COVID-19はバイオテクノロジーへの脅威とチャンス
新型コロナウイルスのパンデミックは、スイスのバイオテクノロジー業界がスポットライトを浴びる絶好のチャンスだ。その一方で、多くの中小企業は生き残りに苦戦している。業界が抱える問題、治療薬とワクチン開発への取り組みについて、スイスバイオテク協会のトップに話を聞いた。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)との闘いで、スイスは突破口を見つけられるだろうか――。ミヒャエル・アルトーファー氏は、その答えを出すのにふさわしい人物だ。スイスバイオテク協会のCEOを務める同氏はこれまで20年に渡り、スイス製薬大手ロシュとノバルティス、そして小規模のバイオテク企業ポリフォーなど、バイオ医薬品業界の大小さまざまな企業で経験を積んできた。
「新型コロナウイルスのパンデミック収束に向け、スイスは主導的な役割を果たせる位置づけにある」とアルトーファー氏はswissinfo.chに言う。バイオテクノロジー産業はスイス経済の中で最もダイナミックなセクターの一つで、約1000企業が存在する。
しかし、そういった楽観論の背後には、利益を生みつつも高リスクなビジネス体質が潜む。コロナ渦の影響でこのセクターはリスクにさらされているという同氏に、業界が直面する複数の問題と課題について聞いた。
swissinfo.ch: スイスのバイオテクノロジーがリードする最も有望なCOVID-19のプロジェクトは何ですか?
ミヒャエル・アルトーファー: パンデミックに取り組むバイオテクノロジー企業は、少なくとも10数社ある。まだデータが出揃っていないため、現時点での評価は難しいが、一部プロジェクトを公開した企業もある。それには連邦工科大学チューリヒ校(ETH)のスピンオフとして独立したメモ・セラピューティックスが含まれる。同社はCOVID-19回復者の抗体を利用した治療候補を開発している。
チューリヒに拠点を置くニューリミューンは、新型コロナウイルスに感染した患者の肺に直接働きかける抗ウイルス抗体の研究に取り組む。米企業ヴィル・テクノロジーのスイス子会社Humabsも抗体の分離を行っている。
ウイルスが細胞に侵入するのを阻止する「設計アンキリン反復タンパク質(DARPin)」に注目したモレキュラー・パートナーズは、別のアプローチを取っている。
いずれも臨床試験を行う前の段階だが、これらの企業は全て、既に同様のプロジェクトに携わった経験を持つ。
一方、ワクチンに関しては、ツークとベルンを拠点とするインノ・メディアの取り組みが興味深い。同社はリポソーム技術を用いたワクチンの開発に取り組んでいる。
swissinfo.ch: スイスの製薬大手では何か動きがありますか?
アルトーファー: ロシュのように、ウイルス感染や免疫反応の検査の分野でリードする企業がある。
COVID-19に対応するワクチンと治療法に関しては、大手製薬会社の多くが既存の医薬品の転用を検討している。これらの医薬品がCOVID-19にも効果を発揮する場合、既に患者を対象とした臨床試験や投与の実績があるため、スピードアップにつながる。もちろんCOVID-19に使った場合の安全性を確認する必要はあるが、潜在的な副作用に関しては既に多くの問題が解決済みだ。
例えばロシュは、関節リウマチの治療薬「アクテムラ」の転用を検証している。ノバルティスは、抗マラリア剤「ヒドロキシクロロキン」や、重症患者の免疫反応を抑制するために、骨髄線維症および真性多血症の治療薬「ジャカビ」の転用を検証している。
既存薬の転用は患者の症状と副作用に対処するためには有効だが、COVID-19の原因そのものにアプローチしているわけではない。
swissinfo.ch: これらの取り組みが本当に有望なのか、それとも単に過大評価されているだけなのか、どう判断しますか?
アルトーファー: 私はまず、企業の最終目標を見ることから始める。ワクチンの開発か?それとも症状に対処するための薬物の転用か?こういった取り組みはすべて有意義だが、一から始める場合と比べて投資と労力が少なくて済む。
次に、会社が最終目標からどれだけ離れているかを検証する。たとえば新しい化学物質を使って全く新しい治療法を開発する場合、ゴールからは最も遠い。既に臨床試験に入っている場合、期間はそれより短くなり、会社が薬の転用に焦点を当てている場合はゴールまでの時間がさらに短縮される。
swissinfo.ch: COVID-19に対するワクチン、または治療薬ができるまでの現実的な期間は?
アルトーファー: 楽観的に見ても、COVID-19のワクチンの準備が整うまでに1年半はかかると考えられている。米企業のモデルナ・セラピューティクスが手掛けるワクチンに関する情報をよく耳にするが、来年初めには何らかの医薬品が利用可能になる見通しだ。スイスでは、ベルン大学の研究グループがさらに意欲的なタイムラインを発表している。
通常、未開発の医療ニーズに応えるために新しい化合物をゼロから開発する場合、薬が市場に出回るまでに10~15年かかる。
それでも研究段階からスタートするプロジェクトの成功率は100分の1にすぎない。つまり市場に出せるのはわずか1%だ。また、5、6年後に臨床試験まで辿り着けたとしても、それを実現できるのはその10分の1だ。
swissinfo.ch: パンデミックが業界に与える広範囲な影響にはどういったものがありますか?
アルトーファー: コロナ渦でスイスのバイオテクノロジー産業の強みが消滅することはない。だが業界は今、パンデミックで必然的に生じた遅延の影響で、さまざまな不確定要因に直面している。多くの企業が資金調達に奔走し、生き残りをかけて戦っている。投資家には忍耐と寛容さが求められる時だ。
投資家が欲しがるデータを提供するために、今すぐ臨床試験を始めるのはまず不可能だ。施設が通常通り稼働していないため、動物実験の中止を強いられた企業も多い。大学も閉鎖され、沢山の共同研究が保留になっている。
これは企業が日々、どんどん資金を使い果たしてしまい、次の資金調達に至らないことを意味する。時間の無駄になるだけではなく、患者にCOVID-19感染のリスクがあるため、試験の中断を強いられるケースもある。その場合、企業は全てのテストを一からやり直さなければならない。
これはとりわけ、不安定な状態に立たされている6~7割の国内のバイオテクノロジー企業の懸念材料になっている。これらの企業はスタートアップでも収益性のある企業でもないため、政府が立ち上げた無利子融資制度の対象外だ。そのため特に危機的な状態に追い込まれている。
一部の州では補完的な支援策を約束したが、具体案は明らかになっていない。これらの企業は実質的な収入がないまま、毎月50万~500万フラン(約5500万~5億5千万円)費やしているため、援助金が出たところで、企業が本当に必要としている金額からは程遠いだろう。
リスクにさらされているのは企業の雇用だけではない。資金の約3分の2は、研究パートナーといった第三者に回ってしまう。
swissinfo.ch: 今回のパンデミックがバイオ医薬品産業を変えると思いますか?
アルトーファー: そう思う。それがどこまで持続可能になるかは分からない。
swissinfo.ch: どのように変わると思いますか。
アルトーファー: 特に欧州と米国は、サプライチェーンがいかに中国とインドに相互依存しているかを改めて認識したことだろう。抗生物質に至っては、ほぼ100%これらの国に依存している。
わずかばかり節約するために、ここまで大事な医薬品を世界のどこかで生産させたツケが回り、自分たちがいかに脆弱になったかを思い知らされた国も多い。
私はまた、この分野で価格を高く設定することに納得してくれる人が増えるのではないかと考えている。過去10〜15年間を振り返ると、一部の国では抗生物質が薬剤費支出総額の10〜15%を占めていた。それが今では、グラフに表示されない程その割合が小さくなっている。
これらの医薬品に見合った価格を設定することが重要だ。そうすれば研究プロジェクトの1%を市場へと送り出すことに成功した企業は、失敗したすべてのプロジェクトの費用をカバーできる上、投資家にとって魅力的であり続けられるだろう。
また、このパンデミックは、人生の価値や、数カ月延命するための代償といった難題に対する世論に変化を与えるだろう。100歳の患者に、全ての治療オプションを用意するべきか否か?結局のところ、「実行可能」なことが、必ずしも金銭的に実現できるとは限らない。
こういった疑問は、業界が決断するのではなく、公に論議を交わして答えを見つける必要がある。
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(英語からの翻訳・シュミット一恵)
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