ロビンソン元人権高等弁務官「誰にでも基本的人権がある」
国連人権高等弁務官就任の打診を受けたとき、メアリー・ロビンソン氏はアイルランド初の女性大統領を務めていた。それでも、「国連で一番難しい」と言われる同職を引き受けた。
ロビンソン氏は、男尊女卑の風潮が色濃い1950年代のアイルランドで育った。男兄弟4人に囲まれ、「自己主張の強い」子どもにならざるをえなかったと話す。家では両親が兄弟たちと分け隔てなく接してくれたが、一歩外に出れば、そうではなかった。
同氏はダブリンの大学で法律を学び、離婚禁止の撤廃や避妊の合法化、同性愛の非犯罪化を求めて議論した。1969年、弱冠25歳でアイルランドの上院議員になり、政界入り。議会でもこれらの問題を訴え続けたが、自分の理想を法制化しようとすることは、大学での議論とは全くの別物だった。
swissinfo.chは2023年、世界人権宣言採択75年を記念し、世界で最も多くの言語に翻訳された宣言とその画期的な諸原則を紹介してきた。オーストリア出身の現人権高等弁務官フォルカー・トゥルク氏は、宣言を「第2次世界大戦の悲惨な経験から生まれた、変化を促す文書」と呼ぶ。
宣言は1948年に採択されたが、初代人権高等弁務官の就任は1994年だった。なぜこんなにも時間がかかったのか――。
人権高等弁務官は「国連で一番難しい仕事」とも言われる。このシリーズでは、歴代の経験者に成功や試練など自身の体験を聞いた。
※インタビューは、swissinfo.ch提供のポッドキャスト「インサイド・ジュネーブ」(英語)でお聴きいただけます。
ロビンソン氏は「すさまじい憤り」をぶつけられ、「非常に物騒な手紙を受け取った」と振り返る。それでも、くじけることなく邁進した。中には、欧州人権裁判所に提訴した事件もある。このような反発にもかかわらず、同氏は絶大な人気を集め、1990年、アイルランド初の女性大統領に就任した。
経験豊富で、批判されることに慣れている、基本的人権と自由を求める闘士――コフィ・アナン国連事務総長(当時)にとって、次期人権高等弁務官にこれ以上ふさわしい人物がいただろうか。だが、ロビンソン氏は躊躇した。「事情に詳しい友人らが口を揃えて、『私なら引き受けない』と言った」からだ。
侮辱、疲弊、そして粘り強さ
結局これらの助言には従わず、同氏は1997年、人権高等弁務官に就任した。ほどなくして、友人らの懸念は正しかったと分かった。最初の訪問先は、ジェノサイド(集団殺害)で約100万人の命が奪われたばかりのアフリカ東部ルワンダだった。現地の人々にとって、国連が暴力を阻止できなかったことはまだ記憶に新しかった。1994年にアイルランド大統領として訪問したときは歓迎されたロビンソン氏だったが、「国連の帽子をかぶって来訪した私を、彼らはある種の侮辱で出迎えた」と語った。
それでも、同氏はルワンダから隣国のウガンダ、そして、親交のあったネルソン・マンデラ大統領(当時)のいる南アフリカへと訪問を続けた。アイルランドに戻ったときには、疲れ果て、やる気を失っていた。家族にすら会いたくなかった。
だが、「どうにか乗り越えてみせると自分に言い聞かせたのを覚えている。非常に難しい仕事だが、なんとかやり遂げると。こうして状況は好転した」。
いくつかの成功と多くの試練
ロビンソン氏は、国連の人権活動を促進するには、できるだけ多くの国を訪問するのが最善だと考えた。アフリカを再訪し、国連の人権担当の高官にはほとんどできなかった中国訪問を実現した。チベットも訪れた。
そして「人種主義に反対する世界会議」が2001年、南アフリカ・ダーバンで開催されることになった。多くの人々が国連にとって活躍の場になると期待した会議だった。
ロビンソン氏は準備会合に参加するためイランの首都テヘランに赴いたが、そこで雲行きが怪しくなる。同氏が開催地をイランにしたわけでもなく、一部の文言が反ユダヤ主義的だとみなされた最終文書案に賛同したわけでもなかったのに――。
最終文書案は国連のお役所的な慣例にならい、議論の的になる文言がすべて括弧書きされていた。合意が得られなかったという意味だ。同氏も「合意に達することはないだろう」と考えていた。それにもかかわらず、イスラエルと米国が激怒した。ダーバン会議は混乱の中で始まり、イスラエルと米国の不参加で失敗に終わった。
ロビンソン氏は今もダーバン会議中の心痛と落胆を覚えている。だが、会議の最終文書は国連が人種差別と戦うための原則を定めた、先見性のあるものだったと主張する。同氏は、米国やイスラエルの一部マスコミからは反ユダヤ主義的だと非難されたが、事実とあまりにかけ離れていて反論さえできなかった、と話す。
ロビンソン氏は2002年まで人権高等弁務官を務めた。その後も人権活動に尽力し、現在は、人権の観点から気候変動に取り組んでいる。
「人権こそ答えだ。私たちは、誰にでもこの基本的人権があることを理解する必要がある。すべての人間は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利とにおいて平等だ」
英語からの翻訳:江藤真理
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