「ハッピーアワー」の濱口監督、「人は本当に思っていることが言えない」
ロカルノ国際映画祭で主演女優4人が国際最優秀女優賞を受賞した「ハッピーアワー」(濱口竜介監督)は、5時間17分という異例の長さだ。だが、「見終わってもまだ見ていたいと思った」とスイス人記者に言わせるほど、鑑賞後には長編小説の世界にじっくりと浸ったような満足感が残る。こうした完成度の高さは、「隣で起きている現実の話」と錯覚させるような女優4人の自然な演技力と緊密に構成された脚本から生まれている。脚本には「特別評価」が贈られた。
話は、神戸に住む仲良しの30代後半の女性4人が、恋愛や結婚、そして男女間ないしは同僚間のコミュニケーションの難しさを問題にしながら、進んでいく。4人のうちの1人は、このコミュニケーション不足が原因で離婚しようとしている。有馬温泉や高台から見える海の風景などを背景に、この街の中でじっくりと物語が紡がれる。
4人の自然な演技
「演技ではない演技。演じていると感じさせない自然な演技が素晴らしかった」と、国際コンペ部門の審査委員長で俳優のウド・キエール氏が絶賛した4人の役者。では、彼女たちのこの自然さは、いったいどこから来ているのだろうか?
4人はいわゆるプロの俳優ではない。2013年9月から5カ月間行われた「デザイン・クリエイティブセンター神戸」での即興演技ワークショップの受講生17人の中から選ばれた。「4人は特別に輝いていた。よい意味で『わがままな』人たちで、自分のために何かをできる人たちだった」(濱口監督)。また、このワークショップは、テーマが「人の話をどう聞くか?」で、「自分が自分のままでありながら同時に相手のことを聞くことが試された。4人は、この過程を経て自分の感情を表現することも学んだ」。
脚本は、「この女性4人自身の魅力から強くインスピレーションを得た。また友人から取材した仕事や結婚生活などの話をもとに、あとは想像力を膨らませて書いた」という監督。それは、4人の魅力ある個性やその人のありようを最大限に引き出す作業であり、「役者の身体を脚本に書き付けるかのようにして」行われた。
役者は平日は他の仕事を持っていたため、撮影は主に週末に行われた。せりふを覚えずに現場に集まってもらい、一緒に脚本を読むことから始めている。「せりふが一旦、ニュアンス抜きで役者の中に入ったと感じた時点でリハーサルに移り、動いてもらう。その場の動きや反応からニュアンスが生まれてきたらそれを拒まず、(役者に)自由にやってもらう。カメラの位置は生まれた演技に従って決めた」
記者会見でスイス人記者から「演じた女性は、今の日本の女性を反映したものだと思うか?」という質問に、離婚裁判中の「純」を演じた川村りらさん(39)は次のように答えた。「私の役は4人の中でも極端なことをする女性『純』の役。しかし、会話にも現代を生きる1人の女性としての純に違和感はなく、言いやすいせりふだった。こんな風には言わないだろうと感じたことはなかった」
映画のテーマと長さ
対話・会話が映画の大半を占めるこの作品では、「社会の中で個人が感情を率直に表現することの難しさ」をテーマに取り上げたと、監督は言う。このテーマはまた、映画が長くなることにも関係している。
監督の説明は、こうだ。「映画監督のジョン・カサヴェテスさんが『男と女の間にある本当の問題というのは、本当に言いたいと思っていることを言えないことなのだ』と言っています。僕はその影響下にいるわけです。この映画に登場するカップルは、我々の暮らす世界と同様にある程度社会的地位によって振る舞いを規定されていて、それに基づいて会話もしている。ただ、このカップルは本当に言いたいことは生活の中で言えていないのだという仮定のもと、想像力を使って脚本を書き進めていくと、いくつかのカップルの関係性が自然とできあがった。それでも、(脚本は)簡単にはいかず、ドラマを進めたいと思いつつ、日常でこんなことは言わない、こんなことはやらないということはできるだけ排除しながら書いていると、あまり進展のない会話がずっと続くわけです。本当に言いたい核心を言えないまま、その周りをぐるぐる回るような会話が。それが、会話が長くなる要因でもあります」
また、長時間になる理由をこうも言う。「こうして書いていくと、自然と一つ一つのシーンが長くなる。こうした長い会話は、それを読むことを通じて出演者が役柄や関係を理解するために書かれたものでした。最終的には編集で切る気持ちがあったが、つないでみたときにそれと同じ過程が観客にも起こることがわかった。こうしたどこにもたどり着かないような会話を聞くことによって、観客もまた登場人物やその関係性を理解していく。その時間がそのまま映画の力になっている気がしました。ある一部分をごっそり抜いてしまうと、映画全体の力がガクッと落ちてしまう印象があった。だから、この映画としての最良の長さはこの長さだということに最終的には落ち着いた」
そして、監督自身、この作品が長編小説(ないしはシリーズもの)のようだと言ったうえで、こう説明する。「映画の2時間で描ききれる物語は、短編小説ぐらいのものではないでしょうか。でも5時間になってくると、長編小説のような物語体験というものが生まれてくるとは思いました。必ずしも物語の主要な流れに必要ではないことも役者がやって、それに観客が付き合っていく。そうすることによって観客と登場人物の間に、現実の時間を共にしているような親しさが生まれてくることがあるような気がしている」
男性がかわいそう
この「観客と登場人物の親しさ」の中にどっぷりと浸り、「終わってもまだ見ていたかった」と言った前出のスイス人記者は、物語の内容に言及してこう言った。「日本に何度も行って日本の社会を理解していたつもりだったが、女性が急速に変わりつつあり、自由になろうとしている。でもこの話では、男性もかわいそうだ。女性の変化に気づかず、取り残されている。夫婦間に対話がなく、本当のことを話さない状況は、究極的にはスイスでも同じだ。男性は女性と話すことに慣れていない。大切なことを言葉にすることに慣れていないからだ」
このことを伝えると監督は「とてもありがたいし、共感します。僕も男性をかわいそうだなと思って描いているので」と言い、こう続ける。「例えば家庭を守ってきたまじめな妻の浮気が理解できない夫がいる。自分は何も悪いことをしていないのにと夫は思う。男性が外で働くことを促す社会構造によって、男性は自身の役割を果たしていると思いがちです。彼らの家庭やパートナーへの無関心は社会によって正当化されてしまう。僕も含めて、この社会においては男性であるというだけで自覚できない事柄が絶対にある。だからとてもかわいそうだという気がしました」
見終わった後、長編小説読後のような満足感もあるが、「本当に言いたいと思っていることが言えない」ために引き起こされる人間関係(特に男女関係)の問題など、考えさせられることが多いこの映画。日本では今年12月に東京都渋谷区のシアター・イメージフォーラムから順次全国公開の予定だという。
濱口竜介監督略歴
1978年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業後、商業映画番組制作の現場 で助監督として活動。2006年~08年、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域の修了制作として制作した長編 映画「PASSION」(08)が2008年度のサン・セバスチャン国際映画祭と東京フィルメックスのコンペ部門に入選。チェコのカルロヴィヴァリ国際映画祭にも正式招待され、高い評価を得る。他に「THE DEPTHS」、「親密さ」など。酒井耕監督との共同制作「なみのおと」は、12年の第65回ロカルノ国際映画祭「コンペ外部門」にノミネートされた。15年の第68回ロカルノ国際映画祭「国際コンペ部門」にノミネートされた「ハッピーアワー」では、主役の4人の女優が「国際最優秀女優賞」を獲得。脚本には「特別評価」が贈られた。
JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。