スイス時計産業が直面する5つの課題
2020年はスイス時計産業にとって史上最悪ともいえる1年だった。新しい年に回復への期待をかける業界が克服すべき5つの課題とは――。
まずは朗報から。スイスの時計メーカーにとって2021年は間違いなく前年より良い年になるだろう。スイス時計産業連盟(FH)のジャン・ダニエル・パシュ会長は「不確定要素は依然多いが、見通しはポジティブだ。全てはパンデミックの推移とワクチン接種のスピード、グローバル観光回復のタイミングにかかっている」と慎重なコメントを寄せた。
2020年、業界は過去80年来最悪の危機を経験した。輸出は20%以上落ち込み、世界各地で多くの店舗が休業した。国際ツーリズムも途絶えるという事態となり、生産量の95%を輸出するスイスの花形産業は大きな打撃を受けた。
ただ、昨年中の倒産件数は一握りにとどまっており、時計製造業の雇用減少率も2.6%と、業界全体としてのダメージは比較的浅い。しかし、回復の兆しはあっても今後数カ月は難しい状態が続く可能性がある。ジュネーブ時計業界の事情に詳しいフランス人ジャーナリスト、グレゴリー・ポンス氏は「国からの手厚い援助のおかげで危機の真の深刻さが顕在化していない。操業短縮制度や企業救済融資の期限が終了した時に、大量解雇や何十というブランドの倒産が懸念される」と警鐘を鳴らす。
2020年、スイスの時計メーカーに唯一明るいといえる材料を提供したのは極東市場だった。世界で市場が急速に冷え込む中、対中国輸出だけはそれに逆行するように前年比で2割近く増加した。中国は厳しい感染防止対策と徹底したロックダウンが功を奏し、早くも春には商業施設の営業再開に漕ぎ着けた。海外旅行に行けない中国の消費者は、代わりに国内で時計を求めた。
パシュ会長は「これは新しい現象だが、その背景にあるのは新型コロナ危機だけではない。中国政府には、特に海南島を中心とした中国人専用の免税区域を設けて内需促進につなげるという明確な方針がある」と指摘する。
年内に国際ツーリズムが回復する可能性は低く、東方へのシフトは今後も続くとみられる。しかしこれは、2010年代初頭に対中輸出ブームが過ぎ去った時のように、時計業界にとっては後々の失望の種にもなりうる。
ポンス氏は「今のように中国市場に依存した状態は危険。一部の中国エリートは今回の危機で儲けた大金を部分的にスイス製腕時計に投資しているが、このバブルがはじけた時が要注意だ」と警告する。
同氏はまた、中国政府が再び大々的「反腐敗」キャンペーンを展開し、スイス製腕時計を不利にした上で、中国製時計のシェアを拡大するという隠された目標の達成を目論む可能性についても懸念も抱く。
ここ10年余りというものスイスの時計メーカーは、特にアジアを中心とした新興諸国の急速な経済成長に大きく依存しながら市場シェアを拡大してきた。しかし、それは同時に以前からの欧州や北米の顧客層を軽視することにもつながった。その結果、スイス製腕時計は欧米のファッション好きで購買力のある層にとって影の薄い存在となってしまった。ポンス氏は「スイスの時計ブランドは欧米の消費者の意識から消えつつある」と残念がる。
一方でスマートウォッチや、「ゲス」「プーマ」「アルマーニ」といったファッションブランドがプロデュースする時計は流行に敏感な若者の間で高い人気を得ている。スマートウォッチは楽しさと手頃な価格を兼ね備えた時計として、スウォッチなど低価格帯の「Swiss Made」時計をほぼ駆逐してしまった。現に2015年に登場したばかりのアップルウォッチは、既に販売個数でスイス時計業界全体をはるかに上回っている。
「スイスのブランドの多くは極めて保守的で、互いに似通った、当たり障りのないモデルを延々と送り出している。伝統的な時計を若い消費者に売り込むつもりなら、もっとクリエイティブでなければ」(ポンス氏)
価格600フラン(約7万円)以下のエントリークラスで繰り広げられる激しい競争は、スイス製腕時計の生産量に大きく影響している。2020年1〜11月のスイス時計メーカーの輸出量は1200万個強と、2000年代初頭に比べ3分の1近く減少した。
コンサルティング会社LuxeConsultの時計専門家オリビエ・ミュラー氏は「スイス時計メーカーにとってこの点は大きな問題。どんな業界であれ、ロレックス(100万個)やオメガ(75万個)といった少数の例外は別として、生産量の少ないハイエンド市場に頼り切るのは不可能だ。工場を動かし投資資金を調達するにはボリュームが必要だ」と言う。
パシュ会長も「製造コストやフラン高というハンデはあっても、スイスは低価格の製品を作り続けなければならない」と確信している。「量が活動を生み、業界のノウハウや雇用を維持してくれる」
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世界各地で多数の時計販売店が休業を余儀なくされた結果、最も保守的な時計メーカーでさえもがオンライン販売やダイレクトな顧客コミュニケーションの重要性に目覚めることになった。1つ何万フランとする時計を売るブランドも含めてだ。
「店が開いていない時はネットでのショッピングが便利なのはもちろん、一般論としてもこうした販路は一部で高まるニーズに応えうる」(パシュ会長)。例えばジュネーブを拠点にラグジュアリーブランド事業を展開するリシュモンは、4〜9月のネット売り上げを前年2%から7%に伸ばした。
こうしてブランド各社は、数年がかりのはずだったデジタル戦略をわずか数カ月で実現した。新しいコミュニケーションツールはエンドユーザーとの距離を縮めることにもなった。
実店舗や対面販売の重要性は今後も揺らぐことはない。しかし、こうした急速な展開は、デジタル化に頬かむりしていた業界の旧態依然を変えた。
(独語からの翻訳・フュレマン直美)
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