クレディ・スイスに計80億ドル(9200億円)の不正預金が存在していると突き止めた調査報道に関わったジャーナリストは、スイスでは最長5年の禁固刑に処される可能性がある。刑事罰を恐れたスイスのメディアは「Suisse Secrets(スイス・シークレット)」と称する同調査に加担しなかった。2015年のスイス銀行法改正で懸念された報道の自由に対する脅威が現実になった格好だ。
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「今回、銀行データが外国メディアを通して漏洩した以上、スイスでの調査報道の禁止は条理を欠き撤廃されるべきだ」。スイス最大のメディアグループ「タメディア」(本社・チューリヒ)のアルトゥル・ルティスハウザー編集長は20日付の社説外部リンクでこう主張した。
1934年に制定されたスイス銀行法は、銀行が国内顧客の秘密を漏らすことを禁じる。ドイツなど他国に情報流出する例が相次いだことを受け、2015年に改正された銀行法では漏洩したデータを受領・利用した人も処罰されることになった。ジャーナリストもその例外ではない。
このため20日にクレディ・スイスの不正預金問題を報道したドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガーは苦しい立場に置かれている。内部告発者の協力で明らかになった不正預金口座のリストには、独裁者や犯罪者の名義もあった。世界の40以上のメディアが証拠の精査に当たったが、スイスのメディアは訴訟リスクが高いと判断して加わらなかった。
スイス連邦財務省国際金融問題局(SIF/SFI)は同紙に「個人に関する情報を受領し、銀行秘密に違反して報道した場合、記者は起訴される可能性がある」と語った。
公益か銀行秘密か
国連の「言論及び表現の自由の権利の促進・保護」に関する特別報告者のアイリーン・カーン氏は、この問題をスイス政府に提起する方針を示した。「公益に資する銀行の内実を公表した記者が起訴されるのは、国際人権法に違反する」とみる。
スイスではこれまでに数人の内部告発者がデータ漏洩で投獄されてきた。大手メディアがスイス法廷で「公共の利益」を掲げて反論した例はなく、ターゲス・アンツァイガーもその第1号になろうとはしていない。
スイス・シークレットに参画した英ガーディアン紙外部リンクは「仮にも世界報道自由度ランキングのトップ10に名を連ねるスイスのような国で、表現の自由に対し恥知らずな攻撃が加わりかねない」ことに苦言を呈した。
国境なき記者団(本拠・パリ)は、スイス銀行法を「情報の自由に対する耐え難い脅威」と非難し、スイス当局に対して銀行のデータを受領した記者を起訴しないよう求めた。
同団体のスイス事務局長を務めるデニス・マスメジャン氏は「流出した銀行データによって暴露された情報が事実であり、一般に関心の高い事項に関する議論に資するのであれば、メディアによる公開はスイス連邦憲法と欧州人権条約が保証する報道の自由によって保護されるべきだ」と指摘した。
左派の社会民主党や緑の党はともに、報道を委縮させないよう銀行法の再改正を求めている。
クレディ・スイスは声明で、同行が「引き続き問題を分析し、必要に応じて追加の措置を講じる」と述べた。データを漏らした人物や受領した人物に対して刑事告発を検討しているかどうかはコメントを避けた。
脱税の追跡
2015年の銀行法改正は、流出した銀行データから利益を得た第三者を罰する狙いがあった。脱税調査のためにドイツ当局に漏洩データが売られる事例が相次いだことへの対応だった。
英HSBCのスイス・プライベートバンキング部門のIT技術者だったエルベ・ファルチアニ氏も顧客データをフランス当局に渡したことで起訴された。懲役5年に処されたが、出廷せず逃亡したままだ。
15年7月以降、顧客のデータ漏洩に能動的に関与した人は最大3年、漏洩から利益を得た人は最大5年の懲役に処される可能性がある。
連邦議会での銀行法改正審議でも、ジャーナリストが犯罪者として扱われる可能性が指摘されたが、法案はそのまま可決され発効した。これまでのところ、銀行法違反を理由に記者が起訴されたケースはない。
スイスは17年以来、国をまたいだ脱税を摘発するため世界各国と税の自動的情報交換制度(AIE)を結んでいる。脱税は厳罰化されてきたが、国内居住者に関しては今も厳格な銀行秘密が維持されている。
(英語からの翻訳・ムートゥ朋子)
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