壁を取り崩したスイス館 ベネチア・ビエンナーレ国際建築展
世界最大の国際建築展、第18回ベネチア・ビエンナーレが開催中だ。参加者の多くは美しいフォルムよりも、社会の持続可能性を重視している。
スイス館は「ジャルディーニ(公園)」会場の小道沿いの1番目という絶好の立地にある。過去の建築・美術ビエンナーレでは壮観な絵画やオブジェクトが展示されてきた場所だ。
だが18回目となる今年、そこには建築アーティストたちの自制心が見て取れる。
スイスは増築しなかっただけでなく、一部を解体した。スイス人建築家ブルーノ・ジャコメッティの設計で1952年に建てられた壁はその1つだ。
こうした姿勢を見せるのはスイスに限らない。建設業界に対するためらいやこれまでにない思慮深さ、懐疑的な見方がビエンナーレ全体に浸透する。
壁を破壊
芸術家のカリン・ザンダー氏と美術史家のフィリップ・ウアシュプルング氏(ともに連邦工科大学チューリヒ校=ETHZ教授)は、ビエンナーレ期間中にスイス館のレンガ壁の一部と金属製の格子をすべて撤去した。
これにより、隣接するベネズエラ館に続く視界が開けた。スイスは今年のビエンナーレ出展テーマを「Neighborus(隣人)外部リンク」としている。
スイス館は近隣パビリオンとともに、ブルーノ・ジャコメッティとイタリア人建築家のカルロ・スカルパとのコラボレーションについても取り上げている。
2人は1950年代に緊密に連携して設計図を描いた。政治的には難しい関係にあったが、2人の緊密さは微妙な建築上の変化をもたらした。コラボにより新しい空間関係を生み、新しい視点を呼び起こそうとした。
それは空間を操作することであり、再構築ではなかった。ベネズエラ館が40年前に壁を増築したため、再構築はほぼ不可能だった。主催者側は、スイス館の壁の破壊は無理な作業だとみなしていた。
開会式にはアラン・ベルセ連邦大統領が出席し、スイスの「プロ・ヘルヴェティア文化財団」のフィリップ・ビショフ理事長がコンペティションで優勝した「Neighbors」チームの勇気を称えた。
社会的・文化的な関心事として建築の可能性を広げる――スイス館はそれを正確・正式な破壊として実現した。それこそがおそらく、「Neighbors」が今年3回目となるコンペティションで優勝した理由でもある。
ビショフ氏はまた、長年指摘されてきた各国パビリオンの持つ意味と無意味の問題にも言及した。各館の相互作用は今回、驚くべき形でザンダー氏とウアシュプルング氏に新たな光を当てた。
スイス館には前年と同じものは1つもない。レンガの壁ははるか昔から、19世紀のプラタナスを取り囲むように造られていた。だが壁の一部を一時的に取り除くと、この中庭は以前と全く違う眺めになった。より開放的な存在になったのだ。
中庭で一時的に保存してあるレンガは角張ったベンチとなり、その隣にプラタナスの幹が立つ。プラタナスは伐採されて初めて、空間の構成要素の1つになった。
除去されたレンガは古い素材ながら新たな効果を生み出している。新しく加わったオブジェクトはたった1つ。これまで彫刻が置かれていたスイス館の一番大きい部屋に敷かれたカーペットだ。
カーペットの上にはスイス館とベネズエラ館の拡大した平面図が飾られている。2館はこれまで互いに絡み合いながらも、直接行き来できる通路はなかった。
美しさは逆走
今年のベネチア・ビエンナーレ国際建築展に出展された作品のほぼ全てが、キラキラした模型や巨大彫刻に限らず、ブームが過ぎた後の建築物をどう展示するかという問題を提起している。
気候危機の時代にあって、より厳しく問われるのは「どのように」ではなく「なぜ」という問題だ。世界の二酸化炭素(CO₂)排出量の3分の1以上を占める建築業界には、変化が求められている。
その最良の答えは「何も建築しない」ことなのか?多くの人にとって、それは持続可能性に対する一時的な答えでしかない。少なくともこの第19回建築ビエンナーレはそう伝えようとしている。
今年のベネチア・ビエンナーレでは社会問題と環境問題が最前線に立つ(中国館の巨大な模型など、いくつかの例外はある)。各国は主催者から独立して出展しているが、その多くはビエンナーレの全体像に完全に馴染んでいる。
そこで重要なのは美しさや印象深さではなく、持続可能な建築だ。惑星としての正義も重要な役割を果たす。過去のビエンナーレとは対照的に、アフリカ大陸に置かれた作品やアフリカ人建築家の作品が大きな注目を集めている。
美しさの定義が見直されている。老いも若きも、スター建築家たちは曲線に象られた外観やきらびやかなファサードで勝負しなくなっている。何が美しいかを決めるのかは、表面的なものだけではないからだ。
ニューヨークの高層ビル「50ハドソンヤード」にあしらわれたチタン製ファサードでさえ、世界最大の建築イベントであるベネチア・ビエンナーレにおいてはアフリカの山岳地帯の搾取と環境破壊をもたらす建築物としてしか扱われない。
この高層ビルは、スペインの建築家アンドレス・ジャックとその運営する事務所「Office for Political Innovation」が、南アフリカの政治活動家とともに設計した。
建築材料の調達は大きな問題を抱えていた。その帰結は、高い屋根付きの「アルセナーレ」会場に展示されたぴかぴかのパネルと、その隣の恐ろしい写真と文章が証明している。
今年のベネチア・ビエンナーレ国際建築展のキュレーターを務めるレスリー・ロッコ氏のメッセージは明快だ。「光り輝くもの全てが美しいわけではない」。美しさはむしろ、関係性に思いを馳せ慎重に取り扱われたものに生まれる。
もう建築しない?
こうしたメッセージによって、建築ビエンナーレの出展者の多くが新しいオブジェクトの設計ではなく、むしろ既存のものを使った設計を望むようになった。
スイスチームは決して例外的存在ではない。2023年のベネチア建築ビエンナーレでは、過去に出展されたような記念碑的な模型ではなく、意図的な空白や虚無、山積みになった未完成の資材が目立つ。
封鎖されたイスラエル館の壁からは、雑音が漏れ聞こえる。データセンターの生む機械音だ。「cloud-to-ground」という詩的なタイトルのパンフレットが、パビリオンのテーマを象徴する。
基礎素材としての建築材料に焦点を当てた作品もある。ブラジル館は粘土を使った建築への洞察力が評価され、「金獅子賞」を受賞した。
ドイツ館では、昨年のアートビエンナーレに使われた建築資材をばか丁寧に整理した目録が展示されている。プラスチックを主眼に置いたアメリカ館では発泡スチロールが焼けたような臭いがするので注意が必要だ。
古い木材や毛皮の再生を扱うスカンジナビア館も異臭地帯だ。日本館では地元の天然素材から匂いを蒸留しており、ここで深呼吸をすると感覚が再び活性化される。
建築家の環境に対する意識は罪悪感という形で現れる。主に建築資材を使い続けることを恥じているかのように、あるいはビエンナーレに参加したことを謝罪したいかのようにさえ見える。
パビリオンのない未来は?
建築は今後も必要だ。だが壁に囲まれた公園内に各国のパビリオンが点在する建築ビエンナーレは今の時代に必要なのだろうか?別の形もありうるだろう。公園の敷地は、オーバーツーリズム(過剰観光)に悩むベネチアの住民(と観光客自身)に、素晴らしいリラックス空間を提供するに違いない。
こうした問題意識から、オーストリアの若い活動家集団「Akt」がウィーン出身の巨匠ヘルマン・チェコとの共同プロジェクトを立ち上げた。ジャルディーニを周囲の住宅地まで開放するのが目的だ。
オーストリア館はそのアイデアを実現するのに最適な場所にある。ジャルディーニ会場の入り口からはるか遠く、サンテレナ島のはるか北に位置する。
オーストリア館の仮設階段からは公園の壁の向こう側や、パビリオン外壁と公園外壁との間の狭くうっそうとした境界地帯を見渡すことができる。
仮設階段は会場の境界までしかなく、住宅地には通じていない。オーストリア館から住宅地につながる出入り口や通路を設置する案は、ビエンナーレや市当局によって却下された。
つまり、スイスが他人の所有物に触れることなく隣のパビリオンへの通路を開いた一方で、オーストリアはジャルディーニの外の世界との架け橋さえ追い求めている。
実現こそ叶わなかったが、オーストリア館の未完成の建設現場と越境案の記録は、作品に込められた勇気を物語っている。
「Participazione/Beteilung(参加)」と題されたオーストリア館の関連イベントは、巨大な国際建築展の向こう側、ジャルディーニの壁の外にある住宅地で開催される。
第18回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展は各国パビリオンのある「ジャルディーニ」会場と、テーマ店やその他パビリオンのある「アルセナーレ」で、2023年11月26日まで開催中。
スイスの出展「Neighbours」はスイスの文化保護財団「プロ・ヘルヴェティア」が支援。同名の書籍も出版されている。
アルセナーレではスイスからさらに2作品が出展されている。ジュネーブのlaboratoire d’architecture(建築研究所)による空間インスタレーションと映画、およびチューリヒのウルスラ・ビーマンによる映画上映だ。
ビーマンのドキュメンタリー映画は現在、ベネチアのプラダ財団で11月26日まで開催中の「Everyone Talks About the Weather」でも上映されている。
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