ウィキペディア20年 ワンクリックで育てる民主主義
15日に設立20年を迎えたウィキペディアは、世界で最も訪問数の多いウェブサイトの1つになった。知識への無料アクセスは、民主主義の発展にも寄与したのだろうか。
インターネットはかつて世界に民主化の波を引き起こした。当初は大半の人がこれと同意見だった。無料の情報利用、参加の機会の拡大、無制限の意見交換…時間が経てば必然的に自由が広がっていく、そう思われていた。
2001年1月15日に始まったオンライン百科事典ウィキペディアは、このユートピアを実現させたように見えた。欠陥はあるにせよ、20年間で集合的、言語横断的、非商業的、多元的プロジェクトのモデルケースになった。ここまでの規模に成長したのも、ウィキペディアだけだ。
しかし、世界の民主主義発展においてはどうだろう。成功例と言えるだろうか?
人類の全知識に皆が無料でアクセスできるーー。ウィキペディアはそれを優先事項に据えた。誰もが貢献できる「知識の民主化」は、エリートたちが作り上げた旧来の百科事典から根本的に脱却するものだった。米サンフランシスコにある運営団体ウィキメディア財団の構想は、あらゆる人が同じ情報を入手できれば、すべての市民が同じ前提条件で政治的プロセスに参加できるようになる、というものだった。
教育と民主主義
ただ、民主主義はインターネットのおかげで自動的に大きな功績を世界史に刻んだのではない。それは皆が知るところとなった。デジタライゼーションが専門の研究者サラ・ゲンナー氏(メディア学)は、情報のツールは確かに民主化されたが、それによって政治権力が弱体化したわけではないと指摘する。「人々は過度に期待し、技術の進歩がほぼ自動的に政治権力を弱体化させると信じていた」。
ゲンナー氏は、デジタル民主主義の議論には多くの誤解があると断言する。その発展は特定の方向に進んでいないのだという。「インターネットによって出版ツールは民主化された。しかし、それによって政治的議論がより民主化し、参加型になったとは必ずしも言えない」。また、民主化の影響を検証することがほぼ不可能という大きな問題がある。
インターネットは間違いなく推進のきっかけを提供した。「アラブの春」でのインターネットを使った動員は、中東の激動を支えた重要な要素だ。それ以上の大きな民主化の波は起こらなかったが、政治権力のバランスはその後数年にわたって変化した。
ウィキペディアのジレンマが表面化するのはまさにこの地域だ。アラビア語が母国語の人は3億1300万人、第2~3言語として身に着けた人はさらに4億2400万人いるとされる。しかし、ウィキペディアのアラビア語版は、掲載記事が250万件未満にとどまる。ドイツ語版の記事件数も同程度だが、対象読者数は3、4割少ない。
ウィキペディアは教育レベルとインターネットアクセスを反映する鏡でもある。ゲンナー氏は、インターネット全般、特にウィキペディアに関連性のある問題はここにあるという。知識の蓄積は既に有利な位置にある地域で起こる場合が多い。そうして知識格差はますます広がり、不平等が拡大する。ゲンナー氏は、ウィキペディアがおそらく最も民主的なオンラインプロジェクトだと評価するが「コンテンツの80%はユーザーの1%、主に教育を受けた白人男性によって書かれたものだ」と話す。
尺度としての検閲
ウィキペディアの民主主義政治への影響を定量化することは困難だ。だが、それが存在しているという事実、あるいは少なくとも存在していると認識されている点は、疑いの余地がない。ウィキペディアの検閲が、これを証明している。
ゲンナー氏は「インターネットの検閲は権威主義体制と相関関係にある」と話す。情報が野放しで拡散されていくことを、権力者たちは問題視する。それが扇動のリスクを抱えるためだ。反民主主義の権力者層はそれを禁止することで、こうした動きを阻止しようとする。ゲンナー氏は、ウィキペディアも例外ではないが、それだけにとどまらない、と説明する。
実際、インターネットアクセスの遮断は、デモや一般的な抗議活動が起こった時などに最もよく使われる手法だ。真っ先に標的になるのは情報拡散能力が高いソーシャルメディアだ。疑いが生じれば、アクセスが遮断される。
ウィキペディアでは状況が異なる。百科事典の編纂で重視されるのはスピードではない。真実性と解釈の崇高さ、また純粋な存在そのものだ。ウィキペディアにないものは存在しない。だが、それは別の意味にも取れるーー権力者たちが見たくないものは、ウィキペディアから消えるべきなのだ、と。
特にウィキペディアについては、検閲の例はある。欧州の一部諸国では個々の記事が対象になるが、他の地域ではプラットフォーム全体になる。例えば自国内でクルド分離主義と対立するイランは過去に、クルド語版ウィキペディアへのアクセスを段階的にブロックした。また、トルコがシリアのテロ組織を支援していたというニュースが流れると、トルコは2年半もの間、ウィキペディア全体を禁止した(憲法裁判所の決定を受け、2020年初めまでに廃止)。中国では2019年4月以降、ウィキペディアへのアクセス自体ができなくなった。
内部的には非民主的?
ウィキペディア自体も最近、批判されている。コンテンツ面では排他的な男性エリート集団に支配され、多様性が十分に発展していない(ただし、これは言語バージョンによって大幅に異なる可能性がある)。技術系雑誌ワイアード(Wired)は、これが理由でウィキペディアが岐路に立っていると報じた。同誌はまた、編集チームが多様化されなければ、ウィキペディアの存在自体が脅かされると指摘した。
より喫緊の問題と言えそうなのは、寄稿者数の減少だ。ボランティアベースで記事を書いたり更新したりする人が減り続けている。記事は古くなり、更新は遅れてしまう。
終わりが本当に近づいているのかは、まだ分からない。ウィキペディアの没落は、これまでもたびたび予言されてきた。 20年を経て当初の熱意はやや落ち着いたが、ウィキペディア内の構造は何度も調整を重ねた。
すべての批判はさておき、類似のターゲット層を持つプラットフォームと比べると、ウィキペディアは比較的堅実なイメージだ。時間をかけた制作プロセスと複数人によるコンテンツのチェックは、最終的には民主主義の自己表現と言えるだろう。それに比べるとソーシャルメディアは近年、政治への影響が懸念されるようになった。
しかし、ウィキペディアの突出した立ち位置には1つの問題がある。ウィキペディアの登場以降、専門家が編纂した有料の百科事典は日陰者の存在になった。ただ、ウィキペディアがその有意性を失った場合(例えば寄稿者の数が減り続けたり、資金繰り問題が継続的に悪化したりした場合)、知識の仲介役としてのプラットフォームは大きな問題に直面するかもしれない。
するとこんな疑問が頭をよぎる。ウィキペディアが残した穴を、誰が埋めてくれるのだろうか。グーグル、アップル、フェイスブック、それともアマゾン?これらの候補は、民主主義の英雄では決してない。
スイスの場合、ウィキペディアは同じ母国語を持つ国外の人たちが作った記事を読めるという利点がある。ドイツ語、フランス語、イタリア語版のぺージは、記事数では全体のトップ10に入る。 スイス人は、自分たちでは作りえなかったコンテンツにアクセスできる。
スイスは特定の分野で貢献している。例えばプラットフォームの多様性に関するスイスのプロジェクト「Frauen für Wikipedia(ウィキペディアに女性を)」だ。ウィキペディア上に、女性の略歴情報をより多く記録することを目指している。平等は可視性から始まるーーこれが彼らの主張だ。女性の参政権取得50周年について現在編纂が進む。こうしてウィキペディアは、民主主義のさらなる発展に寄与できるのだということを示している。
(独語からの翻訳・宇田薫)
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