世界トップクラスのレストランを継いだ新シェフ
ロテル・ド・ヴィルの調理場にカチカチという音が鳴り響く。どこから来るのだろうと見回してみると、出所はシェフのフランク・ジョヴァニーニ氏が持つ1本のノック式ボールペンだった。
ジョヴァニーニ氏は童顔の42歳。プレッシャーのかかる場面でも表情は変わらない。せいぜいこの「カチカチ」という音が激しくなるくらいだ。今はちょうど、ランチの指揮を執っている。彼がシェフを務めるローザンヌ郊外のレストラン、ロテル・ド・ヴィルは、ミシュランからは三つ星、ゴー・ミヨからは19点の評価を受ける名店だ。昨年フランスで創設されたレストラン・ランキング外部リンクでは、世界の頂点に選ばれた。
実はこのレストランでは有名シェフが2人、相次いで早逝している。ジョヴァニーニ氏はそんな事情のもとに、世界トップの座を継いだのだ。
今年初めに流れたブノワ・ヴィオリエ氏自殺のニュースは、世界中のレストラン関係者に大きな衝撃を与えた。重圧を背負うシェフの死が続いたことで、懸念の声が広がった。そんな中ヴィオリエ氏の後を継いだジョヴァニーニ氏は、トップシェフとして活躍すると同時にそのストレスともうまく付き合えるという、珍しいタイプのようだ。
ジョヴァニーニ氏はゆっくりと歩きながら、盛り付けに細心の注意が払われた皿をチェックしたり、調理場をのぞきに来た客と写真に納まったり、片隅で静かに行われている料理教室の参加者と言葉を交わしたりしている。
また、配膳テーブルには記者が1人陣取り、テイスティング用の豪華な9品コースを撮影したり調理場を観察したりしているが、それを気にする様子もない。スーシェフ(2番手のシェフ)たちは、時々コック帽やエビアンの瓶を投げ合うなどして楽しげだ。
レストランの上階にある自宅で、ヴィオリエ氏が猟銃自殺を遂げたあの衝撃の日曜日から、まだほんの数カ月しか経っていない。その7カ月前には、ヴィオリエ氏の前任者であり師でもあったフィリップ・ロシャ氏が、サイクリング中に体調を崩し他界した。しかしレストランのスタッフにとって悲劇の始まりは、それよりももっと前の2002年、ロシャ氏の妻フランツィスカ・ロシャ・モーザーさんが雪崩事故で亡くなったときにまでさかのぼる。
レストランの外壁には今もまだヴィオリエ氏の名前が掲げられ、ロビーには彼が執筆した料理書が積み上げられている。彼が得意としていたジビエの料理書は全1086ページに及ぶ。書籍の中には、ロテル・ド・ヴィルを「料理界の神殿」と呼んだレストランガイド、ミシュランも混じっている。
ミシュランの三つ星は、ヴィオリエ氏と彼の2人の前任者、ロシャ氏およびフレディ・ジラルデ氏という世界的な名シェフたちが築き上げたものだ。ロシャ氏とジラルデ氏はレストランにとっては伝説的ともいえる存在。彼らの創作した料理は今もメニューに載っている。
バランスの重視
白いユニフォーム姿でレストランの待合室に腰かけたジョヴァニーニ氏は、自分が主役のインタビューに居心地の悪そうな様子を見せつつも、闊達(かったつ)に質問に応じる。記者はヴィオリエ氏の自殺に直接触れることはせず、シェフという職業のプレッシャーについて話を聞いた。
ワークライフバランスとユーモア。ジョヴァニーニ氏を支えるのは、この二つのようだ。レストランと同じ建物に住んでいたヴィオリエ氏と違い、彼は約30分離れた田舎に妻と子ども2人と暮らしている。平日は朝8時から夜中まで働くが、週末は友人たちとバーベキューをするなど、リラックスして過ごす。
「ここで働き出してもう21年になる。それほどプレッシャーは感じていない。今のところ自分が得意な仕事をして、みんながそれに満足してくれている。仕事と私生活のバランスには特に気をつけたいと思っている」
そんな彼だが、ストレスにさらされた過去もあった。
飛び交う怒号
彼とヴィオリエ氏はロテル・ド・ヴィルでは同期で、一緒にジラルデ氏とロシャ氏の指導を受けた間柄だ。2人は20年間共に働き、「兄弟のような」関係だった。
ジョヴァニーニ氏は「ずっと食関連の仕事をしたいと思っていた」。彼の父親は、自分が諦めたシェフの夢を息子に託し、後押しをしてくれた。ニューヨークのスイス人シェフ、グレイ・クンツ氏のもとでしばらく働いたのち、スイスに帰国、ロテル・ド・ヴィルでコミシェフ(見習いシェフ)として、野菜の下ごしらえからスタートした。
「ひどい話も聞いていたから本当は(ここに)来たくなかったんだ」とジョヴァニーニ氏は笑う。彼は、ジラルデ氏を「食物と風味の天才」と呼ぶ。ジラルデ氏からは「正確さ(la rigueur)」を教わった。「1年半、彼と一緒に仕事ができてラッキーだった。楽ではなかったが。なにしろ自分はまだ20歳だったし、仕事場の雰囲気もよくなかった。たくさん怒鳴られたよ」
「今はもう怒鳴るような時代じゃない。どこのレストランの調理場も驚くほど静かだ。スタッフがシェフに気兼ねなく相談できる方が、優れた結果が出ると感じている。昔は違った。ジラルデ氏に相談するなど考えられなかった。殴られるんじゃないかと怖くてね」と言って、彼はまた笑った。
彼の言う通りだ。調理場は、「サービス(給仕)!」という大声と鍋を扱う音のほかは、とても静かだ。
新時代
ヴィオリエ氏の右腕だったジョヴァニーニ氏は、12年にヴィオリエ氏がレストランを引き継いだときには、実質上、調理場を切り回す存在となっていた。
レストランのオーナーであるヴィオリエ氏の妻ブリジットさんにとっては、彼以外の後継者は考えられなかった。「まず、頭に浮かんだのがフランクだった」と、ブリジットさんは言う。彼らは家族ぐるみの付き合いでもある。「私がブノワの次に、レストランで最もよく知る人間といえば彼だった」
こうして新体制でスタートしたレストランだが、果たして現在の格付けを守り抜くことができるのだろうか。ゴー・ミヨの最新刊は10月に、ミシュランは2月に発売される。ブリジットさんは、「星を確保するためにあらゆる努力をする」つもりだ。もし評価を維持できなければ、「やり方を変えるかもしれない」と言う。
世界一の称号に輝いたヴィオリエ氏の自殺は当時、ベルナール・ロワゾー氏のケースと比べられた。ロワゾー氏は03年、ゴー・ミヨで2点を失い猟銃自殺をした。彼がうつ病に苦しんでいたことは、のちにわかった。
ジョヴァニーニ氏も、格下げの不安はシェフならば「当然」、いつも頭の片隅にあると認める。
「このレストラン初の二つ星シェフにはなりたくない。ミシュランやゴー・ミヨのために料理するわけではないが、意識はする。それが仕事の一部だから。我々は、星を守るためにあらゆる努力をし、質をキープしている。もし星が減らされるとすれば、それは質の問題ではなく、おそらく何かの駆け引きのためだろう」
もし格下げがあった場合、どう受け止めるのか。「とにかく毎日きちんと仕事をしていくしかない。今、1日2回ずつやっているように」。これから先、(格付け発表まで)緊張の日々が訪れる。彼一流の現実主義は、支えとなってくれるだろうか。
謎の自殺
ブノワ・ヴィオリエ氏の自殺の原因について、ヴィオリエ氏の妻ブリジットさんと共同経営者アンドレ・クデルスキー氏は、思い当たる節がないと繰り返す。また、「ワイン詐欺」によりレストランが大きな損害を被っていたという月刊経営誌ビランの報道を真っ向から否定している。
ヴィオリエ氏の死の直前、ラ・リスト外部リンクというフランス外務省によるレストラン・ランキングで、ロテル・ド・ヴィルは頂点に輝いた。
ヴィオリエ氏の反応は?「世界一という今までになかったタイトルに選ばれたのは究極の栄誉。20年の努力が実った。この仕事を始めたときから彼はこの高みを目指していた。このランキングが、彼が生きている間に発表されたのは幸運だった」(ブリジットさん)
スイスのトップレストラン
どのレストランがナンバーワンかは、ランキングの種類によって変わる。
スイスでミシュランの三つ星(「卓越した料理」)と、ゴー・ミヨの19点(04年までは19点が最高とされた)を獲得したレストランは「ロテル・ド・ヴィル」と、アンドレアス・カミナダ氏の「シャウエンシュタイン」(フュルステンアウ)、そしてペーター・クノグル氏の「シュヴァル・ブラン」(バーゼル)の3店。
ゴー・ミヨで19点を獲得しているのは、「ロテル・ド・ヴィル」「シャウエンシュタイン」「レルミタージュ・ド・ラヴェ」「ドメイン・ド・シャトーヴュー」「ホテルレストラン・ディディエ・ド・クルテン」「シュヴァル・ブラン」の6店。
皆さんは仕事でストレスを抱えていますか?また、どのように対処していますか?ご意見をお寄せください。
(英語からの翻訳・フュレマン直美 編集・スイスインフォ)
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