クレディ・スイス危機の責任の所在は明らかになるか? スイス議会調査委発足へ
スイス連邦議会はUBSによるクレディ・スイス買収に関し、議会調査委員会(PUK/CEP)を設置する方針だ。調査委はスイス議会の強力な監査手段で「伝家の宝刀」とされ、これまでに4回しか抜かれたことがない。
議会調査委員会とは何か?
スイスの連邦議会法第163条は、連邦議会は「解明することが不可欠な重大な出来事が発生した場合」に議会調査委員会(PUK/CEP)を設置することができると定める。連邦議会が利用できる組織として最も強大な権力を持つ調査委は、「事実を確定し、その評価に必要な要素を収集する」責務を負う。そのために広範な権限を持ち、調査の最後に報告書をまとめる。
調査委の設置には上下両院が連邦令を採択する必要がある。連邦内閣は諮問を受けるが、連邦令に反対することはできない。連邦令は近く正式に決定され、早ければ5月30日~6月16日の春期議会で審議される。国民議会(下院)と全州議会(上院)の事務局と両院の監査委員会はすでに調査委の設置に賛成を表明しており、連邦令が可決されることはほぼ間違いない。
調査委は何のためにあるのか?
調査委の任務とメンバーは、議会が連邦令で定める。一つ確かなのは、国会議員らは今回の調査の対象を2023年3月に起こった買収劇に限定しようとは考えていないということだ。監査委員会は今月15日に発表した声明外部リンクで、今回の調査は「関連する過去数年間の経緯も考慮に入れなければならない」と強調した。そして解明すべき点を以下のように列挙している。
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2022年末まで財務相を務めたウエリ・マウラー氏(国民党)と財務省による危機の早期発見と、連邦議会の関与。
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スイスの金融当局、連邦金融市場監督機構(FINMA)のクレディ・スイスに対する監督活動
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スイス国立銀行(中央銀行、SNB)の役割
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2007~08年の金融危機後に採用された「Too big to fail(大きすぎて潰せない)」規制と、大手銀行の破綻により経済全体のシステム上の危機が及ぶのを防ぐために実行したUBS救済の評価と監視
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必要な権利の行使と2023年3月の意思決定の状況
メンバーはどう選ばれる?
上下院合同で置かれる調査委は、両院から同数の議員で構成される。調査委の構成や正副委員長の所属政党は、両議会の政党勢力図に応じて決まる。議会法は国内の言語圏や地方の多様性を「可能な限り」考慮することを推奨する。
調査委には独自の事務局が置かれ、議会からスタッフが派遣されることもある。必要に応じて人員を増やすこともできる。
広範な権限と秘密保持義務
議会調査委員会は情報収集に関して、監査権を持つ監査委員会と財務委員会と同じレベルの権力を持つ。証人を尋問したり、秘密資料や連邦議会の議事録を参照したりできる。調査員に証拠管理を委託することも可能だ。
調査委の調査や公聴会公聴会に参加した者は、報告書が発表されるまで秘密を保持する義務を負う。委員会審議の秘密保持規定は、議会に最終報告書を提出した後も引き続き適用される。
調査委で虚偽の証言や報告をした専門家は、刑事罰(最長5年の懲役刑または罰金)を受ける恐れがある。また法的理由なく陳述や書類提出を拒否した人には、罰金が科せられる場合がある。
連邦議会と証人の権利
連邦議会は、議会調査委員会で連邦議会を代表する議員を1人任命する。政府は、証人や情報提供を求められた人物の公聴会に出席し、追加の質問や調査委に提出された文書・専門家の報告書・議事録を参照する権利を有する。連邦議会に報告書を提出することもできる。
調査により自己の利益に直接影響される者も、条件付きでこうした権利を持つ。弁護士の支援を受けることも可能だ。調査委に関与したとされる人物は、調査終了から報告書が公表される前に自分に関する文書を参照し、口頭または書面で回答することができる。
これまで調査委が置かれた例は?
スイスの政治史上、議会調査委員会が設置されたのはわずか4件だ。初の調査委が置かれたのは1964年。後に連邦閣僚を務めるクルト・フルグラー氏が委員長を務め、フランスの戦闘機製造業ミラージュ社からの戦闘機購入に対する過剰支出を調査した。報告書の提案に基づき、購入数は100機から57機に削減された。
2回目は連邦閣僚のエリザベス・コップ氏の辞任を受け、1989年に設置された。モーリッツ・ロイエンバーガー氏が議長を務め、数十万人の国民を監視する秘密警察の存在が曝露されることになった。この通称「フィシュ・スキャンダル」は、スイス政治に深い爪痕を残した。
この事件は1990年、国防省の調査を担う3回目の調査委の設置につながった。カルロ・シュミット上院議員が委員長を務めた調査の結果、法的根拠や政治的統制を受けない秘密軍「P-26」の存在が明らかになった。P-26は共産主義国による侵攻に備える組織として1979年に創設されたものだったが、1990年11月に解散した。
4回目の調査委は連邦年金基金の機能不全を解明するために1995年に設置された。フリッツ・シーサー上院議員が率いる同調査委は報告書で、失政の主な責任はオットー・シュティッヒ元連邦財務省長官にあると結論付けた。
その他の議会調査委員会の設置要求はこれまで全て却下された。却下された事案としては、南アフリカのアパルトヘイト体制に対するスイスの共謀の有無や、スイス航空(現スイス国際航空)の破綻(2001~02年)、金融危機時のUBS救済(2008年)、あるいはクリプトAG社に関連したスパイ事件(2020年)の調書押収がある。
仏語からの翻訳:ムートゥ朋子
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