ヘルツォーク&ド・ムーロンが作る「癒す病院」
建築事務所ヘルツォーク&ド・ムーロンの野心は空高く、広い世界へとはばたく。ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立芸術院)で昨年開催された展覧会は、建物が「癒す」効果を力強く物語った。
ヘルツォーク&ド・ムーロンは現在、世界中で600人を雇用し、うち400人がスイス北部の都市バーゼルで働く。手がけた建築物は、所在地の街並みを形成しているだけではない。
同社は15年前の北京五輪のメイン会場「北京国家体育場」を設計し、後にドイツの港町ハンブルクにランドマークとなるコンサートホール「エルプフィルハーモニー」を、スイス東部トッゲンブルクにあるChäserrugg山頂に新しいシルエットを与えた。
世界的に成功を収めた同社の共同創業者、ジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロンは、2人とも1950年生まれ。つまり1978年の事務所設立時、2人はまだ30歳にもなっていなかった。1999年から2人は連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)で正教授として教鞭をとり、2001 年には建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞した。
プリツカー賞はそれまで個人しか授与対象にしていなかった。選考委員会は2人に賞を与えるために賞の規定を変更した。
2人は当初からはっきりと高みを目指していた。子どものころから将来について語り合った。建築家になることは選択肢の1つに過ぎなかった。だがド・ムーロンよりわずか3週間年上のヘルツォークはキャリアの冒頭でアートにのめり込むようになった。その芸術性は今も2人の作品に不可欠な要素となっている。
そして気候変動が建設業界の大きな課題となるなか、ド・ムーロンが傾倒した自然科学が果たす役割は重要さを増している。
後継者へのバトン
ヘルツォーク&ド・ムーロンが数年前から進めてきた後継者探しは今、実行段階に入っている。2009年に株主モデルを導入し、現在は14人の所属パートナーが株式を追加購入できるようになっている。
この戦略は、どのパートナーがヘルツォーク&ド・ムーロンの成功・成長に貢献したかを可視化するバロメーターとなっている。
昨年7~10月にロンドンの王立芸術院で開かれた「ヘルツォーク&ド・ムーロン展外部リンク」では、創業者2人に加え、1994年以来のパートナーで病院プロジェクトの責任者を務めるクリスティーン・ビンスワンガーもスピーチを行った
同展覧会では、3つの展示室の半分ものスペースがビンスワンガーの作品に充てられた。
最新の病院は、2024年秋に開業予定の新チューリヒ小児病院だ。それは建物を超えてもはや小都市の域にある。平たい建物には内通りや中庭、庭園、集会所を備える。
そうした構造は、20年前に完成したバーゼルのリハビリテーションセンター「リハブ」に着想を得た。医療措置や技術だけでなく、建築によっても人々の健康を促すことを目指した施設だ。
癒す建築
映画監督ルイーズ・ルモワンヌは論文で、「リハブ」において建築は治療の中枢だと指摘した。同監督は昨年、パートナーのイラ・ベカとともにヘルツォーク&ド・ムーロンの建物に関する2本目の映画を完成させた。
ルモワンヌと建築家との交流は20年前に遡る。51分間の映画「Pomerol」は、ヘルツォーク&ド・ムーロンが設計した同名のフランスのワイナリーを舞台に、ダイニングルームで繰り広げる労働者の昼休憩をユーモラス・軽快に描いた。
ベカとルモワンヌがフィルムに収めた建物や都市の風景は、昨年バーゼルのスイス建築博物館で開催さいれた「Homo Urbanus」展で展示された。
ルモワンヌは車椅子の父親に付き添って入院しなければならなかった経験がある。病院の建物が陰惨で憂鬱だったと振り返り、「リハブのような建物であれば、父はもっと長生きしただろう」と語った。
王立芸術院での展覧会のために特別に制作された新作は37分間。そのメッセージは明確だ。建築は機械ではなく、神経系の末端に至るまで身体に影響を与える環境の一部であり、ひいては治癒プロセスの一部である幸福感にも影響を与える。
展覧会の中央の部屋で展示された映画のダイジェストでは、オフィスの重要な建物の日常が描かれる。時の流れと日常的な建物の使われ方を切り取った。
それは建物が時の試練に耐え、数十年経っても美しさを保っていること、そして何よりも芸術的な要求にもかかわらず日常使用に適していることを物語っている。
空間について語る
映画という媒体は日常の物語を伝えるのにはふさわしいが、建築された空間そのものを美術館に移すことは不可能だ。ヘルツォーク&ド・ムーロンは、美術館で建築をどのように提示できるかという問題に対して出したこの回答に、満足していない。
展覧会の最初の展示室には大判の写真とさまざまな模型が展示され、作業のプロセスと解釈が添え書きされている。
世界的に有名な写真家による写真(アンドレアス・グルスキーの3枚とトーマス・ルフの6枚) は、この建築に内在する芸術的性質を浮き彫りにした。
そして多様な素材とスケール感は、バーゼルの鉄道線路の間にある信号扱い所から北京五輪会場まで、大小さまざまの建物に込められた好奇心と研究の精神を証明している。北京国家体育場は反体制派のアート界スーパースター、アイ・ウェイウェイと共同で設計した。
王立芸術院での展覧会では、健康と治癒のための建物づくりに焦点を当てたチューリヒ小児病院が主役を演じた。最後の展示室で、見栄えや名人芸にこそ劣るものの、病院に求められる正確さや慎重さが称賛を得た。
図面や建設現場の写真、部屋の壁の原寸模型、さらにはビデオゲームが展示され、博物館での建築体験の可能性を高めた。バーチャルツアーやQRコードを使った拡張現実(AR)により、2次元の画像や設計図を3次元で体験できるようにした。
600人のスタッフを抱えるヘルツォーク&ド・ムーロンが相応の売上も上げているという事実は、展覧会では間接的にほのめかされたにすぎなかった。デンマークの新ノース・ジーランド病院は、2016年とほぼ同時期に設計されたチューリヒ小児病院に比べずっと大きく、ほぼ同時期の2024年に開業予定だ。
アメリカやアジアのさまざまな高層住宅やパリの「Tour Triangle」の模型も、材料や規模の遊び心豊かな探求として巨大ショーケースに展示された。最終的に建築の品質と成功を決定するのは、規模ではなく建築された空間の雰囲気だ。
クリスティーン・ビンスワンガーは展覧会冒頭の質疑応答で次のように答えた。「私のプロジェクトは一般的に(費用が)高すぎるわけではない。特に病院は1~2年分の建設費がかかるため、投資する価値がある」
ヘルツォーク&ド・ムーロンにとって、病院やリハビリ施設は単なる大型契約ではなく、意義ある工法や幸福をもたらす雰囲気づくりを通じて、建築が変化をもたらすことができると証明する場なのだ。
ル・コルビュジエを超える
swissinfo.chではこの100年の建築史に名を残すべきスイス人建築家たちを紹介する。彼らの空間に対する考え方や世界に残した足跡、そして人々に影響を与える建物を見てみよう。
独語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫
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