療法が再び脚光を浴び、副作用の少ない低リスクの治療法の確立に向けて研究が進められている。
承認条件は他の医薬品と同じ
ファージ療法はよく話題にはなるものの、実際の利用はまだあまり多くないとハルムス氏は指摘する。感染症を引き起こす細菌を同定し、それを殺菌できるファージを選び出す作業は複雑で、高額な資金が必要な場合もある。また投与しても人の免疫システムに攻撃されたり、抗生物質と同様に、繰り返し投与することで細菌が耐性を持ったりする可能性がある。
抗生物質は安定で明確な性質を持つ分子であり、安定な薬剤を供給できる。一方ファージはもっと複雑で、変異を起こす可能性もある。この不安定な性質が、薬として承認される際の障害となっている。スイスの医薬品承認機関「スイスメディック(Swissmedic)」の広報担当のルカス・ヤッギ氏は「治療目的で使用する場合、ファージも他の医薬品と同じ要件を満たさなければならない」と説明する。
また、「スイスでは治療用ファージはまだ1件も承認されていない」ものの、「臨床試験外部リンクは2015年に開始されている。一部の医師が外国から持ち込んだファージを個別のケースで感染症治療に用いた可能性も否定できない」とした。
世界の共同利用基盤に
ETHZに移った今も、バーゼルコレクションが効果的なファージ療法の開発促進に役立って欲しいというハルムス氏の思いは変わらない。応用対象の可能性は人間だけにとどまらない。「農園に被害をもたらす細菌を退治するのにも役立つ可能性がある」と期待をかける。例えばイタリアのプーリア州では何千もの植物がピアス病(原因菌はXylella Festidiosa)の感染被害にあっている。スイスでもリンゴ・ナシ農家が火傷病(かしょうびょう。原因菌はErwinia amylovora)に悩まされている。こうした畑や農場にファージを散布すれば原因菌を退治できるかもしれない。
バーゼルコレクションの利用を希望する声は世界中の研究室から寄せられており、現在までの依頼件数は40を超える。それらが人の命や植物を救うのに役立ったどうかを知るには、関連研究の成果報告を待たなければならない。
わずかな研究資金で実施したバーゼル近郊とライン川の調査によってファージのコレクションが作成され、それが今やオーストラリアや米国などはるか遠い国の研究プロジェクトに利用されていることに対し、ハルムス氏は感慨深くこう語った。
「私たちが収集し所蔵しているファージを、世界中の全ての関心を持つ人々に提供したい。それが科学のあるべき姿だと思う」
編集:Sabrina Weiss、英語からの翻訳:佐藤寛子
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