「戦争疲れ」に負けるな 2022年夏
ウクライナの首都キーウが明日も残っているのか思いを巡らせながら眠りにつく人は、今やほとんどいないでしょう。それでも不安はあります。ロシアによるウクライナ侵攻に対するスイスの見解をまとめたswissinfo.chのニュースレターをお届けします。
戦争は続いていますが、様相は変化しました。短期決戦に見えた超大国ロシアによる攻撃は、ウクライナの驚くべき戦闘能力によって長期戦に転じました。恐怖は分散され、大規模な侵攻は都市や町をめぐる戦闘になりました。2国間の消耗戦です。ウクライナを支える西側諸国の同情心も底を尽きつつあるように見えます。
これまでswissinfo.chは経済や政治、変容する安全保障体制、そして7月初旬に開かれたウクライナ復興会議に注目してきました。
今回のニュースレターでは、今なお戦争に日常生活を奪われている人々の姿をお届けします。戦争開始間もない2月28日、ラリッサ・ヴェルビツカヤさん(52)の暮らすアパートの窓の外をロシアの放ったミサイルが飛びました。彼女が国外脱出を決意した瞬間でした。
それまでウクライナにやってくる難民の世話をしていたヴェルビツカヤさんが向かったのはスイスでした。フリージャーナリストのアントニオ・スアレスさんは、ヴェルビツカヤさんら5人のウクライナ人女性に話を聞きました。
5人はスイスの安全さを高く評価する一方、家族の身を案じています。「私の町がロシアに占領されたら、両親や夫を呼び寄せようかと思う」と語る人もいました。
英語編集部のジェシカ・デイビス・プリュス記者は、スイス労働市場で苦戦するウクライナ難民(主に女性)の問題を深掘りしました。高技能を持っていても、他の欧州連合(EU)諸国からの優秀な労働者が集まるスイスでは、就職口を見つけられるのはほんの一握りだと言います。
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ドイツ語編集部のメラニー・アイヒェンベルガー記者は、ウクライナのシャボにあったスイス人植民地で生まれ育ったオスカー・ツヴィッキーさん(91)を訪ねました。第二次世界大戦の勃発で移住を余儀なくされたツヴィッキーさんは、曽祖父の故郷であるスイスに流れ着くまで6年の歳月を要しました。
現在スイスの高齢者施設で暮らすツヴィッキーさんは、移動生活で抱えていた不安をこう振り返りました。「6年の間、家族全員が常に気を張り詰めていた。次はどこに移るのか?一体そこで私たちは歓迎されるのか?」
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当時、スイスはツヴィッキーさんのような外国人の受け入れに消極的でした。しかし今は異なります。swissinfo.chの記者だったガビー・オクセンバインさんはウクライナからやってきた母子、ヴィクトリアさんとポリーナさんを自宅で受け入れています。ヴィクトリアさんは「いつまでかも分からずスイスにいて、ドイツ語を学んでいる。自分はもう、新しい人生を築くべきなのか?」と自問しています。
ヴィクトリアさんの兄は6月、予備兵として戦地に向かいました。オクセンバインさんは「彼女は欧州で戦争が続くこの夏のことを、非常に心配しています」とつづりました。
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夏の終わりと共に平穏が訪れるというわけにはいかないでしょう。欧州が平和を取り戻すには、多大な努力と忍耐が必要です。7月初旬にスイスとウクライナがルガーノで共催した初の復興会議でも、このことが明らかになりました。
欧州評議会のマリヤ・ペイチノヴィッチ・ブリッチ事務局長も同会議に参加。swissinfo.chで民主主義を担当するブルーノ・カウフマン特派員のインタビューに応じ、「効果的な復興は、ウクライナで完全な民主主義が実現した場合にのみ実現する」と強調しました。
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