「私は男性のまま死にたくなかった」
自殺か、それとも女性として生きるのか。そのジレンマに苦しんできたシュテファニー・シュタルダーさん(48歳)。スイス、ルツェルン州で農業を営むシュテファニーさんはトランスジェンダーだ。葛藤の末に選んだのは生きること。性転換手術を決心した彼女にようやく自由が訪れた。
「自分の本当の性である女性として生きると決めたのは2年前。他には自殺という道しかなかった」。これは、今回取材を始めるにあたってシュテファニー・シュタルダーさんから送られてきたメールの一文だ。
LGBTIQとは?
LGBTIQとは女性同性愛者(Lesbian)、男性同性愛者(Gay)、両性愛者(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)、インターセクシャル(Intersexual)、クィア(Queer:広く性的マイノリティを表す)の英語の頭文字を並べた言葉。またこの他にも性的指向や性別の多様性を定義する他の表現も生まれてきている。
このアルファベット文字の陰には数多くの人間模様が隠されている。時には胸の痛むような、時にはシンプルなストーリーが。そしてそのどれも唯一無二の物語だ。スイスインフォは頭文字が示す一つ一つの概念について連載でポートレートをお届けする。LGBTIQと呼ばれる人々の生の声を伝え、彼らの夢、勝ち取ったこと、そして社会に対する要求を語ってもらった。このシリーズが、近年ようやく討論されるようになってきたこのホットなテーマについて考えるきっかけになれば幸いだ。
シュテファニーさんが住むルツェルン州グロースヴァンゲン。どこまでも続く田園地帯の中、いくつもの村を過ぎてやっと着く。どちらかといえば保守的な地方だ。1年以上前に性転換治療を決心したシュタルダーさんの農場の周囲も、見わたす限り緑が広がる。
少しためらいがちに我々取材班を迎えたシュテファニーさん。しかしその声は真剣で、眼差しには思いが込もっている。オレンジ色の服が周囲の緑にくっきりと浮かび上がり、シュテファニーさんのほっそりしたシルエットを強調する。
シュテファニーさんは、何十年もの間ひた隠しにしてきた本当の自分をさらけ出すことに、もうなんの抵抗もない。
「私は両親が営むこの農場で育ち、屈託のない子ども時代を送った。小学校入学までは」とシュテファニーさん。自分の打ち明け話で家族を動揺させたくないという彼女の提案で、我々はインタビューの場を隣村の喫茶店という無難な場所に移した。
シュテファニーさんの足取りはぎこちなく、まだ新しい自分がしっくりきていないようだ。しかし控えめな笑顔からは内面の安らぎが伝わる。「やっと葛藤から解放された」と彼女は言う。
「自分に吐き気がした」
シュテファニーさんのアイデンティティー探しは早くから始まった。「学校では男の子らしく振る舞うことが当然視されたが、自分にはできなかった。男女どちらにもなりきれず周りから浮き、いじめにあった」
「自分に吐き気がした。自分がゾンビに変身していくように感じられた」
シュテファニーさんは思春期の体の変化を受け入れられずにうつを患う。待ったなしで男らしくなっていく体に、頻繁に自殺を考えるようになる。「自分に吐き気がした。自分がゾンビに変身していくように感じられた」と回想する。母親はそんなシュテファニーさんを医者に連れて行く。本当の問題を見抜くことのできなかった医者は、抗うつ剤を処方しただけだった。
男らしさの強調
シュテファニーさんは自然や農作業が大好きだった。「兄は私より体力があったのにテレビばかり観ていた。これも、周囲の期待と現実が逆という例だ」。農業経営の職業訓練を修了したシュテファニーさんは、次に石工の修行を始める。「いかにも男らしい仕事をすれば、女性になりたいという気持ちが消えるかも、という希望があった」(シュテファニーさん)
「愛ではなかった。自分は、彼女たちの中に理想を見ていた」
1996年、両親から農家経営を正式に引き継いだシュテファニーさんは、有機農業への移行を目指す。その資金作りのため、農業のかたわら木材パネル工場で働き始めた。仕事をしていれば苦しさが紛れた。しかし、「年末の休みになるとうつに襲われた」。シュテファニーさんは仕事の他にもヨーデルクラブ、素人演劇、中古トラクターのコレクター同好会など、さまざまな活動で時間を埋めようとする。多くの人と交流し好感を持たれても劣等感は消えない。内面の孤独は克服されないままだった。
シュテファニーさんは自分の中の女性を追い払うべく、わざと男らしく振る舞った。「依存症にこそならなかったが、やたら酒を飲んだ。何が何でも男であろうとした」。しかし、内面は抑圧され追い詰められていった。自分の人生なのに他人事のようだった。他の女性に恋をすることもアイデンティティー探しの一手段となった。「いろんな女性にあっという間に恋に落ちた。でもそれはロマンチックな意味の恋であり、愛ではなかった。自分は、彼女たちの中に理想を見ていた」
女装が救いに
苦しい毎日にしばしの息抜きを与えてくれたのは、女装をすることだった。「小さい時から兄弟・姉妹で遊ぶ時には女の子の格好をするのが好きだった」。その遊びは次第に別の様相を帯びて行く。母親や姉妹の留守中に彼女らの服をこっそり着るようになった。給料をもらい始めると、女物の服を買っては納屋に隠し、人目のないところで身につけた。
そのうち彼女は女装用の服をタンスの引き出しにしまうようになった。それを着たまま眠ることもあった。「ある日、そんな格好をしているのを母に見つかった。でも母は何も言わなかった。息子に何が起こったのか理解できなかったのだろう。内緒で服を処分されたこともあった」。だが女装願望はあまりにも強く、シュテファニーさんの行動はエスカレートする。チューリヒまで出かけては、都会の匿名性に乗じてスカートとハイヒールという姿で街を歩くようになったのだ。「時々、知り合いを見かけた気がしてパニックに襲われ、着替えるために慌てて車に駆け戻ったりした」
「死ぬのは構わない。でも男性として死ぬのは嫌だ」
二つの秘密、一つの愛
シュテファニーさんは長い間、1人の女性と恋愛関係にあった。その女性は既婚者で、アルコール依存症の夫から暴力を振るわれていた。力になりたいと思ったシュテファニーさんは、ある日彼女を訪ねる決心をする。2人の間に信頼関係が生まれ、シュテファニーさんはその勢いで女装の趣味があることを打ち明ける。ジュネーブ育ちのその女性はとても寛容だった。友情はいつしか愛情に変わり、2人は結婚する。2人の子どもができた。
しかし、結婚もシュテファニーさんのアイデンティティー問題を解決することはできなかった。2007年、彼女はインターネットの掲示板に刺激され、必然の成り行きに身を委ねることにする。自分以外のトランスジェンダーたちと交流を持ち始めたのだ。だが普段はまだ男性として生活していた。すべてを失うのが怖かったのだ。しかし、ある日アルバイト先の会社で銃の発砲事件が起こり、親しかった友人が亡くなる。ショックを受けたシュテファニーさんは、自分が銃で撃たれて死ぬ夢を見る。その時考えたのが、「死ぬのは構わない。でも男性として死ぬのは嫌だ」ということだった。
「物心ついて以来、鏡の中に他人ではなく自分を見たのはその時がはじめてだった」
ぴたりと合った心と体
不眠とうつを何度か繰り返した後、シュテファニーさんはついに性転換治療を決意。16年にエストロゲンを含有したジェルを使ってホルモン治療を始めた。あるブロガーが勧めていた方法だ。「たった1週間で心と体がぴたりと合う感じがした」。続けて、ひげの脱毛および戸籍上の名前と性別の変更を行った。まさにメタモルフォーゼが進行していた。「以前シャワーを浴びる時は他人の体を洗っているようだったが、今は自分の体だ」
性転換手術は18年11月に予定されている。「手術は、コストパフォーマンスのいいタイで受ける」とシュテファニーさん。
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インタビューが進むにつれ、シュテファニーさんの声に張りが出てきた。「声をもっと女性らしくするためボイストレーニングを受けるつもり」。そう話す彼女の目には、強い意志を秘めた光が宿る。自分との戦いはまだ終わっていない。「内輪では女性としての自分を認めてくれる母も、道ですれ違ったら私から顔をそらすだろう」。地元の新聞に載ったある記事をきっかけに、シュテファニーさんは村の人々に事情を説明する機会を得る。「おかげであまり説明の必要がなくなった。いまだに色々と聞いてくる人たちはいるけれど」
子どもたちもこの新しい事態に適応しようとしている。シュテファニーさんは時々かつらを取って元の父親の顔を見せるなど、子どもたちのペースを尊重しようとしている。一方、夫婦関係へのダメージは避けられなかった。「残酷なことに、自分にとってプラスになることすべてが彼女にはマイナスになってしまう」。性生活においても気持ちの上でも、夫婦は関係の仕切り直しを迫られている。「このまま夫婦であり続けたいという気持ちはまだある。だが妻の口からは、もう限界だという言葉も出ている」
だが、シュテファニーさんはもう後戻りしない。心の平和は何物にも代え難い。「ある朝、鏡の前に立ってかつらをつけた。物心ついて以来、鏡の中に他人ではなく自分を見たのはその時がはじめてだった」
スイスでは、トランスジェンダーは戸籍上の性別を変更せずに名前を変えることができる。申請先は居住地の州だ。名前は自分で選ぶことができる。
戸籍上の性別を変更するには法的手続きが必要。最近までスイスの裁判所は、1993年の連邦最高裁判所判決にならい、性別変更に際して性転換手術と不妊証明書を要求していた。しかし2011年、チューリヒで外科手術を不要とする控訴審判決が下されると、連邦法務省も翌年これを追認するコメントを出すなど法の運用状況には変化が見られる。
現在は、この新判例を踏襲する裁判所と、従来通り外科手術証明書に加え不妊証明書か精神科医によるトランスセックス診断書、あるいはその両方を要求する裁判所が混在している。ドイツ、フランス、イタリアなどではこのような慣例はすでに廃止されており、トランスジェンダーの権利を守る団体、TGNSから非難を受けている。
(独語からの翻訳・フュレマン直美)
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