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失敗を恐れぬスイス人建築家ユストゥス・ダヒンデン

ダヒンデンがスイス・リギに建てた山小屋、1955年
建築家ユストゥス・ダヒンデンが初めて手掛けた作品。リギ山の山小屋、1955年 Datenarchiv Justus Dahinden/CC BY-SA 3.0

スイスの建築家ユストゥス・ダヒンデン(1925~2020年)は、現代建築に欠ける機能性・志向性に不満を唱え、古代建築のオマージュとユートピア(理想郷)の建設に注力した。

ユストゥス・ダヒンデンの父親は反骨精神豊かなスキーインストラクターだった。1970年代に「Mamba」と呼ばれる攻撃的な滑走方法を編み出した。小さい回転を小刻みに繰り返す「ウェーデルン」の完成度を高め、さらに急進化した連続ターンだ。

簡素ながら含意に富むスタイルを求める遺伝子を受け継いだ息子が初めてそれを具体化したのもまた、山の斜面だった。建築家ユストゥス・ダヒンデンが初めて手掛けた建物は、父の故郷・リギ山にある山小屋だ。

ユストゥス・ダヒンデンと模型、1970年
ユストゥス・ダヒンデンと模型、1970年 Keystone

ダヒンデンは、現代建物は何を目指しているのかが分からず、はっきりとした美的設定もないと感じていた。方向性を求めて建築史を学び、ドームや球体、門といった原型のほか、ル・コルビュジエの「浮かぶ建築」に答えを見出した。

坂道

ダヒンデンが特に不自然だと感じていたのは直角だ。むしろ石器時代の丘陵建築や先史時代の階段型ピラミッドの方が自然だと思えた。天に向かって斜めに伸びるそれらの構造物を、ダヒンデンは宇宙との出会いを可能にするものとして「Kosmoformen(宇宙の形)」と呼んだ。それは人々にとって公平な存在のように思えた。

「(通常は)垂直なファサードを斜めにすることによって、高層タワーの住人がその無限の垂直性に抱く『脅威』が軽減される」

ニューヨークにある国連本部
ダヒンデンはニューヨークにある国連本部を「文化の非人間化の象徴」と呼んだ Keystone/Alessandro Della Valle

ダヒンデンは1970年、チューリヒ湖畔の遊歩道に敢えて錆をほどこしたコールテン鋼(耐候性鋼)でピラミッドを建てた。多くの人が月面ステーションまたはマヤの寺院を連想するような建築物だった。だがその背後には現実的な意味合いもあった。ピラミッド型なら日陰問題が起こりにくく、例えばチューリヒの建築規制では高層階のセットバックが義務付けられている。高層ビルに嫌悪感を抱くのはダヒンデンだけではなかったというわけだ。

それでもこのピラミッド型建築が称賛されるばかりではないとダヒンデンは認識していた。工事中は視野が遮られ、「ひとたび完成すれば、誰にもどうにもできなくなった」―スイスの建築雑誌「Hochparterre外部リンク」にこう語っている。

教会の意味

ダヒンデンは、建築から生み出される感情に関心を寄せていた。人々がチーズバーガーを食べに集まる「Silberkugel外部リンク」のようなファストフード店や、ミュンヘンの高級料理店「Tantris」などを設計した。人生で初めて設計図を描いたのがチューリヒサッカークラブ(FCZ)のスタジアムだったことも偶然ではなかったが、壮大な八角形のダヒンデン案は住民投票で否決された。

レジャー施設として手掛けたピラミッドは数年しかもたなかった。1970年代に流行した薬物LSDの幻覚に出てきそうな建物「シュヴァビロン(Schwabylon)」はどぎついオレンジ色に塗られ、ファサードには巨大な太陽が描かれていた。水槽越しにサメを観賞できる水中ディスコ「イエローサブマリン」やアイススケート場を併設したレジャー施設だった。
 

ダヒンデンによると、シュワビロンは「階級のない社会への訴求」を狙っていたが、町から遠すぎ、店舗は高すぎた。シュワビロンはオープンからわずか14カ月で閉店に追い込まれた。

ダヒンデンが興味を持っていたのは消費活動の神殿に限らない。故郷チューリヒのヴィティコンを始め、世界各地にいくつか教会を建設した。ダヒンデンは、教会はその目を引く外形が最も宗教的な意味を持つ建物だと考えていた。つまり外形は機能であり、現代建築の求める簡潔さは不要だった。構造上のシンボルは、建物を使うよう人々をいざなうものでなければならない―ダヒンデンはこう語る。

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ダヒンデンはヨーロッパ流の「工業的輸出建築」を作りたくはなかった。機能主義の進歩の名のもとに、文化や象徴としての現実を無視するものだったからだ。ダヒンデンは、建物はその土地の構造的・象徴的条件に適合しなければならないと考えていた。西洋のルールを一方的に輸入する建築は、アフリカ文化がアイデンティティを確立するのを阻害するとみていた。

オプションとしての失敗

ダヒンデンはミッション建築家連盟(BMA)の会員であり、持続可能な建築の開発を目指し際限なく活動する「Groupe International d’Architecture Prospective(国際建築計画グループ)」のメンバーでもあった。

戦後好況とともに成長した都市は限界に達したかに見えたが、未来に向かう原動力が失われることはなかった。ユートピア(理想郷)の建設は現実的な選択肢だったが、宇宙旅行の時代に入たため短命に終わった。

ダヒンデンにとって失敗は常に選択肢の1つだった。あるインタビューではこう語った。「ああご存じですか。そのような実験に失敗はなく、知識を生み出すものだ」。ダヒンデン作品は1970年代に高く評価されたが、それだけではなかった。シュワビロンは閉鎖後にスイスの保険会社に買収され、ユートピアは崩壊した。

チューリヒ湖畔に建てられたピラミッド型建築
チューリヒ湖畔に建てられたピラミッド型建築 Keystone

チューリヒ湖畔に建てられたダヒンデンのピラミッドは多くの人から「錆びの山」と呼ばれ、ミュンヘンのレストラン・タントリスは「高速道路の礼拝堂」と嘲笑された。どちらも一貫して変容の時代の精神を体現する建物として、保護建造物に指定されている。

ル・コルビュジエを超える

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