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スイスとの貿易開放を望んだ李克強・中国前首相

李克強前首相とスイスのヨーデルグループの集合写真
2013年5月の公式訪問でスイスのヨーデルグループ「Saengerrunde Zurich」と記念撮影を行う李克強前首相 Keystone / Walter Bieri

中国の李克強前首相が27日、心臓発作で死去した。68歳だった。李氏はスイスと中国の二国間自由貿易協定(FTA)という歴史的な協定の締結に貢献した。

李氏は2013年、首相就任から3カ月もたたないうちに、就任後初の外国訪問としてインド、パキスタン、スイス、ドイツを訪れた。

李氏はスイス訪問の前日、独語圏日刊紙NZZに「なぜスイスなのか?」と題した記事を寄稿。「中国の文化では『最初』は常に象徴的な意味を持つ。私が就任後初の訪問先としてスイスを選んだのには、決して行き当たりばったりな考えからではない。ここでやるべき重要な任務がいくつかあるからだ」と述べた。

スイスとの二国間自由貿易協定(FTA)締結は、その重要な任務の一つだった。両国は2011年から9回に及ぶ交渉を経て、締結合意に至った。2014年4月には李氏のスイス公式訪問に合わせて批准手続きが行われ、同年7月に正式発効。FTAでは、中国からスイスへの輸出の99.7%に、スイスから中国への輸出の84.2%に対しゼロ関税が保証された。

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スイスのチャンス

李氏は副首相だった2010年、世界経済フォーラムの第40回年次総会(ダボス会議)で特別講演を行い、「30年以上にわたる対外開放政策により、中国は世界と密接に結びついた」と宣言、中国への投資を訴えていた。

スイスとのFTA締結は中国にとって、中国経済を欧州や世界の経済大国上位20カ国に統合させるまたとないチャンスだった。それまでに中国とのFTA締結に成功したのは、比較的経済規模の小さいニュージーランド(2007年)とアイスランド(2013年)だけだった。

中国は2004年にも欧州連合(EU)とのパートナーシップ協力協定(PCA)交渉を開始していたが、台湾をめぐる意見の相違や、EUが中国を市場経済国として認めないことを理由に、失敗に終わった。一方、スイスは2007年に中国を市場経済国として認定しており、交渉には好意的だった。

バーゼル大学欧州グローバル研究所のラルフ・ウェーバー氏は、「当時、二国間の貿易額は高く、スイス連邦内閣はそれが大幅に伸びるとさえ予想していた。習近平氏も国際貿易を重視するが、彼は党内での権力掌握を始めたばかりで、李氏はまだ不遇の時代を迎えていなかった」と説明する。同氏によると、中国とスイスは胡錦濤国家主席と温家宝首相が在任中からすでに、こうした協定の可能性を検討し始めていた。

スイス側にとって、中国との交渉は決して順風満帆だったわけではない。社会民主党(SP/PS)がFTAに反対し、協定に人権保護を明記した条項を追加するよう求める動議を提出するなどした。動議はスイス連邦議会で否決された。

今後の関係

中国とスイスは2017年、FTAのアップグレードに向けた話し合いを開始すると発表した。しかし今のところ表立った進展はない。それには、政治的な相違が理由の一つとして挙げられる。

スイスは2018年、新疆ウイグル自治区の収容施設閉鎖を求める国連の要求を支持。以来、両国の人権に関する対話は停滞した。スイス議会が台湾との関係強化を支持するも、対話は今年になりようやく再開された。

その一方でスイスは、ウイグル族の人権侵害をめぐるEUの対中制裁に追随していない。また、スイスはこれまで「一つの中国」政策に従ってきた。同政策は、中国という名で承認された一つの主権国家とのみ、外交関係を維持することを義務付けるものだ。

ウェーバー氏は、「今日、スイスと中国の関係がより緊張し、より多くの課題に直面している理由はたくさんある。習近平指導部の下で権力が集中しているのもその一つ。必要であれば経済をも犠牲にする」  と話す。

「確かに李氏は経済と国際貿易を優先させたが、共産党指導部に正面から挑戦したわけではない」。李氏は「民主主義を擁護するという意味での 『政治改革者』と取り違えられるべきではない」。

英語からの翻訳:大野瑠衣子


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