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スイスバイオテクノロジー業界に変革の嵐

Thomas Kern

医薬品メーカーのメルクセローノ(Merck Serono)が4月末にジュネーブ本社の閉鎖を発表し、スイス西部に激震が走った。しかしより広い視野で見れば、これはまだ成長中のスイスバイオテクノロジー産業にとって、新しい企業を生み出すチャンスと言える。

 メルクセローノ本社の閉鎖発表は、スイス西部のレマン湖周辺で一大ニュースになり、労働組合のウニア(Unia)にも衝撃が走った。

 この閉鎖によって、ジュネーブ市では過去最大の解雇が発生することになる。

経営の効率化

 ドイツのダルムシュタット(Darmstadt)にある医薬・化学品製造企業メルク(Merck KGaA)が、スイスのバイオテクノロジー業界を代表するセローノ(Serono)を買収したのは2007年。世界トップレベルにあったセローノは、約160億フラン(約1兆3400億円)で買収され、メルクセローノと社名を変更した。それからまだ6年もたっていないため、本社閉鎖の発表はスイスに大きなショックを引き起こした。

 「セローノは、スイス西部では『白馬の騎士(救済者)』のような存在で、小企業の成長に貢献していた。バイオテクノロジーで有名なレマン湖周辺地域を代表する有名企業が、今回の閉鎖で消えてしまう。これでスイスのバイオテクノロジー企業を守らなければならないことが証明された」とスイスバイオテック協会のドメニコ・アレクサキス理事は語った。

 スイスには、生命科学分野のバイオテクノロジーと医療技術の地域振興を促進する4大バイオクラスター(戦略的事業連合)がある。その一つ、レマン湖周辺のバイオアルプス(BioAlps)の代表ブノワ・デュブュイ氏は、今回のような激震は、スイス西部に群生する多数の企業(供給業者とサービス会社を含む)に吸収されると語る。

 ライフサイエンス分野の新興企業を支援する会社エクロジオン(Eclosion)の役員でもあるデュブュイ氏は、メルクセローノは劇的な措置を取ったとしながらも、これにより新興企業にチャンスが生まれると語る。

終わりではない

 スイスのバイオテクノロジー産業は世界の上位10位以内に入り、スイス経済の重要な柱となっている。スイスには、バイオテクノロジー関連の多国籍企業や、活力のある中規模の企業が多数存在し、全体で2011年に約87億フラン(約7296億円)の収益を生んだ。

 この産業に携わる会社はスイスで249社あり、産業全体の就業人口は1万9000人以上にのぼる。

 ノバルティス(Novertis)、ロシュ(Roche)、メルクなどの大手製薬会社は、新薬の開発研究を外部企業や大学の研究機関へ外注するため、研究を受注する小企業にとってそれらの大企業は重要な顧客だ。

 また大手製薬会社は新薬の自社開発も行うが、研究パートナーである他社が開発したパイプライン(研究初期段階から販売までの段階を終えた薬剤)の権利を買い取ることが多い。大手製薬会社の製品の5分の4が、他社が開発した「導入品」だとデュブュイ氏は説明する。

 メルクセローノの本社閉鎖によって、約500人分の雇用が削減され、750人が異動する。世界中に合計4万人の社員を抱えるドイツのメルクは、重複している部署の統合、経営の効率化によって会社の将来を確実なものにすると発表した。

 アレクサキス理事とデュブュイ氏は、経済成長の鈍化、ユーロ危機、スイスフラン高が引き続く中、メルクは経営理論にのっとった行動を開始したと言う。

 これらの問題に直面しているのはメルクだけではない。昨年、製薬大手企業ノバルティス、エレベーター製造のシンドラー(Schindler)、クレディスイス銀行(Credit Suisse)も人員整理を発表したところだ。

 さらに追い打ちをかけるように、政府や保険会社、規制当局が製薬会社に価格引き下げを求めている。しかし、新薬開発には膨大な研究と時間、資金が費やされているため、製薬会社にとって値下げは厳しい。

希望の光

 アーンスト・アンド・ヤング社(Ernst & Young)のバイオテクノロジー部門に勤めるユルク・チュルヒャー氏によると、メルクセローノ本社の閉鎖は、他社にとって経験豊かな人材を雇用できる好機になる。

 スイス西部でメルクセローノに次ぐ雇用主となるバイオテクノロジー企業は、スウェーデンのフェリング(Ferring)だ。ヴォー州のサン・プレ(Saint-Prex)に位置する同社には約650人の社員が働いている。また3番目の規模のデビオファーマ(Debiopharm)は300人を雇用している。またベルギーのUCB社は、フリブール州のビュル(Bulle)に2億5000万ユーロ(約252億円)を投入。同社は今後140人分の雇用を創出する予定だ。

 今後メルクは、メルクセローノの社員がスピンオフ起業や新規事業立ち上げられるよう3000万ユーロ(約30億3000万円)の援助を行うと発表し、これもまたスイスのバイオテクノロジー業界を励ます材料となった。「これは希望の光だ。この地域には、バイオテクノロジーの高度な知識基盤、ベンチャー企業への出資に意欲的な投資家、高い需要がある」とアレクサキス理事は説明する。

 しかしメルクセローノの社員を支援する労働組合ウニアは、その3000万ユーロの全額がスイス西部だけに使われるのかどうか疑問を表明している。さらにウニアの広報担当アンヌ・リュバン氏は、メルクセローノ本社閉鎖によって生じた失業者が新規事業立ち上げによって吸収されるのは、まだまだ先の話であり、当分の間は(メルクセローノを顧客としてビジネス活動を行っている)サプライヤーが何らかの形で吸収していくだろうと予測する。「もちろん、新規事業は立ち上げられるだろうが、そうした新興企業が事業を確立できるようになるまで何年もかかる。バイオテクノロジーは、研究開発だけでも長期間を要するビジネスだ」

新規事業

 レマン湖周辺には、エーシー・イミューン(AC Immune)ノヴィミュンヌ(Novimmune)、ゲンキョー・テックス(GenKyo Tex)などを含む多数の新興企業のほかにシール(Shire)、セルジーン(Celgene)、バクスター(Baxter)などの多国籍企業が本拠地を構えている。

 メルクセローノ本社の閉鎖によって有望な企業や研究所への投資が止まることはない。なぜならベンチャー企業への出資者は、いずれにせよ革新的なアイデアに投資を行うからだとチュルヒャー氏は言う。「ベンチャー企業にとって、特に起業時や、新設間もない時期に資本金を集めるのは容易ではない。そのため、それらの小企業は長い間コスト管理を厳しく行ってきた」

 投資家は、説得力のある臨床データ、証明済みの実績、経験豊かな管理技術を備えた製品パイプラインを探している。

 昨年後半は、シト(Cyto)、Santhera(サンテラ)、モンドバイオテック(Mondobiotech)など上場企業がリストラを発表した。一方、スイスバイオテクノロジー業界の優良企業アクテリオン(Actelion)は5月8日、コスト削減戦略の実施を加速すると株主に発表した。

成長要因

 スイス企業にとって、ビジネスを国外で展開する方がコスト安になることは間違いないが、高品質で付加価値の高い製品を目指すならば、あえて国内で製造をする必要があるとアレクサキス理事は言う。「これは大きな課題だが、我々には研究面だけでなく生産過程の面においても先端を走っているという強みがある」

 スイス政府は、年間約7億6000万フラン(約693億円)を出資するスイス国立科学財団(Swiss National Science Foundation)のほかに、科学技術革新委員会(Commission for Technology and Innovation)やチューリヒとローザンヌの両連邦工科大学を通じて科学研究に力を注いできた。高水準の教育と研究、政治と経済の安定、先進国の水準を上回る生活の質が、これからもバイオテクノロジー産業の成長要因となるだろう。

 こうした背景があるため、「スイスはこれまでも、そしてこれからも高水準の研究と技術革新の創造に適した場であり続けるだろう」とチュルヒャー氏は語った。

企業数:249社(2011年)、237社(2010年)

社員数:1万9197人、1万9180人

総投資額:4億5800万フラン(約385億1200万円)、2億2500万フラン(約214億4200万円)

収入:86億9600万フラン(約7312億2900万円)、92億5400万フラン(約7781億5000万円)

研究開発費:20億6800万フラン(約1738億9400万円)、20億6700万フラン(約1738億1000万円)

損失:3億5000万フラン(約294億3100万円)、

収益:4億8000万フラン(約403億6200万円)

(出典:2012年スイス・バイオテック・レポート)

2007年、ドイツのメルク(Merck KGaA)がベルタレリ家から160億スイスフラン(約1兆3454億円)でスイスのセローノ(Serono)を買収し、メルクの系列企業メルクセローノが誕生した。昨年メルクセローノは、メルクの粗利益の60%を占める56億ユーロ(約5655億円)の売上を計上したが、メルクの操業成績は前年比46%減の3億400万ユーロ(約307億円)となった。

この業績低下を引き起こした原因として、スイスのコルジエ・シュル・ヴヴェ(Corsier sur Vevey)にある施設の評価損、プロジェクトの再検討、安全面からアメリカ厚生省食品医薬品局の販売許可が下りなかった多発性硬化症の経口治療薬「クラドリビン(Cladribine)」の開発中止などが挙げられる。

セローノは、17年前に発売された再発型多発性硬化症治療薬「レビフ(Rebif)」で大成功を収めた。2003年に発売が開始された抗がん剤「アービタックス(Erbitux)」もセローノが開発。今日レビフとアービタックスはメルクセローノの主力製品となっている。

2003年にニュージーランドで行われた国際ヨットレースのアメリカスカップで、セローノの社主エルネスト・ベルタレリ氏がチームオーナーを務めたアリンギ号が優勝して以来、セローノはスイスの有名企業となった。

(英語からの翻訳・編集、笠原浩美)

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