スイスといえば登山だが、一体どれくらいの人が登山を楽しんでいるのだろう。登山シーズンに突入した今、最新の調査結果をもとにスイスの登山事情をまとめた。
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270万人
15~75歳のスイス居住者で、頻繁に登山を楽しむ人の数。同年齢層のスイス人口の44%にあたる。登山をメインスポーツとする人の割合は8%。
7%
15~74歳のスイス居住者で、頻繁に登山を楽しむ人の数は2008年以降に7%増加。08年では、同年齢層のスイス人口に占めるその割合は37%だった。
60時間
スイス居住者が年間で登山に費やす時間の総計。登山に費やす年間平均日数は20日で、1回の平均時間は3時間。
30万人
スイスで登山をする外国人観光客数(年間あたり)。
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860フラン(約1万円)
登山にかける年間費用。装備品などの費用も含む。
25億フラン(約2900億円)
装備品も含めた、年間の国内外の登山客によって発生した総消費額。そのうちの5千万フラン(約58億円)は宿泊費による消費額。
6万6200km
スイス全国の登山道を合算した距離。スイス環境局によると地球1.5周分にあたるという。そのうちの半分は遊歩道や自転車道、そしてトラクターなどが走行する田舎道と山道。
9200台
スイスのスポーツクラブの一つであるスイスアルペンクラブ外部リンクがアルプスに所有している山小屋152棟の総計ベッド数。
2万人
登山中におけるスイス人居住者の年間平均負傷者数。うち死亡事故は40件。
(英語からの翻訳・説田英香)
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スイス人登山家が挑む 二つの8千メートル峰を無酸素連続登頂
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スイス人登山家のウエリ・シュテックさん(40歳)が、二つの8千メートル峰を無酸素で連続登頂するという新たな記録に挑戦するためトレーニングを積んでいる。エベレストの頂を踏んだ後、サウスコルと呼ばれる鞍部を下り、そこからさらにローツェの山を登るという。(SRF/swissinfo.ch)
シュテックさんは近年、スイスのアイガー北壁の最速登頂記録を複数回達成。2013年にはヒマラヤのアンナプルナに単独初登頂し、登山界で最高の名誉とされるピオレドール賞の2度目の受賞に輝いた。
12年にはエベレスト西稜を登山中、シュテックさんのチームとシェルパが乱闘する事件があった。
(英語からの翻訳・宇田薫)
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故郷を離れなければならなかったスイス人女性フリークライマー
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ニナ・カプレツさんは、世界でも指折りのフリークライマー。30歳のスイス人フリークライマーとして活躍するカプレツさんにとって大切なのは、もはや競技会への参加やランキングではなく、女性クライマーがまだほとんど制覇していない絶壁への挑戦だ。自らが選んだ道を突き進むため、8年前にスイスを離れてフランスのグルノーブルに移住した。スイスの故郷の村に帰省中のカプレツさんに話を聞いた。
雪が降った後だった。「きれいですよね?」とドアを開けてくれたカプレツさんが言う。山にふさわしい美しい光景だ。
私たちが訪ねたのは、スイス東部クロスタースの近く、キュブリス区内のプラダ村にある大きな木造の家。玄関にチャイムはない。その代わり重いドア・ノッカーでどんどんとドアを叩く。ここはカプレツさんが8年前、フランスのグルノーブルに引っ越す前に住んでいた家だ。この日は母親に会うため帰省中だった。
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アイガー北壁 伝説のスイスルート、再び
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難所として知られるアイガー北壁。中でも「メタノイア」ルートは、伝説の米登山家ジェフ・ロウさんが初登を果たしたのち、四半世紀にわたって第2登者が現れないままだった。
2016年が幕を閉じる直前、スイスとドイツの3人の著名プロ登山家が、アルプスの中でも特に険しく困難なことで知られる「ロウの傑作ルート」第2登という悲願をついに果たした。
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国立公園めぐり割れる住民 27日に住民投票へ
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11月27日にグラウビュンデン、ティチーノ州の17の自治体で「アデューラ公園」を巡る住民投票が行われる。スイス初の国立公園を創立した1914年とは異なり、今回は住民側が提案した。にもかかわらず、地元住民の反発は大きい。賛成派は説明会などを開き、反対派の不安を解こうと懸命だ。
グラウビュンデン州ヒンターライン。サン・ベルナルディーノ峠に入る手前の村だ。通りは鶏が何羽か行き交い、2匹の猫が喧嘩をしている。レストラン「バッハフース・ケラー」の看板は営業中であることを告げているが、客の姿は見えない。この山村は美しい陽射しの秋の日に、すっかり廃れ置き去りにされたような雰囲気を漂わせている。
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東京五輪追加種目のスポーツクライミング スイスでも大人気
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美しいスイスアルプスと太陽を楽しめるというのに、どうして室内の壁を登ろうと思うのか?クライミングをたしなまない人にとっては、理解に苦しむところだろう。
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魅力溢れる「死の壁」、アイガー北壁
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アイガー北壁、またの名を「死の壁」。非常に困難で危険な北壁として世界的に知られ、日本でも女性タレント・イモトアヤコさんの挑戦をきっかけに関心が高まっている。
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マッターホルンで見つかった日本人登山家の遺骨、DNA鑑定終了
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スイス・ヴァレー州警察は6日、2014年9月にマッターホルンふもとの氷河で見つかった遺骨の一部や登山靴が、1970年にマッターホルン北壁を目指していた日本人登山家2人のものと確認したと発表した。
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マッターホルン初登頂から150年 ガイドの子孫が語る歴史の裏側
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マッターホルンの初登頂から150年。実はこの登山隊にはツェルマット村のタウクヴァルター父子がガイドとして加わっていた。しかし、この登頂は悲劇に終わった。4人が下山中に命を落としたからだ。そして2015年、このガイドの子孫が「新たな冒険」に挑戦する。山と村と自分たちの一家に深く影響を与えたこのできごとを再現する演劇で、先祖の役を演じるのだ。野外劇場で上演されるこの劇は、今大きな注目を集めている。
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有名ブランドを守る独占的ガイドコミュニティー
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ツェルマットの山岳ガイドたちは誇り高く、よそ者をなかなか受け付けない。そんな彼らが築いてきた文化は、19世紀後半から冒険を求める旅人を引きつけてきた、難攻不落といわれたマッターホルンに通じるものがある。
まるで恐竜の歯のような現実離れした姿で、ツェルマット村の上に高くそびえるマッターホルン。まれに見る完璧な構造の山だ。
この地域には、マッターホルンのほかにも4千メートル級の山々があり、強烈な魅力で人々を引きつけてきた。山岳ガイド組合はこうした人々の対応に努めるとともに、組合の結束力も維持してきた。地元のギルド(中世の同業者組合)のようなこの組合には100人弱のアクティブメンバーがいる。外部から入るのが難しいことで知られる。
スイスの有名登山家たちはおそらく、マッターホルンの原型的な美にはあらがいがたい魅力があると言うだろう。地元の山岳ガイド組合は毎年、頂上へ登りたいと望む大勢の人々で潤っている。「マッターホルンを見れば、頂上へ登りたいと思うものだ」と、世界中で新たな登山ルートを開拓してきたプロ登山家兼ガイドのロジャー・シェーリさんは話す。
よそ者お断り
ツェルマット出身ではないシェーリさんは、ここはよそ者にとっては働きにくい場所だと考えている。「ツェルマット出身者でなければ、かなり大変だ」。ツェルマットの山岳ガイドたちは村では尊敬の目で見られている。マッターホルンなどの登山ルートを隅々まで熟知しているためだ。そんなガイドたちをシェーリさんは「地元のスーパーヒーロー」と呼ぶ。
これまで、約500人がスイス側で、イタリア側では200人が命を落とした。しかし、マッターホルンで山岳ガイドがついていた場合の事故は少なく、ガイドなしの登山隊が事故に遭うケースが多いと、シェーリさんは言う。
「ツェルマットのガイド文化の歴史は長く、逸話も多く、素晴らしいものだが、一方で非常に閉鎖的で、地元ガイド以外の人間がツェルマットでガイドをするのは難しい。しかも地元ガイドたちは非常に保護主義的だ。これはある意味、健全なことだ。この資源を非常に大切にしているということだから」。米国の教育者であり、四大陸でベテランの山岳ガイドとして活躍し、米国山岳ガイド協会の会長を務めたマット・カルバーソンさんはそう話す。
金のなる木
初登頂が達成される以前から、ツェルマットにはアルプスの魅力に引かれて登山やハイキングにやってくる観光客が増えつつあり、スイスの農家はそこから利益を得るようになっていた。
しかし、マッターホルンに登るのは不可能だとか、悪霊が住んでいるなどと広く考えられており、ツェルマットの山岳ガイドにはこの山を避ける人たちもいた。だが、皆が皆そうだったわけではない。
スイス人農夫で山岳ガイドでもあったペーター・タウクヴァルターのように、冒険心に富んだ一部の者は、スイスとイタリアの国境にまたがるマッターホルンの登頂は可能だと考えていた。登山の黄金期に、マッターホルンは誰もが憧れる存在になった。
石工で山岳ガイドだったイタリア人ジャン・アントワーヌ・カレルはイタリア側から登頂を試みたが、失敗に終わった。初登頂を成功させたのは、ツェルマットの山岳ガイドだったペーター・タウクヴァルター父子と英国人登山家エドワード・ウィンパーの3人で、1865年のことだった。この登山にはほかにも登山者が同行していたが、あえなく命を落とした。
スイス側からヘルンリ尾根を登るルートはタウクヴァルター・シニアが開拓したもので、現在は標準的なルートとなっている。
世界的に有名に
ウィンパーの手柄でかすんでしまったが、カレルもその3日後に第2回登頂を成し遂げた。初登頂をきっかけとして、登山は名誉ある、死と隣り合わせの魅力を放つものと見なされるようになり、マッター谷とその上に位置するツェルマットは一躍世界的に有名になった。
国際的に知られるようになった山村のツェルマットは現在、ホテルの宿泊日数でいえば、金融とビジネスの中心地ではるかに規模の大きい国際都市チューリヒとジュネーブに次いで第3位となっている。
ツェルマット観光局のエディット・ツヴァイフェルさんによると、マッターホルン初登頂はアルプス登山の人気の火付け役になり、それ以来、ツェルマットとマッターホルンは世界的なブランドになったという。今では毎夏、3千人の登山者が訪れる。
ガイドの実情
夏と冬の観光ブームにあやかり、スイスの山岳ガイド産業は軌道に乗った。しかし、ウィンパーが語った初登頂の悲劇は、山岳ガイドたちの間に深い傷を残した。「それでも、ツェルマットにとってアルプス登山は中心的位置を占めている」とツヴァイフェルさん。
家族のいる若い山岳ガイドは、子どもと長い時間離れたくないがゆえに、日帰り登山にこだわる場合もある。しかし、天候に左右される商売ゆえ、お金を稼がねばというプレッシャーも感じるかもしれない。
「家族がいる場合、ガイドとしてやっていくのは簡単ではない。お金持ちにはなれない」と、タウクヴァルター父子の直系の子孫であるジャンニ・マッツォーネさんは言う。ただ、山岳ガイドとして働いていた先祖はもっとずっと大変だったことも理解している。
「一般的に、今の時代にガイドとして働くのは昔よりはるかに簡単だ。装備の点からいっても、昔はアイゼンもなかった。想像できるかい?ピッケルはあったが、重くて長いものだった。衣類も重かった。今より大変だったことは間違いない。また、顧客を獲得するのも難しかった。列車は谷の下の方までしか来なかったので、ガイドたちはそこまで歩いて下りていって一泊し、顧客集めのために宣伝もしなければならなかった。顧客の大半は英国人だった。ガイドの多くは牛や羊といった家畜を飼っていたので、父親が山に登る間、誰かが世話をしなければならなかった」
残された家族は、ガイドが帰ってこないのではないかと毎日心配して過ごすことも多かった。しかし、ガイドという職業の危険性は必ずしも減ったわけではない。今は山に簡単に行けるようになった結果、天気がよければ週に7日、顧客とともに登山に出ることもある。つまり、ガイドに疲労がたまり、危険にさらされる頻度が上がる可能性がある。「マーフィーの法則のようなものだ」と、マッツォーネさんは半分冗談で言う。
「私は今も仕事への意欲は高い。しかし結局のところ、何よりも大切なのは顧客を山から無事に連れて帰ることだ。銀行の口座残高を増やすことではない」
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禁じられた山を克服したピラトゥス鉄道
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中国人の家族がホームに現れたときには、列車のドアはすでに閉まっていた。だが、運転士のシュテファン・ジグリストさんは嫌な顔をすることなく、この乗客を最後尾の車両の座席に案内した。 「こういう雨の日にピラトゥス山にやって…
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