ウクライナに戻ったスイス人映画監督
何が起ころうと、妻とキエフに残る――ウクライナに住むスイス人映画監督のマーク・レイモンド・ウィルキンスさん(45)はこう決心していた。戦争の勃発で一時は国を離れたが、今再びウクライナに舞い戻った。
「人生で戦争に巻き込まれるとは思ってもみませんでした」。マーク・レイモンド・ウィルキンスさんは電話でこう話す。
ロシアがウクライナへの侵攻を開始した先月24日、車のガソリンが満タンかを確認し、飼い犬と予備のガソリンタンクをトランクに載せ、妻のオルガさんとキエフを脱出した。ワルシャワを経由して、マークさんの妹が住むベルリンに向かった。
マークさんはスイス生まれ・ドイツ育ち。6年前からウクライナに暮らす。昨秋にウクライナ人のオルガさんと結婚した。ウィルキンス夫妻はキエフに2軒のアパートを持っている。
2人ともアートコレクターで、家は美術品でいっぱいだ。オルガさんはソフトウエア系の仕事をしている。マークさんは映画監督として活躍し、短編「BON VOYAGE」(2016年)は2017年のアカデミー賞のショートリストに入った。スイス映画アカデミーの会員でもある。
マークさんはウクライナのモダンアートを展示するキエフのギャラリー「NAKEDROOM」の経営者でもある。2022年のベネチアビエンナーレにはウクライナ代表として出展する予定だ。
だが今、マークさんを取り巻く世界は一変した。
ルドルフ・シュタイナー学校の卒業生で左派・平和主義を自認するマークさんは今、領土防衛というものを真剣に見つめ直しているという。「それは油田とか経済的利益ではなく、自己決定権の問題です」
ベルリンに到着し、最初は安堵した。だがやがて大きな虚無感に襲われた。友人や家族を置き去りにした罪悪感にも苛まれた。そしてマークさんの胸の中に、ふつふつと闘争心が湧いてきた。「ただベルリンで胡坐をかいてコーヒーを飲んで、何もしないというわけにはいきませんでした」。現実離れした状況の中、国を逃れていく人々の姿が頭に浮かんだ。
人々を助けるため、ポーランド国境を目指す――こう決心したのは2月27日日曜日のことだった。同日夕方にプシェミシルに着いたが、その時には既に共助団体や救援機関がすべて「見事に組織化」されていた。
「この危機の中でも人間味を感じられて、本当に感動しました」(マークさん)
また携帯電話のSMS(ショートメッセージサービス)を通じた支援も受けた。ウクライナの携帯番号宛てに、どこに行けば支援を受けられるかといった情報が送られてきた。
逆に言えば、そこでは夫妻の力は求められていなかった。ウクライナ国内に戻る判断を下すまでにそう時間はかからなかった。マークさんの4人の兄弟も理解を示した。うち3人はスイスに住み、「もちろん私がスイスに向かった方が喜んだだろうけれど」。
渦中のウクライナへ
マークさんは、欧州連合(EU)の対ロシア制裁に全面的に追随した母国スイスの決断を喜んでいる。「故国があれほどまでに消極的だったのは、本当に残念だと思っていた」。今は、スイスの積極的なウクライナ難民受け入れに期待を寄せている。
ウィルキンス夫妻は28日夜、ウクライナ西部の町リヴィウに到着した。ポーランドからウクライナ方面に国境を越えたのは2人だけだったという。「対向車線には自動車が15キロメートルも列を成していました」
2人は今、友人の家に身を寄せる。街中はひっそりとしている。商店やレストランは開いているものの、万全の装備して攻撃に備えているという。リヴィウは国の西端にある町で、マークさんは「ウクライナの最後の要塞」とみる。
これから2人は送迎・輸送を請け負ったり土嚢を作ったりするつもりだ。「ウクライナ語が全く話せないし軍事経験もないので、領土防衛には加わらない」。とりあえずは輸血に協力するという。
在キエフ・スイス大使館は暫定的に閉鎖
差し迫った危険のため、ウクライナの首都キエフにあるスイス大使館は2022年2月28日以降、一時的に閉鎖されている。残ったスイス人スタッフ(大使を含む5人)はキエフを脱出した。
(独語からの翻訳・編集 ムートゥ朋子)
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