つい寄り道したくなる……愛すべき路地裏の世界@バーゼル(前半)
今年のファスナハト(カーニバル)で、パレードに参加する機会を得た。仮装グループに同行する形で、旧市街の界隈を共にねり歩いたのである。通ったのは、細く狭い路地ばかり。この体験が、それまで抱いていたバーゼルの街に対する印象を、すっかり変えてしまった。
以来、ウォーキングルートに、旧市街があらたに加わった。緑のない道を拒否していた私が、今では右手にカメラ、左手に地図を持ち、バーゼルを歩きまわる。森の奥へ足をふみ入れる時と同じ心の高揚をもって、路地裏へと入っていく。
観光地としてはほとんど無名のバーゼルだけれど、その旧市街は、ヨーロッパの都市の中でもきわめて保存状態がよいと言われている。
ここでいう旧市街とは、1200年ごろ要塞に囲まれていたエリアを指す。バーゼル市の中央に位置し、ライン川をはさんで北東部(小バーゼル)と南西部(大バーゼル)に分かれる。
この、わずか1k㎡ほどの面積の中に、2つの丘がある。いずれも海抜ならぬ「ライン川抜」約25メートルという高さで、景観にほどよい変化を与えている。
丘のひとつ、大聖堂の丘(Münsterhügel)は、バーゼルの街中で最も歴史ある一画とされる。かつてはケルト人が住んでいたが、紀元前15世紀、戦略的に好都合であるこの位置にローマ人が軍事施設を築いたという。
丘の麓、マルクト広場付近には、下町ともいうべきエリアがある。中世では、鞍通り・帽子通り・革なめし通り・鐘通り……などが軒をつらねた。かつての「職人横丁」をしのばせる、これらの通りの名前だけが、今も残され使用されている。
この下町と、2つの丘を中心として、中世からの古い街並みが残る(ちなみにこのエリア以外にも、古い家屋は市内の随所に見られる。美しいのは決して旧市街だけではない、念のため)。
建物のドアの上に書かれた情報によると、そのほとんどが14世紀前後のもので、中には12世紀に建てられたものもある。建築年はたいてい、ハウスナーメ(家の名前)に併記されている。これを読んでいくのがまた面白い。「黄色いねじの家」、「オークの木の家」、「海の不思議の家」など、そこに住む人の家業か?家紋の由来か?と思わせる。
この名前は、その家がその土地ではどう呼ばれていたかを示すものだそうである。住所を表すのに、現在は家屋番号(一軒ごとについている番地)が使用されているが、以前はこのハウスナーメが、特に田舎で普及していたらしい。
ハウスナーメの多くはヒゲ文字で書かれており、さらに方言や古語の場合もあるので、解読はなかなか難しい。残念ながらバーゼルではハウスナーメの研究がされておらず、そのほとんどが謎のままだ。それでもリフォームの際に書き直され、くっきりと残っているものが多数見つかる。「一角獣の家」、「天使の家」、「天国の家」、はたまた「目の保養の家」なんてハウスナーメを見つけると、想像は限りなく広がってしまう……!
こういった歴史的建築物の間に、一般住居、繁華街、オフィス街も建ち並ぶ。旧市街といえども古い建物ばかりではなく、新しい建物も混在している(バーゼルは現代建築でも有名なのだ)。古いものと新しいものが共存する街並みを、混沌と見なす人もいる。けれど私はそこに、不思議な調和を感じてしまう。なぜだろう。まるで夫婦の顔がお互いに似てくるように、長年一緒にいることで次第になじんでくるのではないだろうか。
華やかなショーウインドウが並ぶ中、ほんの少し視点をずらしてみると、その通りから一本、細い路地が奥の方へと伸びているのに気づく。
ゴシック様式の家々の、窓枠の色があざやかに映える。木骨造りの家たちも、それぞれファサードの美しさを競い合っている。当時の様子をそのまま、リフォームをまったくしていないような壁も、窓の向こうに息づく人々の気配を静かに宿している。
それはまるで民家園、古い民家を集めた野外博物館といった趣だが、これらはみな現在もオフィスや住居などに利用されている。
リフォームする際にはバーゼルの史跡文化財保護局に申請する必要がある。が、外壁の塗料の質や色、デザインには特に基準がないらしい。許容範囲内で許可が出ているようで、景観を厳しく統一するような動きは見られない。建設年代はもとより、スタイル、材質、色調、そしてリフォームがそれぞれ異なる多様性。歩けば歩くほど多くの見本を発見できて、興味は尽きない。
このような旧市街を、気の向くまま足の向くまま、ブラブラと歩き回る。
中でも両側を建物にはさまれた、道幅5m、いや3mにも満たない路地など、そこへ入ってみたい衝動を抑えることができない。向こうの空に小さく教会の塔が見え隠れすると、もう足をふみ入れている。
丘があるせいで、街の構造は立体的、よって随所に階段が作られている。それがまた建物と建物の間をぬって、細い小道となっている。曲がりくねっていることも多く、行く先が見えないというのがミステリアスで、冒険心を喚起するのだ。
階段の中でもとりわけ狭く、たいして長くもない、それでいて名前だけはやたらと長い階段の道が、ライン川付近にある。
(次回へ続く)
平川 郁世
神奈川県出身。イタリアのペルージャ外国人大学にて、語学と文化を学ぶ。結婚後はスコットランド滞在を経て、2006年末スイスに移住。バーゼル郊外でウォーキングに励み、風光明媚な風景を愛でつつ、この地に住む幸運を噛みしめている。一人娘に翻弄されながらも、日本語で文章を書くことはやめられず、フリーライターとして記事を執筆。2012年、ブログの一部を文芸社より「春香だより―父イタリア人、母日本人、イギリスで生まれ、スイスに育つ娘の【親バカ】育児記録」として出版。
JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。