外国人アーティストが見たコロナ禍のスイス
アーティスト・イン・レジデンスとしてパレスチナから来たラマ・アルタクルリさん(38歳)は、スイスでの滞在中、コロナ禍に直面した。彼女が自身の目を通して見たスイスの日常を、言葉と映像作品で表現した。
今年前半、アルタクルリさんの生活と仕事の場となったのは、スイス北部のアーラウ市。地元の協会「ゲストアトリエ・クローネ」が組織するアーティスト・イン・レジデンス制度外部リンクを通じ、パレスチナでの制約された日常や圧力から離れて仕事をする機会を得た。
アーティスト・イン・レジデンスとは、招聘(しょうへい)アーティストに創作や新しい着想のための時間と空間を提供するプログラム。いわば新しい雰囲気や環境への招待状だ。アルタクルリ外部リンクさんにとっては、過去の作品に手を入れたり、新しいプロジェクトを練ったりするチャンスとなった。その成果は、アーラウ市の文化施設フォーラム・シュロスプラッツ外部リンクで展示された。
ゲストアトリエ・クローネは、地元の協会が主体となって25年前から運営されている。インド、パレスチナ、アフリカからアーティストを招聘(しょうへい)し、アーラウ市内の2階建ての建物で暮らしながら創作してもらう。上記地域との間に培われた太いパイプがアーティストの選考過程に役立てられている。招聘アーティストには、毎月の給付金のほか交通費の一部が支給される。ゲストアトリエ・クローネは、アーラウ市およびアールガウ州の文化振興機関「キュラトリウム」の助成対象。
本来ならば、スイスのアーティストとの交流や、キュレーターやギャラリー、諸団体とのネットワーク作りも同じくらいのウエイトを占めるが、この半年間はそれらを思うように進めることはできなかった。3月中旬にはCOVID-19対策で様々な制限措置が発動し、他のアーティストのスタジオや展覧会、美術館に出かけるといった通常の活動もほとんどが不可能になった。アルタクルリさんは思ってもみない事態に直面することになった。
ラマ・アルタクルリさん(1982年アラブ首長国連邦アブダビ生まれ)はラマッラーを拠点に活動するパレスチナ人アーティスト。バーレーンで育ち、1994年にパレスチナに移住。ノースウェスタン大学で芸術理論と実技の修士号、インターナショナル・アカデミー・オブ・アート・パレスチナで現代ビジュアル・アートの学士号を取得。テキスト、彫刻、パフォーマンス、パブリック・インターベンションといった手法を用いて「グローバルな新自由主義がもたらす幻想と、プロが提供するホスピタリティの場で経験する癒しや不安、親密さ、超俗の境地などのひと時」を探求している。
以下に紹介するのは、アルタクルリさんがスイスの日常について記した観察とメモだ。日記の抜粋のようなスタイルで書かれたこの小品集は、「Awkward Interactions(仮訳:気まずい交流)」と題されている。
「リバーサイド」
あなたの住む場所ではロックダウンが始まったが、ここは、まだ。私はニュースのサイトを全て閉じて、階下に降りる。外では人々がレストランのテーブルに座っている。彼らはくつろいでいるようだ。テーブルの間を縫って歩かなければ、私はこの家を離れられない。私は川辺まで歩く。そこにいる人たちが少人数であることを願う。大勢ではないように。人は大勢いた。帰ると、テーブルの間を縫って歩かなければ、私はこの家に入れない。
「フェリックスと彼の犬」
犬が私めがけて走る、私は逃げる、犬は私の後ろを走る。犬の飼い主は犬の後ろを走る、私は犬の飼い主の後ろを走る。私は叫ぶ、「この犬は噛むの?」と。 彼は「噛まない。遊んでいるだけだ。君が止まればこの子も止まる」と言う。言うは易し行うは難しだ。私の心臓はまだバクバクしている。彼は私を落ち着かせようと話しかける。「どこから来たの?ああ、パレスチナ!よく話題になる場所だ。周りの国がパレスチナ人に土地を与えて引っ越せるようにするべきかもしれない」。私は彼に、彼らがここに引っ越せるかどうか聞くべきだったかもしれない。
「隣人」
隣人とは1度しか会っていない。しかし、彼のことはよく知っている。知ってはいけないことも知っている。でも、私たちの壁は薄すぎて、彼の声は大きすぎる。彼が何時に出勤して何時に帰ってくるのか、遠距離恋愛のことも知っているし、よく喧嘩しているのも知っている。
「カップケーキ」
近くに小さなカップケーキの店がある。その店はピンク色で、ドアの外には白いイスが2つある。店に入り、カップケーキを頼むと、彼女は残り1つしかないと言う。それは私の好物、チーズケーキのカップケーキだ。彼女はそれを小さな白い箱に入れる。私がお金を渡すと、彼女は謝る。現金はダメで、カードだけ、パンデミックなので、と。私は今、カードを持ち合わせていない。私は謝り、小さな白い箱の中にチーズケーキのカップケーキを残して去る。
「サイエントロジー」
どこから来たのか尋ねられ、パレスチナだと言うと、彼は、「近くにはいた。自分はイスラエルに行ったのだ。何度も、何度も」と言った。彼がなぜ2回そう言ったのかは分からない。
通りで1人の男が私を呼び止め、読書は好きかと聞く。「はい」と答えると、何語で読むのかと聞く。私は英語かアラビア語だと答える。彼はテーブルに行き、重い本を持って戻ってくる。脳のための新技術についての本だと彼は言う。そして、ウェブサイトはここだ、と言う。私は彼が指し示す場所を見て、サイエントロジーという言葉を認識する。私は、その重い本は買えないが、ウェブサイトを見てみる、と言う。どこから来たのか尋ねられ、パレスチナだと言うと、彼は、「近くにはいた。自分はイスラエルに行ったのだ。何度も、何度も」と言った。彼がなぜ2回そう言ったのかは分からない。
「パッションフルーツ」
私たちはスーパーマーケットで食品のはかりの前に立っている。その男は年配で、カナダ人だという。私は自分の袋を量る前に彼に先に量らせる。彼は袋をはかりに乗せ、私を見て袋を開けると、一つ掴んで私に見せる。「パッションフルーツという名前だ。醜い方を選ぶといい。その方がおいしい。ナイフで開いて、食べるんだ」
「セルフサービス」
私はカウンターに近づき、このセルフサービスレストランではどのようにセルフでサービスするのかレジ係に尋ねる。「はい、ここでパイを選んで、あちらでコーヒーを選んで、ここに戻ってお金を払って、食べ終わったらそこのそれを返して…なんという名前でしたっけ」。私は「トレー?」と答える。「そう、トレー」
「カフェ・クレーム」
駅はほとんど空っぽだ。電車を待つ私の周りを、男が1人、ブツブツ独り言を言いながらウロついている。私の電車が来るのは20分後だ。この男が私の前を行ったり来たりしていては、これ以上ここに立っていられない。男は次に何をするだろう、自分に腹を立てているのだろうか、私に腹を立てるだろうか。ホームにはスターバックスがある。そこに行って待っていた方がいいかもしれない。私はトール・コーヒーを注文する。バリスタは「ここではカフェ・クレームと呼ぶんです」と言った。
「瞑想」
世界で同時に瞑想を、という緊急の呼びかけがあるという。天体の扉というものが開く時、何百万という人々が一斉に瞑想して、5Gネットワークを停止させ、ウイルスを消し去るのだと。世界の構造も解体するのだと。成功するだろうか?インターネットは崩壊するだろうか?私はあなたとのつながりを失うだろうか?瞑想の話は私を不安にする!
「ドールハウス」
おもちゃ博物館の人形たちが一斉に私を見ている。私は他人のプライベートな空間に入り込んだよそ者のような気分になる。人形の多くはミニチュアハウスの中にいて、布地を売ったり、肉を切ったり、お菓子を焼いたりしているところを中断され、そのまま固まっている。ある店では、人形が他の人形を売っている。別のコーナーでドールハウスを覗いてみると、一緒に食事をしている人形の家族や、寝室に座っている人形がいる。別のハウスでは、人形のお手伝いさんが屋根裏で洗濯物を干していて、別のお手伝いさんが人形の赤ちゃんをお風呂に入れている。私は、人形の家は空っぽの方が好きだと気づく。
「病院」
生まれて初めて気を失う。私は2週間前から具合が悪い。具合の悪さには慣れているが、気絶したことはない。救急に電話をすると、救急車が手配される。2人の救急隊員が握手をしてくれる。病院では若い医師が握手をしてくれる。病院のベッドにいると、カーテンの向こうから老婆の声が聞こえてくる。苦しそうだ。彼女が何を求めているのか私には分からない。同じ言葉を繰り返している。私には分からない言語だ。どうしたらいいのか分からない。私は動けない。
(英語からの翻訳・フュレマン直美)
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