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遺伝子治療を安価に スイス新興企業の挑戦

研究室に立つ人
スイスのバイオテック企業ニュー・ビオロジクスのデボラ・レイ最高執行責任者(COO)は、次世代シーケンシング(NGS)などを使ってゲノムを分析する計画だと話す Jessica Davis Plüss, swissinfo.ch

スイスの新興企業ニュー・ビオロジクス(NewBiologix)は、数億円単位にのぼる遺伝子治療のコスト削減を目指す。 

スイス西部ローザンヌに程近い町、エパランジュ。ニュー・ビオロジクスが開業した今月11日、完成したばかりの本社の壁はまだ乾ききっていなかった。同社の動きはいつも素早い。敷地面積1800平米、最高の実験設備を備えた最先端の実験施設は着想からわずか2年で実現した。 

ニュー・ビオロジクス自体は発足したばかりだが、会社を支えるのはベテラン科学者やバイオテクノロジー分野の起業家たちだ。イゴール・フィッシュ氏とニコラ・メルモ氏が2011年、ジュネーブに別会社セレクシス(Selexis)を共同設立。生物学的医薬品向けの治療用タンパク質を培養できるヒト細胞株(同じ遺伝物質を持つ細胞の集合体)を構築できる技術を開発した。同社は2017年、日本のJSR外部リンクに買収された。 

不可能を可能に 

フィッシュ氏とメルモ氏は細胞株開発で得た知見を応用し、遺伝子治療に手を広げている。遺伝子治療は、長らく治療不可能とみなされてきた病気の根本原因に対処するための次世代医療の1つだ。欠損遺伝子を置き換えたり補ったりする遺伝物質を患者の細胞に導入する。 

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2017年に米食品医薬品局(FDA)が初めて承認して以来、遺伝子治療は爆発的に増加している。現在FDAに登録されている遺伝子治療の臨床試験は、遺伝性がんから免疫不全疾患まで300件を超える。 

だがこうした遺伝子治療には莫大のお金がかかる。ニュー・ビオロジクスの最高経営責任者(CEO)を務めるフィッシュ氏は「どれも治療費は100万〜500万フラン(約1億5千万~7億7千万円)になる」と話し、それが課題をもたらすことを認める。 

価格の高さにもかかわらず、遺伝子治療に成功した企業の中には経営が苦しくなり、生産をやめるケースもある。患者数が少なく(世界中で 500 人未満しかいない疾患もある)、治療法の開発・製造コストを賄えない。こうして患者の人生を変えうる治療法が失われていく。 

ニュー・ビオロジクスが解決したいのはその点だ。ローザンヌ大学バイオテクノロジー研究所所長でニュー・ビオロジクス社の研究開発シニア・バイスプレジデントを務めるメルモ氏は「できるだけ多くの人が手ごろな価格で遺伝子治療を受けられるようにしたい」と語る。 

より優れた「運び屋」を選ぶ 

遺伝子治療の価格の決まり方はブラックボックスとされる。開発・生産費用について言えるのは、遺伝子の運び屋「ベクター」の開発コストが重要な位置を占めるということだ。 

通常は不活化ウイルスで、遺伝子治療において細胞に修正遺伝子を届ける役割を担う。遺伝子治療の需要が急増するなか、ベクターを一貫した品質で大規模生産することが大きな課題となっている。 

マッキンゼーは昨年3月まとめた報告書外部リンクで、ウイルスベクターの製造拡大が急務であり、細胞株製造の収益性を高めることが重要だと強調した。 

ニュー・ビオロジクスが目指すのはまさにこの点だ。遺伝子治療で最もよく使用されるウイルスベクター(「組換えアデノ随伴ウイルスベクター」と呼ばれる)を大量生産し、安定した製造方法の確立を目指す。2019年に210万ドル(約2億3千万円)の高額治療として話題を呼んだノバルティスの脊髄性筋萎縮症(SMA)治療薬「ゾルゲンスマ」をはじめ、米FDAが承認した遺伝子治療のうち少なくとも3件はこうしたウイルスベクターを使っている。 

ニュー・ビオロジクスは遺伝子治療そのものの生産ではなく、細胞株を操作し次世代シーケンシング(NGS)などのツールを使ったゲノム分析を目標におく。これにより、複数の細胞候補の中から最適な細胞クローンを選べるようになり、ウイルスベクターをより効率的で安く生産できる可能性が高まる。 

同社のデボラ・レイ最高執行責任者(COO)は、こうした技術は科学的・技術的な専門知識と最先端の実験設備が必要となるため、多くの企業が苦労してきたと説明する。 

スウェーデンの受託製造会社Recipharmは開発費用として4500万フランをニュー・ビオロジクスに寄付した。フィッシュ氏は、2024年末には遺伝子治療開発向け製品を商品化し、大手製薬会社などにライセンス供与できると予想している。2025年までに大規模生産を始める算段だ。 

「ニュー・ビオロジクスの技術でウイルスベクターの製造コストを削減できれば、製品価格も抑えられるだろう。コスト削減率が50%になるか、70%、80%になるかは予測が難しいが」(フィッシュ氏) 

バイオテックの成長拠点 

ニュー・ビオロジクスは、遺伝子治療や細胞治療のサプライチェーンの空白を埋めるスイス企業の1つだ。 

欧州バイオテクノロジー産業に関するマッキンゼーのレポート(2021年)外部リンクは、スイスを細胞・遺伝子分野に進出する新企業の成長センターの1つに位置付けている。最近バーゼル郊外に新たな細胞・遺伝子治療施設の建設に9100万ドルを投じると発表したノバルティスや、受託製造会社のロンザ、セロニックといった大手企業もその一員だ。近年はLimulaやTigenなど中小バイオテック約12社が起業し、遺伝子ベースの治療薬の生産を広げている。 

スイスバイオテクノロジー協会のミハエル・アルトーファー会長は、特定の治療法に限らず「それらの製品の発見・開発・製造の方法にイノベーションがある」と話す。 

バイオテック業界はスイスの医薬品認可機関「スイスメディック(Swissmedic)」からも一定の支援を享受する。スイスメディックは最近、遺伝子治療など先進的治療薬に関する問い合わせに対応するイノベーションオフィスを設立した。申請の早い段階に研究者を巻き込むことで、先進的治療薬の認可を迅速化する狙いがある。 

編集: Veronica DeVore 、英語からの翻訳:ムートゥ朋子 

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