スイスアルプスの絵に故郷を見出すアフガニスタン人
ゴルベディン・フセイニさん、ヴェレナ・メウリさん、クリスティーン・ティールマンさん、モハメド・エワズ・ババさんの4人は、全員よそ者としてスイス中部の村・エッシで出会った。
私が4人に会ったのはある晴れた春の夕べ、彼ら4人が展示作品選びに参加したイベントでのことだった。
ゴルベディンさんとモハメドさんはアフガニスタン出身、ヴェレナさんとクリスティーンさんはスイス人だが、この出会いの舞台となったアルプスのエッシ村(ベルン州)の生まれではない。4人は3年前にここで知り合った。
芸術(この場合は山を描いた風景画)が難民申請者と地元住民の架け橋となる、というわかりやすい記事を私は書くつもりだった。
トゥーン美術館の学芸員ルート・ラインハルトさんは、同美術館で11月まで開催中の展覧会について次のように説明する。「山に住む人々を探していた。望んでここにやってきたわけではない、ここに送られてきた人たちの話を聞いてみたら面白いのではないかと思った。また、目新しい考えではないが、芸術は人々が集まって対話を始めるきっかけになるという思いもあった」
展覧会「Uphill」
今年の展覧会は、知られる限り世界最古の現存するパノラマ画「トゥーン・パノラマ外部リンク」が中心となり、それにまつわるさまざまなプロジェクトが開催される。ラインハルトさんの務めは、周辺の山の住民たちにこうしたプロジェクトに参加してもらうことだった。
「Uphill外部リンク」(訳注:上り坂。苦しい旅路という意味もある)と題された本展覧会では、この類まれなパノラマ画の制作から200年間でアルプスに対する人々の態度がどう変わってきたかをたどる。
ラインハルトさんはそのために、ゴルベディンさん、モハメドさん、その他数人の難民申請者と、地元の教区のボランティアであるヴェレナさんやクリスティーンさん、その他数人を集めた。
このグループは数カ月にわたって何度か顔を合わせ、美術館の所蔵作品のコピーを見た。各自が二つの作品を選び、それぞれについてコメントをするよう求められた。一つ目については、その作品のどこが故郷を思わせるのか、二つ目については、その作品が今の自分の置かれた状況をどう表現しているか、が問われた。
家族を後に残してきたことや不透明な将来など、難民申請者たちの物語は心を打つものだった。しかし、そもそも彼らがこうした物語を語ることができたという事実自体が、何よりも信じがたいことだった。
難民申請者たちとボランティアたちの出会いは、エッシの教区教会が「カフェ・インターナショナル」という名前の外国人向け交流会を開いたことがきっかけだった。中央アジアやアフリカ東部の「アフリカの角」と呼ばれる地域の出身者が集まってスイス文化に触れ、初歩ドイツ語を学べる場所だ。ヴェレナさんは教会の参事会長、クリスティーンさんはカフェの責任者を務める。
しかし、初歩的なドイツ語では絵画に寄せた物語を語るには不十分だったため、ラインハルトさんはボランティアの通訳者を呼んだ。
「スイスで誰かと共同作業をしたのは初めてだった」と言うゴルベディンさんは、選んだ絵画のうちの1枚、アルプスの製材所にいる2人の木こりを描いた作品が、木を扱うことと野外にいることの喜び、そして再びそのような仕事をしたいという自分の強い願いを表していると説明した。
モハメドさんが惹かれたのは、前景に描かれたハイカーの一団が目を引く作品だ。ハイカーたちは影になっていて、頭上にそびえる白銀の山頂に圧倒されたように立っている。モハメドさんのようなアフガニスタン人にとって、山は過酷な存在だ。「人間が山にいたとしても、普通は住む場所としてではない」と話す。
「今、私は山の上で将来を模索しているように感じている。これからもスイスにいられるかどうかわからない。山頂にいて、どこに行けばいいか、何をすればいいかわからない」
アフガニスタンから来たこの2人が表現する感情に心を打たれたヴェレナさんは、「同じような年頃の子供たちがいる身として、心をかき乱される」と話す。「この青年たちは今ここにいるが、将来どうなるかわからない。彼らに比べると、自分の子供たちはどれほど恵まれていることか」
若い頃インドとバングラデシュに住んだ経験のあるクリスティーンさんは、すぐにアフガニスタン出身の青年たちに親近感を覚えた。「たとえ近くに家族や親戚がいなくても、友達がそばにいて励ましてくれるということの大切さは、心に刻まれて一生忘れない」
私が彼らに会った夕べは、4人が顔を合わせる最後の日だった。4人は、選んだ作品数枚を飾るためにカフェにやってきた。ワークショップの成果の発表を聴きに、また難民申請者たちに別れの挨拶をするために人々が集まっていた。
政府の決定によりここの難民受け入れ施設が閉鎖され、入所者は別の場所に移されることになったのだった。この村と緑の丘や山の急斜面に故郷を思い出したゴルベディンさんとモハメドさんだが、ここを去ることになる。
「常緑の国だ」と、2つの国の共通点について21歳のゴルベディンさんは言い、モハメドさんも同意する。アフガニスタンの中でも2人の出身地は違い、ゴルベディンさんは東北部のクンドゥズ、モハメドさんはカブール近くのパルワン県から来ているのだが。
「ここに来た時、まるで故郷のような気がした。私の出身県や村には同じように山と緑があるからだ」とモハメドさん。
ここが故郷のような気がしないのは、定住者のクリスティーンさんの方だ。中年のスイス人女性クリスティーンさんは、約20年前にエッシに引っ越してきた。「思ったほどここに溶け込めてはいないことがわかった。この土地に友達はいても、生まれも育ちもここではなく、家族や親戚もいない」
「考え方が自分と似ている人を探していたら、このプロジェクトに出会った。新しい土地に来ることがどれほど大変か、人々が出会い友達を作れる場所を開くことがどれほど大切かに気づいた」。クリスティーンさんは自分の状況がゴルベディンさんやモハメドさんとは全く違うことは承知しているが、彼らの気持ちに寄り添うことができると言う。
この晩、壁に飾るためにゴルベディンさんが選んだもう1枚の絵は、青い羽に赤い胸をした鳥が細い枝の端に止まって、今にも飛び立とうとしている絵だった。
「鳥は私と同じような暮らしをしている。季節によって住む場所を変えるからだ。私もここにいられるかどうかわからない。アフガニスタンからは出なければならず、ここに住めるかどうかはわからない。どこかへ行って新生活を始めなければならないかもしれない」と言う。
アットホームな集まりが終わりに近づき、ゴルベディンさんはマイクを手に取り、地元バンドが音楽を奏でる。歌の内容はわからないが、私はこんな風に解釈する。「ここで僕らはみんなよそ者、でも不思議と懐かしい」
スイスで難民申請
展覧会「Uphill」に付随する展示イベントがエッシで開かれた時点で、スイスで難民申請し結果待ちの人は6万5千人いた。
2018年の第一四半期に、これらの申請のうち6623件の審査が完了し、申請者の25%が難民認定を受けた。
連邦移民事務局(SEM)によると、申請が却下される理由としては次のようなものがある。
- それまで居住していた第三国に安全に戻ることができる
- 国際合意のもとで難民認定および移転手続きを行う責任を負う第三国に渡航することができる
- 本人がビザを保持し、庇護を求めることができる第三国にこれから渡航することができる
- 近親者や扶養家族の居住する第三国にこれから渡航することができる
- 経済的または医療的な理由のみから難民申請が行われた場合
アフガニスタン人はスイスにおける難民申請者としてエリトリア人に次いで2番目に多く、全体の約5分の1を占める。
(出典:連邦移民事務局外部リンク)
(英語からの翻訳・西田英恵)
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