オリガルヒ資産の没収案 スイス金融業界にダメージ?
ウクライナに侵攻するロシアへの制裁として、西側諸国はプーチンやオリガルヒ(新興財閥)の金融資産を凍結した。米欧はさらに踏み込み、資産を没収してウクライナの復興に充てるよう法整備に乗り出している。スイスでも議論が始まったが、中立国を看板に世界の富裕層から資産を預かっている金融業界には新たな火種となりそうだ。
「さまざまな管轄権に散らばっているロシアの資産を見つけ出し、没収・凍結しなければならない」。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は先月23日、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)のオンライン講演外部リンクでこう訴えた。「それはもちろん簡単なことではない。だがそうすれば、ロシアに続こうとするあらゆる侵略者は動機を失うだろう」
ゼレンスキー氏の言葉は深く受け止められた。米下院は演説に先立つ4月下旬、オリガルヒの凍結された資産を没収・売却し、その資金をウクライナへの軍事・人道支援に充てるよう大統領に求める法案外部リンクを可決した。米ニューヨークタイムズ紙外部リンクによると法案に拘束力はないが、「大統領がより積極的な姿勢を示すことを求める超党派の要望を反映した」ものだ。
欧州委員会も5月下旬、制裁効果を高めるため、資産の没収に関する指令を提案外部リンクした。凍結措置をかいくぐろうと資産を隠ぺいする行為を犯罪とみなし、没収・売却を可能にする内容だ。ドイツ語圏の日刊紙NZZ外部リンクによると、欧州委員会のディディエ・レンデルス司法担当委員はメディアに対し、スイスも同様の体制をとるよう期待を示した。
長い議論の始まり
没収案に対し、スイス政府はまだ公式な立場を表明していない。ダボス会議に出席したイグナツィオ・カシス大統領は記者団にスイスの立場を問われ、「これは世界的な問題であり、スイスは適切な時期に答えを出すことになる」と明言を避けた。
ただ国内でも議論は始まっている。左派の社会民主党は5月、凍結資産の活用の法制化を求める動議外部リンクを下院に提出した。制裁対象の個人や団体、国家から自主的に資金を回収し、「特定の目的」に使えるよう、連邦内閣に法整備を課す内容だ。
スイスが対ロシア制裁の根拠法とする「国際制裁の実施に関する連邦法外部リンク」(通称・禁輸法)は、資産の没収に関する定めがない。資産の凍結で所有権が移るわけではなく、取引が禁止される。つまり不動産なら賃貸や売却はできないが、所有者が住み続けることはできる。凍結された資産は制裁が解除されたり、制裁対象リストから外れれば再び所有者が自由に使えるようになる。
独裁者の資産を没収する「外国の政治家などの要人の不正な資産の凍結と返還に関する連邦法」外部リンク(独裁者法)が2016年に発効したが、没収資産は当該独裁国家の国民に「返還」することを想定している。
同法に基づき、スイス政府は2014年2月のウクライナ革命後に凍結した為政者の資産を没収する手続きを開始した。だがロシアの資産を没収してウクライナに譲渡することは同法は想定していない。
社会民主党の動議を連邦議会が審議するのは早くとも9月の秋期議会になる。ただ動議が可決されたとしても、実際の立法作業には数年かかる可能性がある。
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スイスでは難関
国際司法に詳しいファビアン・タイヒマン弁護士は、個人の所有権はスイス連邦憲法外部リンク第26条で保障されており、それを制限するには「正当で十分な公共の利益に資する」ことが必要だと指摘する。「没収が与える影響の大きさから、法的根拠の要件は特に高くなる」という。
国際条約を制定し、それにスイスが批准するという形もありうる。タイヒマン氏によると、スイスの中立は憲法に定められているわけではないため、これはスイスの中立に「真っ向から違反するわけではない」。
「スイスがバナナ共和国に」
オリガルヒの資産の没収が法制化されれば、スイス金融業界が大きな影響を被るのは必至だ。スイスに置かれているオリガルヒ資産の大半は銀行口座に預けられているからだ。
金融業界は立場表明に消極的だ。スイス銀行協会はswissinfo.chの取材に対し、社会民主党の動議は認識しており、有効な法律や制裁措置を厳格に実行すると述べるにとどめた。
ピクテやミラボー、ロンバー・オディエなどが加盟するスイスプライベートバンク協会外部リンクは、「スイスの所有権や手続き方がないがしろにされれば驚きだ」と答えた。スイス議会が資産没収を承認すれば、「スイスとその金融業界が信頼に値するかという点に対し、長期的に影響を及ぼすのは間違いない」。
ベルン大学経済法研究所のペーター・V・クンツ所長も、没収手続きの導入はスイス金融業界のみならず、スイス全体にとって不利になると指摘する。「法治国家であることはスイスに立地する重要なメリット」であり、社会民主党の提案はスイスを大国に依存する政情不安定な小国「バナナ共和国」にしてしまう、と警告する。
法治国家として、没収制度には収用財産への補償が不可欠だが、それでは制度の趣旨を失う。オリガルヒの違法行為の証明にも長い年月がかかり、復興資金の手当てとして意味をなさないとみる。
クンツ氏は、スイスが国際的な合意なしに没収を法制化すれば、悪影響は一段と大きくなると指摘する。2010年代前半、スイスが米国に銀行の顧客情報を提供したことで、法治国家に対する信頼が揺らいだことを引き合いに、「再び同じことを繰り返してはならない」と警告した。
米英EU次第
弁護士で連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)公共ガバナンススクール学長を務めるノラ・マイヤー氏も、国際協調できるかがかぎを握ると指摘する。「米英EUを始め、他国がどう決断するか次第だ。各国の金融業界が各国の事情に合わせて没収に対応すれば、(オリガルヒが制裁を)迂回する可能性は少なくなる」。
没収がどれほど「特殊ケース」と位置付けられるかも重要だ。制裁を受けたオリガルヒ資産に対象を絞り、ウクライナの復興資金に充てる目的に限定するならば、金融業界への影響も限定的になるという。
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(編集・レト・ギシ・フォン・ヴァルトブルク)
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